と束縛と


- 第3話(3) -


「……本当は、今の生活を刺激的だと思い始めている自分が嫌だ。怖くて汚い世界だとわかっているのに。毎日何度も、そんな自分を嫌悪して落ち込む」
「悪かった……。先生が何もかもが平気なわけじゃないと、気づくべきだった。そうしたら、もっと気遣ってやれたかもしれない」
 和彦がちらりと笑みをこぼすと、まるで見ていたようなタイミングで体の向きを変えられ、二人は向き合う。
「あの組長が、きめ細かい気配りなんてできるとは思えないけどな」
「だが、先生のことは考えている。だからこそ組長は、あんなものを用意した。堕ち始めた人間の拠り所は、力だ。先生はヤクザの力なんて嫌がるだろうが、この世界に足を踏み入れたら、長嶺組の力が一番確実に先生を守ってくれる。だから、嫌がるのを承知で、これみよがしにあんなことをした。先生に、現実を見せるために。嫌でももう、目を背けることは許されない」
「――堕ち始めた、か」
 自嘲気味に和彦が洩らすと、初めて三田村が狼狽した素振りを見せ、肩に手をかけてきた。
「あっ、いや……、堕ちるというのは、俺たちのような人間のことで、別に先生がそうだというわけじゃ――」
「まあ、普通の人間からしたら、ぼくもあんたも、同じ種類の人間だろうな。組に飼われていて、そこから抜け出そうとしない。反社会的な組織や人間の下での生活を心地いいと感じ始めたら、堕ち始めているという証拠だ」
 和彦は苦い笑みをこぼし、ようやくある事実を認める。自分はもう、ヤクザに何かを強いられている〈被害者〉ではない。とっくに〈共犯者〉なのだ。
「先生……」
「もう少しだけ時間をくれ。気持ちを整理している」
 そう言いながら和彦は、三田村の肩に額を押し当てる。押し退けられるかと思ったが、意外にも、肩にかかった三田村の手が背に回された。和彦は胸が詰まったが、何も言えなくなる前にこれだけは確認しておいた。
「……別にやましい気持ちはないが、この部屋、監視カメラがついているんだよな」
「ガキが薬をキメるのに使っているような場所に、そんないいものがついているわけないだろ」
 言い終わると同時に、三田村は和彦が欲しがっているものがわかっているかのように、逞しい両腕が体に回された。
 あれだけ男に抱かれてよがり狂う和彦の様を見ていながら、それでも抱き締めてくれるのだなと思ったら、三田村を自分につけてくれた賢吾の慧眼だけは、認めたくなった。
「どうして、こんなことをしてくれるんだ」
「多分今、先生にこうすることが一番いいと思うからだ」
 三田村らしい答えだと、和彦は小さく笑う。そして自らも、三田村の背に両腕を回した。
「――……これは別に、大事なことじゃない。だから、組長に報告する必要はないだろ」
「そうだ。俺はただ、先生を組長の元に連れて戻るために、説得しているだけだ。だから特別なことじゃない。仕事の一つだ」
 三田村の両腕に力が加わり、二人の体はこれ以上なく密着する。
 この男はこんな体つきをしているのだと、スーツを通して感じる三田村の体の感触を、和彦は新鮮なものとして受け止める。
 何も要求せず、ただ抱き締めてくれる腕の強さが心地よかった。和彦は顔を上げると、相変わらず感情をどこかに置き忘れたような無表情の三田村を見つめる。無表情ながら、今日はわずかに感情が透けて見えそうな気もして、和彦は間近に顔を寄せる。
「……人を慰めながら、弱みを探ってるんだろ。ヤクザのやり口はわかってるんだ」
「わかっているなら油断するな、先生。あんたは口は悪いが、根本的なところで、優しくて、甘い人間だ。だから、ヤクザなんかにつけ込まれる」
 もっともな言葉に思わず苦笑を洩らした和彦は、指先を三田村のあごの傷跡に這わせてから、てのひらを三田村の頬に押し当て、撫でる。すると、三田村の大きな手が、子供をあやすように和彦の背をさすってきた。
 和彦は、両腕を三田村の首に回してしがみつき、耳元で囁いた。
「もっと強く抱き締めてくれ」
「――先生の望み通りに」
 三田村のこの言い方が、やはり好きだった。淡々とした口調とは裏腹に、強く熱い抱擁を与えてくれる律儀さも。


 結局この日、和彦は加入書に署名はしなかった。
 事務所に戻るよう、三田村に言われたが、頑として和彦は動かなかったのだ。
 無理強いするようなら、三田村曰く、『ガキがクスリをキメるのに使っているような』部屋に篭城するつもりだったが、それは未遂に終わった。
 店員が気を利かせて運んでくれたジンジャーエールを飲んでいると、乱暴にドアが開けられ、危うく和彦は口に含んだものを噴き出しそうになる。
「――大丈夫か、先生」
 顔を背けて激しく咳き込む和彦の背が強くさすられる。今日知ったばかりの三田村の手の感触ではなく、また、かけられた声も、忌々しいほど魅力的なバリトンだ。
 本能的な恐怖で身をすくませながらも、苦しさで滲んだ涙を拭って顔を上げると、傍らに賢吾が立っていた。口元に浮かんでいる薄い笑みを見て一瞬怯みかけた和彦だが、普段の条件反射から、睨みつけてしまう。
「殴りたいなら殴れ。だけど、自分からは絶対、あんなものに署名しないからな」
 賢吾は鼻で笑ってから、和彦のあごの下を軽く撫でた。
「俺は、オンナに手を上げない」
「ぼくはっ――」
「つまらない意地を張るな。先生は、痛いのが何より嫌いだろう」
 あごをすくい上げられ、和彦は体を強張らせる。あごにかかった手が、次の瞬間には首を絞めてくる想像が容易につくのだ。
 息を詰める和彦の視界に、出入り口の前に立った三田村の姿が入る。このとき咄嗟に考えたのは、三田村は、この場所で和彦との間にあった行為を、賢吾に報告していないのだろうかということだ。
「……逃げたことは謝る」
「ほう」
 ようやく和彦が絞り出した言葉に、わざとらしく賢吾が応じる。
「だけど、ぼくになんの説明もなく、あんなものに名前を書かせようとしたことは許さない。……ぼくは、ヤクザなんかになるつもりはない」
「俺もするつもりはない。先生は先生だ」
 賢吾の指先に唇を擦られ、うろたえるほど強烈な疼きが背筋を駆け抜ける。動揺を見透かされたくなくて、和彦は虚勢を張るしかなかった。
「信じられるか……。ヤクザが口にする言葉なんて」
「ヤクザだって、形式は重んじる。特に、総和会が絡むときはな。あそこは、十一の組の守り神みたいな顔をしているが、裏を返せば、過干渉の疫病神みたいな面もある。だからこそ、先生には先に、長嶺組の加入書に名前を書いてもらう必要があった」
 賢吾の話を聞いて、数日前、千尋が言っていたことを思い出した。あのとき千尋は、和彦が総和会に『召し上げられる』という言葉を使った。今の賢吾の話は、そのことに関わりがあるのかもしれない。
「先生が、実は長嶺組と縁を切りたがっていると知って、さっき事務所で会った藤倉が、食えない顔をしていたぞ。今頃、ほくそ笑みながら総和会に連絡を取っているかもしれない」
「……総和会の加入書に先に名前を書いたら、どうなってたんだ」
「総和会の幹部の誰かのオンナにされたかもな」
 和彦が眉をひそめると、賢吾はニヤリと笑う。
「消耗品扱いだろうな。それなりの報酬はくれるだろうが、少なくとも自由はない。部屋に閉じ込められたうえで、ただ仕事をさせられる。痛いのは嫌いだと言っても、暴力も振るわれることもあるだろうし」
「その言葉のどこまでが、本当だろうな……」
「ああ、用心深いのはいいことだ。長生きできる確率が少しだけ高くなる」
 指に唇を割り開かれ、すでに気力を使い果たした和彦は、賢吾を見上げたまま素直に口腔に含む。これは賢吾なりの、〈オンナ〉の服従心を試す儀式のようなものなのだと思い始めていた。
 舌を刺激されてから、上あごの裏を指の腹で擦られると、ゾクゾクするほど敏感に感じてしまう。和彦の反応から察したのか、賢吾は低い声をさらに低くして言った。
「ただ、お前ならわかるだろう。――今、感じるセックスを与えてくれているのは誰か、ってことは」
 和彦が目を見開くと、満足したように賢吾は口腔から指を引き抜く。しかも、和彦の唾液で濡れた指をこれみよがしに舐めた。和彦の体の奥で、淫らな衝動が蠢く。
 賢吾はさらに何か言いかけたが、携帯電話の呼び出し音が響いた。ドアを開けたまま部屋の外で待っている組員のもののようだ。すぐに、賢吾が呼ばれた。
「……組長、そろそろお時間が……」
「ああ、今行く」
 そう応じた賢吾に、もう一度あごの下をくすぐられた。
「明日の昼、出かけるから準備をして待っていろ。いいところに連れて行ってやる」
 和彦の返事を聞くまでもない。これは命令だといわんばかりに、賢吾はさっさと背を向けて行ってしまう。
 あとに一人残った三田村が車のキーを見せたので、和彦はぐったりとする暇もなく、のろのろと立ち上がる。
 二人で狭い廊下を歩きながら、近くに他の人間がいないことを確認した和彦は、三田村にだけ聞こえる声で問いかけた。
「組長に、言ってないのか?」
「何をだ」
 その一言で十分だった。
 三田村は、ここで和彦との間にあったことを、賢吾に報告していない。




 エントランスに下りて待っていると、約束の時間通りに車はやってきた。しかも二台。なんだか大事だなと思っていると、一台の車のウィンドーがわずかに下ろされ、そこから覗いた指が和彦を呼ぶ。すぐに表に出て、素早く後部座席に乗り込んだ。
「――少しはマシな顔になったようだな」
 開口一番の賢吾の言葉に、和彦は軽く眉をひそめる。
「マシ?」
「鬱屈が晴れたような顔ってことだ」
「……昨日、思っていることをぶちまけて、多少はすっきりしたのかもしれない」
 答えながら和彦は、自然な素振りを装いつつ、ハンドルを握る三田村へとちらりと視線を向けた。三田村の後ろ姿は何も語らないし、バックミラーにわずかに映る目も、前を見据えたまま動かない。
「いいことだ。俺のオンナに、不景気なツラはしてもらいたくないからな」
「あんたにそう言われるたびに、眉間のシワが深くなる気がする……」
「おお、いつもの調子が出てきたじゃないか、先生」
 楽しげにそう言った賢吾を横目で睨みつけた和彦だが、気がつけば、口元に淡い笑みを浮かべていた。といっても、苦笑のほうだ。
 賢吾のことを、嫌になるほど頑丈な男だと思っていた。肉体的なことを言っているのではなく、精神的にタフだという意味だ。成人した男一人を表の世界からさらってきて、裏の世界に沈めるどころか、自分の〈オンナ〉だと言い切る。挙げ句、息子との共同所有にまでしてしまった。
 とことんまで和彦の意思など無視して、好き勝手に話を進め、決めて、呑ませてしまう。そこに、罪悪感の存在など微塵も感じさせない。和彦の当然の訴えすら、跳ね返す。
 大蛇を背負った化け物みたいな男とまともにやり合っていては、こちらの精神がポキリと折れてしまう。
 昨夜、広いキングサイズのベッドの上を一人で転がりながら、和彦は渋々、この事実を受け入れていた。
 自分はもっと賢くならなければならない。それに、したたかにならなければ――。
「――本当に今日は、いい顔をしている」
 和彦の頬をスッと撫でて、賢吾が耳元に顔を寄せてくる。突然のことに驚いた和彦は目を見開き、間近にある賢吾の顔を凝視する。何かを探るように賢吾は目を細めた。
「目に力があって、表情の一つ一つが冴えている。初めてお前を見たときも、そんな感じだった。陽射しの下がよく似合う、ハッと目を惹くイイ男だった。そのくせ妙な色気があって、うちのバカ息子がのぼせ上がったのもわかった気がした。あいつは俺と似て、面食いだ」
 肩を抱き寄せられ、賢吾の指が唇に押し当てられる。
「お前が逃げ出す可能性があるのに部屋に閉じ込めないのは、そういう姿が見たいからだ。だから、ある程度の自由を許している」
 思いがけない話だった。和彦の生活は、三田村という男をつけられてはいるものの、始終監視されているわけではなく、どこに出かけるのも基本的に自由だ。それが、賢吾なりの〈オンナ〉の飼い方だと思っていた。
「――総和会が、お前に目をつけた。仕事を依頼してきたときに、嫌な予感はしたんだ。自由に使える医者を抱え込めるなんて、そうないからな。しかも、完全に長嶺組の身内というわけじゃない。話があると言って、にこにこと愛想よくうちの事務所に来たと思ったら、総和会で先生を預からせてくれないかと言ってきたんだ」
 三田村の話では、総和会と所属している組の間では、物品や人材を融通し合うと言っていた。しかし、賢吾の言い方は、融通というより徴収だ。召し上げるという千尋の表現は正しかったのかもしれない。
「無碍に断ることができないから、俺たちの見ている前で、加入書に署名させることになったんだ。総和会の言い分としては、一般人を脅して仕事をさせているんなら、規約違反として、総和会で先生の身柄を保護するってな。お前が自分の意思で署名するなら、引き下がるかと思ったが――」
 和彦は思い切り逆上して拒否した挙げ句、逃げ出した。
 うろたえる和彦の唇を、賢吾は指で何度も撫でてくる。
「少しばかり事態がややこしくなった。どう責任を取ってくれるんだ。先生」
 恫喝するような口調とは裏腹に、賢吾は笑っていた。
 ようやく唇から指が離され、和彦は口を開くことができる。
「……自分の理屈ばかり言うな。もしかすると総和会のほうが、長嶺組より居心地がいいと、ぼくが感じるかもしれないだろ」
「ヤクザが言うことだから信用できない、か?」
 和彦は、今言ったようなことを本気で思っているわけではない。これは、駆け引きだ。総和会などというわけのわからない組織に目をつけられて怖いから守ってくれと、面と向かって賢吾に言えるはずがない。なんといってもこの男も、筋金入りのヤクザなのだ。
 だが少なくとも和彦は、賢吾を知っている。肌や筋肉の感触、体を這い回る唇や舌の感触を。おぞましいのに艶かしい刺青も。
 気を悪くしたふうもなく賢吾は頷いた。
「――これから行くところを見てから、答えを出せばいい。長嶺組と総和会、どちらがより、自分を満たしてくれるかな」
 賢吾の提案に、ぎこちなく和彦も頷いた。


 大通りから外れて数分ほど走った車が停まったのは、レンガ造りの六階建てビルの前だった。
 車から降りた和彦は、一階の雑貨屋を見てから、視線を上げていく。それぞれのフロアに入っている会社の看板が出ているが、一番上の階の看板だけは空白だった。
 和彦が傍らに立つ賢吾を見ると、ニヤリと笑いかけられた。
「中に入るぞ」
 促されるまま、もう一台の車に乗っていた組員たちに先導される形でビルに入り、エレベーターに乗り込む。組の人間以外の目がないということもあり、当然のように賢吾に肩を抱かれる。
 不思議なもので、昨日は気が障った行為が、今は素直に受け入れられた。それどころか――。
 知らず知らずのうちに頬の辺りが熱くなり、和彦は手荒く擦る。
 エレベーターを六階で下りると、さほど広くないエレベーターホールは電気がついていないせいもあり少し薄暗かったが、廊下に出ると、外からの陽射しをたっぷり取り入れているため明るかった。ビルの前を歩道と車道が通っているが、遮音は万全のようだ。
 廊下の先にホールがあり、そのホールに面して六つのドアがあった。かつて入っていたテナントの名残りか、ドアにはプレートが貼ってあった形跡がある。
「前まではこのフロアに、小さな会社が二つ、三つ入っていたらしい。会社として考えると、部屋の一つ一つは手狭だが、このフロア全体をクリニックにすると、広さはちょうどいい。診察室に手術室、安静室に事務室――。このホールは待合室でいいな。この廊下の奥にもう一部屋あるが、そこを寝泊りできる部屋にするのもいい」
 和彦はホールの中心に立ち、ゆっくりと周囲を見回す。いままで賢吾とともに物件を見てきたが、こんないい場所を和彦にいままで秘密にしていたのだ。多分、和彦が一目で気に入ると確信があったのだろう。実際、その通りだった。
「美容外科の看板を出す以上、いい加減なクリニックにはできないからな。ここは、目くらましのための舞台のようなものだ。若くてハンサムな先生が切り盛りして、せいぜいいい評判を立ててくれ。ヤクザと繋がっているなんて、一切匂わせないぐらいのな」
「……こちらが努力しても、一目見て怪しい人間が頻繁に出入りしていたら、すぐに感づかれるんじゃないか」
「このビルには非常階段が二つある。他の階は、その非常階段に通じるドアが塞がれていて使えない。だが、この六階からは――」
「呆れた。用意周到すぎるな」
「ヤクザだからな」
 賢吾なりの冗談なのだろうかと、思わず和彦はまじまじと見つめてしまう。そこに、このホールにやってくる足音が聞こえてきた。三田村だ。ビルの隣の駐車場に車を停めてから、上がってきたのだ。
 三田村がやってくるのを待っていたように、急に賢吾がドアの一つに歩み寄り、ポケットから取り出した鍵で開ける。手招きされるまま和彦が歩み寄ると、肩を抱かれて部屋に足を踏み入れた。
 正面に大きな窓があり、しかも景色が開けている。六階ということもあり、当然目の前には、林立する建物の一群があると思っていた和彦は意表を突かれた。
「窓の外を見ていろ」
 賢吾に背を押され、言われるまま窓に近づいた和彦は、ビルの裏に川が流れていることを知った。水の流れは緩やかで、子供が遊びやすそうな川原が広がっている。すでに春の柔らかさを失った強い陽射しが反射して、水がキラキラと輝いていた。
「――初めて見たな」
 隣に立った賢吾がふいに洩らした言葉に、つい景色に見入っていた和彦は我に返る。ちらりと隣を見ると、賢吾は口元に笑みを浮かべて、やはり和彦を見ていた。
「何が……」
「先生が嬉しそうに笑っている顔。仏頂面と、イクときのイイ顔しか見たことがなかったからな」
 恥ずかしいことを言うなと怒鳴ろうとした和彦だが、突然、賢吾が動き、体を大きな窓に押さえつけられた。威圧的に迫ってくる賢吾の姿に、言おうとした言葉は空しく口中で消える。
「ここは、気に入ったか?」
 顔を間近に寄せた賢吾に囁かれ、さすがに意地は張れなかった。
「……ああ」
「この物件を見つけて、手付を打った俺に感謝しているか?」
 和彦は賢吾を睨みつけながら、乱暴に答えた。
「しているっ」
 このあと賢吾がなんと言うか、わかっているのだ。案の定、賢吾はニヤニヤと笑いながらこう言った。
「なら、ご褒美をくれ、先生」
「くれ、と言いながら、いつも強引にもぎ取っていくくせに――」
 唇を塞がれて、和彦はあとの言葉を奪われる。痛いほど激しく唇を吸われ、あまりの勢いに和彦の後頭部がガラスにぶつかるが、一向に気にした様子もなく賢吾は本格的に和彦を貪ってくる。
 押し込まれてきたふてぶてしい舌に口腔を犯されながら、両手が体に這わされ、スーツのジャケットを脱がされて、ネクタイも解かれる。スラックスからワイシャツが引っ張り出されると、片手で脇腹を撫で上げられながら、もう片方の手にワイシャツのボタンを外されていく。
「こんな、ところでっ……、何考えてるっ」
 賢吾の唇が首筋に這わされる頃になって、やっと和彦は抗議の声を上げることができる。ワイシャツの前を開かれ、ごつごつとした感触のてのひらが胸元を這い回り、危うく声が上擦りそうになる。
 唇を引き結んだ和彦が反射的に賢吾の肩に手をかけたそのとき、部屋の隅に立った三田村と目が合った。
 今日も三田村は、絡み合う二人から視線を逸らさない。
 自分たちを見つめながら、この男は何を考えているのだろうかと、純粋に和彦は知りたかった。嫌悪しているのだろうか、それとも――。
「あっ……」
 ふいに胸に小さな痛みが走り、和彦は声を上げる。腰を屈めた賢吾が、和彦の胸の突起にいきなり歯を立てたのだ。だがすぐに、熱く濡れた舌にくすぐるように舐められて、心地よさが胸に広がる。
 顔を上げた賢吾と唇を啄ばみ合っていると、両足の間に片手が押し付けられた。自分の足で立っていられる自信がなくなった和彦は、やむなく賢吾の首に両腕を回してしがみついた。
「乗り気だな」
「誰がっ……」
 耳元で賢吾が短く笑った気配がしたあと、スラックスのベルトを緩められる。
 和彦は窓に押さえつけられながら、スラックスと下着を下ろされ、下肢を剥き出しにした姿にさせられる。賢吾に首筋を舐め上げられてから、大きなてのひらに和彦のものは握り込まれた。
「あっ、あぁっ」
「やっぱり乗り気だ。ここがもう、こんなに熱くなってるぞ、先生」
 握り込まれたものを手荒く扱かれて、和彦は声を洩らしながら懸命に賢吾にしがみつく。容赦なく敏感な先端も責められ、爪の先で弄られると、両足がブルブルと震えてくる。鋭い快感を与えられて腰が引けそうになるが、弱みをしっかり賢吾に握られているため、逃れることもできない。
「……こんな、ところで、しなくても――」
「ここだからいいんだ。まだなんの思い出もない場所に最初に刻み付けるのが、俺と先生の〈愛の行為〉の思い出なんて、素敵だろ」
 賢吾の指に先端を擦られ、すでに滲み出ている透明なしずくをヌルヌルと塗り込められる。和彦は小刻みに体を震わせ、熱い吐息をこぼした。
「ヤクザが、似合わない言葉を、口にするな……」
「なら、ヤクザらしく言ってやろうか? ――早く突っ込ませろ。ケツに、お前が悦ぶものをたっぷり注ぎ込んでやる」
「最低だっ」
「ヤクザだからな」
 間近で睨みつけると、和彦の反応が楽しくて仕方ないといった様子で賢吾が笑う。それから濃厚な口づけを与えられ、たっぷりの唾液を流し込まれた。唇の端から滴り落ちる、どちらのものとも知れない唾液をベロリと舐め取られ、そのまま和彦は賢吾と舌を絡ませる。
 口づけと、絶えず与えられる敏感なものへの愛撫に、つい目を閉じて酔っていた和彦だが、ある気配を感じてハッと目を開く。いつの間にか、二人のすぐ傍らに三田村が立っていた。
 困惑する和彦に対し、賢吾がこう言った。
「壁に先生をすがりつかせるのも、危なっかしいからな」
 軽く突き飛ばされ、足元にスラックスと下着が留まっている和彦は簡単によろめき、そこを三田村に受け止められたうえに、向き合う形できつく抱き締められた。
「なっ――……」
「三田村、しっかり支えてやってくれ。感じ始めると、よく暴れるからな、先生は」
 和彦は目を見開き、三田村を見上げる。三田村はいつものようにごっそりと感情を置き忘れたような無表情で和彦を見ていた。そのくせ、抱き締めてくる腕の力は強い。
 賢吾に、スラックスと下着を片足から抜き取られ、足を広げさせられる。羞恥や屈辱を感じる間もなく、唾液で濡れた指が和彦の内奥を押し開き始めた。
「あっ……、うっ、うっ」
 賢吾に背後から腰を引き寄せられ、指の侵入が深くなる。同時に賢吾のもう片方の手には、すでに反り返って硬くなっているものを握られ、緩やかに扱かれる。
「うあっ……」
 信じられない状況に陥っても、体は与えられる愛撫を素直に受け入れる。しかも、総毛立つような興奮を付加してくれた。
 内奥に付け根まで挿入された指がゆっくりと曲げられ、腰が震える。足に力が入らなくなっているが、三田村が支えているため座り込むこともできない。和彦は耐えきれなくなり、三田村の背に両腕を回してすがりついていた。
「はあぁっ、んっ、んあっ」
 内奥から指が出し入れされ、攻めるタイミングを知り尽くしたように、ときおり浅い部分を強く指の腹で押される。
「――変わった趣向で興奮しているのか? 中がもう、ビクビクと痙攣しっぱなしだ。……三田村にしがみつくだけで、この感じっぷりだ。日ごろ、先生を大事にしている俺としては、少々妬けるな」
 背後からの賢吾の言葉は、冗談のようであり、そこに本気を込めているようにも聞こえる。内奥を指で掻き回され、声を上げながら和彦は、ますますきつく三田村にしがみつくことになる。
 なんとか顔を上げて確認したが、三田村はやはり無表情だった。その三田村は、絶えず賢吾の表情を見ているはずだ。今、賢吾がどんな顔をしてるのか、ひどく知りたかった。
 妬けると言ったその顔は、どんな表情を浮かべているのか――。
 和彦は、賢吾が自分に持っているかもしれない執着心を想像するだけで、ゾクゾクするような興奮を覚え、身震いする。三田村の腕がその震えすら受け止めてしまうことにも、快感めいたものを覚える。
 賢吾の手が尻から腰を撫で回し、さらに上へと移動して胸元に這わされる。興奮のため硬く凝ったままの突起を抓るように刺激され、引っ張られる。和彦は小さく悦びの声を上げ、三田村の首筋に顔を寄せた。意図しないまま熱い吐息をこぼすと、三田村の肩が微かに揺れる。
 ふいに賢吾に腰を抱え直され、和彦のものは掴まれる。
「まだイかせない。いつもは先にたっぷりイかせてやるのが俺のやり方だが、今日は違う。俺は甘やかすばかりじゃないぞ、先生」
 笑いを含んだ声でそう言った賢吾に、背後からあごを掴まれて顔を上げさせられ、熱い舌で耳を舐められる。
「くうっ……」
 おぞましさと紙一重の快感に、和彦が小さく声を洩らすと、その瞬間の顔を間近から三田村に見つめられた。数秒ほど見つめ合ったが、すぐに和彦は三田村にしがみつき、肩に顔を埋める。賢吾が侵入を始めたのだ。
「ううっ、うっ、うあっ」
 乱暴に腰を引き寄せられるたびに、三田村から手が離れそうになり、和彦は手繰り寄せるように三田村の肩に掴まる。それに応えるように三田村もまた、和彦をしっかりと抱き締めてくれる。
「……自分のオンナが、うちの若い衆と抱き合っている姿を見ながら、その尻を犯すってのは、初めての趣向だが――興奮する。息子とオンナを共有するぐらいにな」
 そんなことを言いながら賢吾に、内奥に太い部分を呑み込まされる。和彦は荒い呼吸を繰り返しながら、背後から押し寄せてくる衝撃をなんとか耐える。
 賢吾は緩やかに腰を揺らしながら、苦しさに呻く和彦に愛撫を与え始めた。
「んうっ」
 反り返ったまま震える和彦がてのひらに包み込まれ、柔らかく扱かれる。
「――三田村、先生の髪を撫でてやれ。今なら、おもしろいほど感じるぞ」
 賢吾は、和彦の体の反応を知り抜いていた。従順に命令に従った三田村にそっと髪を撫でられた瞬間、和彦は鳥肌が立つような快美さに全身を貫かれた。
「感じているな。中がいやらしく蠢いている」
 残酷なほど的確に動く賢吾の指に和彦のものはいたぶられ、極めそうになると根元をきつく指の輪で締め付けられて、太いもので内奥を容赦なく犯される。
「あうっ、あうっ、んっ、あんっ――」
 和彦が苦しがっていると思ったのか、三田村に何度も髪を撫でられ、付け根を刺激するように梳かれる。絶妙のタイミングで、根元までしっかり埋め込まれた賢吾の肉の凶器に、内奥深くを抉るように突かれていた。
「ひっ……、あっ、はあぁ……」
「もう限界か?」
 はしたなく透明なしずくを滴らせている先端を優しく指の腹で撫でながら、賢吾に問われる。愉悦に喘ぐ和彦は、一片の悔しさを噛み締めて頷いた。
 だが次の瞬間、自分を貫いているのはヤクザなのだと、嫌というほど思い知らされる。
「――イかせてもらいたかったら、うちの組の加入書に名前を書くと誓え。用紙と万年筆はここに持ってきている。『書く』と答えれば、お前の望み通りにしてやる」
 再び、限界を迎えかけている和彦のものを指で縛めて、賢吾が大胆に腰を使う。内奥を熱いもので強く擦り上げられることが、たまらなく気持ちいい。和彦は顔を上げて悦びの声を上げる。
「さあ、『書く』と言え」
「あっ、あっ……、ここを見てから、ぼくに、答えを出せとっ……。これは、無理強いと同じ、だ――」
 必死の和彦の抗弁を、賢吾は鼻で笑った。
「懲りないな、先生。ヤクザの言葉を何度信じるんだ」
 腰を引き寄せられ、強く突き上げられる。全身が痺れるほどの快感を送り込まれながら、決定的な絶頂感はやってこない。賢吾の指に塞き止められているせいだ。
 助けを求めるように三田村を見つめると、抱き締めてくる腕の力が強くなる。息も止まりそうなきつい抱擁に、和彦は甘い眩暈を覚えた。
「はっ……」
 内奥で賢吾のものがドクンと力強く脈打ち、震える。賢吾が獣のように低い唸り声を洩らし、熱い精を放った。和彦は腰を震わせ、歓喜しながら賢吾のものをきつく締め付け、放たれた精をすべて自分の内で受け止める。
「――書くか?」
 荒い息を吐きながらの賢吾の言葉に、逆らう術もなく頷いていた。
「いい子だ。それでこそ、俺のオンナだ」
 そう言って賢吾が、内奥から自分のものをゆっくりと引き抜いていく。和彦はうろたえ、なんとか振り返ろうとするが、体内に留まり続ける快感のせいで、自由が利かない。少しでも動けば、せっかく育てた快感が逃げていってしまいそうだ。
「しっかりケツを締めてないと、溢れ出すぞ」
「な、んで……」
「今言っただろ。ヤクザの言葉を何度信じるんだって。――昨日事務所から逃げ出したお仕置きだ。ケジメは、つけておかないとな」
 怒鳴りたいのに、言葉が出てこない。これがこの男のやり方なのだと、一瞬にして体に思い知らされたからだ。そして、自分が悪かったのだとすら思ってしまう。
 短期間で、見事にヤクザに調教されていた。
 名残惜しそうに和彦の高ぶりを撫でてから、スッと賢吾が手を離す。決定的な瞬間を逃してしまい、和彦の欲望は熱く震えるばかりだ。
「三田村、先生の後始末を手伝ってやってから、送り届けてやれ。もちろん、うちの加入書を書かせろ。俺は、総和会に顔を出してくる。もう一度藤倉を呼ぶ段取りをつけないとな。後日、先生にはにっこり笑って、長嶺組の人間ですと名乗ってもらって、藤倉の苦虫を噛み潰した顔を拝んでやる。先生が総和会の加入書に名前を書くなんざ、そのついでだ」
 好き勝手言ってから賢吾は部屋を出ていき、あとには和彦と三田村の二人が残される。この状況にも、少しぐらい免疫ができてもいいようなものだが、和彦は羞恥と屈辱で体を震わせる。
「――先生、後始末をしよう」
 落ち着いた声で三田村が言い、慎重に体を離そうとする。和彦は必死に告げた。
「自分で、するっ……。窓のほうを向いていてくれ」
 三田村は何も言わず、和彦の手に自分のハンカチを握らせて、窓のほうを向く。
 いまさら三田村に対して、賢吾との情交の後始末を任せることを恥らっても仕方ないのだ。この男は、もう何度も和彦の体にそのために触れている。機械的な手つきは、和彦のささやかなプライドを守ってくれさえする。
 なのに今は、耐えられなかった。きつく抱き締めてくる腕の強さや、髪を撫でてくる手の優しさを知ってしまうと――。
 こちらに背を向けている三田村に対して、さらに和彦も背を向けて自分の下肢の汚れを簡単に拭う。とりあえず、マンションに帰りつくまで不快さに耐えられればいい。
 片足だけ脱がされていたスラックスと下着をなんとか穿いたが、それだけで足元がふらつき、息が乱れる。解放されていない欲望が出口を求め、体内で暴れている。
「――先生」
 すべてを察したようなタイミングで三田村に呼ばれる。和彦が振り返ると、いつの間にか三田村がこちらを見ていた。
「ひどい格好だ」
 そう言って片手を差し出され、引き寄せられるように和彦はその手を取っていた。ぐいっと強い力で引っ張られ、三田村の胸に受け止められた。
「俺にしてもらいたいことは?」
 ハスキーな声をさらに掠れさせて三田村に囁かれる。和彦は目を見開いて、無表情の三田村を凝視してから、こう告げた。
「……ぼくの、後始末を……手伝ってくれ」









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