と束縛と


- 第30話(2) -


 水が撒かれ、葉についた水滴がきらめいている中庭を、和彦はうっとりと眺める。
 朝、眠気を完全に払拭できた状態で、出勤するまでのわずかな時間をこうやって過ごせるということは、肉体的にも精神的にも安定している証拠だと思っている。
 もう、自分は大丈夫だ――。
 確認するように、胸の内で呟く。英俊と会うと決めてから、会ってから、日常に影が差したようで、不安で落ち着かない日々を過ごしていたが、その感覚もずいぶん薄らいだ。和彦にとっての日常が戻ってきたのだ。
 長嶺の本宅に滞在し、誰彼となく気遣ってくれる生活は、ある種の癒しだ。ささくれ立った気持ちが和らぐ。だが、癒しも過ぎれば、甘えが出てきそうで、それが和彦は少し怖い。いくらでも甘えればいいだろうと、ここで暮らしている長嶺の男たちは言うだろうが。
 不意に、ジャケットのポケットの中で携帯電話が鳴った。こんな時間に誰だろうかと思いながら携帯電話を取り出した和彦は、表示された名を見て、微妙な表情を浮かべる。
『――いつまで俺を放っておく気だ』
 電話に出た途端、皮肉っぽい口調で言われた。和彦はさりげなく周囲を見回してから応じる。
「朝からどうして、あんたの声を聞かないといけないんだ……」
『それは、俺が真っ当な勤め人だからだ。一応、お前もな。連絡を取り合うには、一番いい時間帯だと思うぜ』
 和彦は露骨にため息をついたが、鷹津は意に介した様子もなく、朝は忙しいとばかりにすぐに本題を切り出した。
『で、俺に餌を食わせてくれる気はあるのか?』
 とぼける要領のよさがあるはずもなく、和彦は動揺しながら応じる。
「朝から話すようなことかっ」
『ほお、感心だな。覚えていたか。俺がお前のために働いたことを。役に立っただろ』
「……あいにく、あんたが教えてくれた情報を、兄さんに直接ぶつけることはできなかった。ぼくの背後に誰がいるのか、探られるのも嫌だったし。だけど、事情を少しでも知っておいたおかげで、兄さんの話に対して警戒できた」
 話しながら、英俊と会ったときのことを鷹津に話すのは、今が初めてであることに気づく。和彦としては、こちらからわざわざ報告するのはどうなのだろうかと考えていたのだが、鷹津であれば、知りたければもっと早くに接触してきたはずだ。
 ここで和彦は、ふとある可能性に思い至る。他の男たちがそうであったように、鷹津もまた和彦を気遣い、時間を置いていたのではないか、と。それとも、賢吾から何かしら釘を刺されていた可能性もある。鷹津に尋ねてみたいが、素直に話してくれるとも思えない。
『おい、聞いているか。まだベッドの中か?』
「起きているっ」
『――今夜はどうだ』
 唐突に言われ、和彦は面食らう。胸の鼓動が速くなり、顔が熱くなってきた。自分のこの反応の意味をあえて深く考えず、和彦は低く抑えた声で答えた。
「別に……、今夜は予定はない」
『そりゃあ、よかった。無理だと言われたら、クリニックに乗り込むつもりだったんだがな』
「刑事が営業妨害をするつもりだったのか」
『まさか。だから今、お前の予定を聞いてやっただろ。お前が無事だったことを祝って、今夜は長嶺組に、いいホテルを予約させてやるか』
 交渉は自分でやってくれと言い放ち、和彦は電話を切ろうとしたが、鷹津に呼ばれて動きを止める。
『お前が兄貴に連れ去られるんじゃないかと、少し気になっていた。なんといっても、ヤクザにつけ込まれるような、間が抜けている奴だからな』
 鷹津のあまりの物言いに和彦は、腹が立つよりも笑ってしまう。確かにその通りだと思ったからだ。
「ああ。刑事にまでつけ込まれているぐらいだしな」
 和彦の耳に届いたのは、鷹津の抑えた笑い声だった。


 昨日は、朝から晩までカウンセリングや施術で多忙だったのだが、今日は打って変わって、余裕があった。暇、という一言で表現できるのかもしれないが、そうはいっても、患者の予約が入っていないからといっても、やることがないわけではない。
 看護師を含めたスタッフたちは、来月開催されるセミナーに出席するため、打ち合わせを行っている。本来であれば和彦も、美容外科医としての見聞を広げるために、展示会や海外出張に出かけたいのだが、現状では難しい。だからこそ、クリニックにいても入手できる情報には、丹念に目を通していた。
 今も、会員となっている学会から送られてきた資料を、黙々と読んでいる。あまりに患者が来ないのは困りものだが、たまにはこういう日があってもいいと、密かに和彦は思っていた。
 今朝の目覚めのよさに始まり、クリニックの落ち着いた空気といい、なんとなく今日は気分がよかった。英俊と会ってから、ようやく平穏さを堪能できている気がするのだ。
 ここで和彦の脳裏に、今朝の鷹津との電話の内容が蘇る。同時に、電話の最中の自分の反応も。
 一人でうろたえた和彦は、慌てて思考を切り替える。あの男のことは、今は関係ないはずだ。
 気分を変えるため、紅茶でも淹れてこようかと立ち上がろうとしたとき、デスクの引き出しに入れてある携帯電話が鳴った。一瞬、鷹津からかと思ったが、それはありえないことだと、次の瞬間には思い直す。
 実際、電話は長嶺組からだった。和彦がクリニックに詰めている時間帯に電話がかかってくるとなると、用件は限られている。
 和彦の中に緊張が走る。診察室を出た和彦は廊下を見渡し、スタッフたちがミーティング室にまだ集まっていることを確認してから、素早く仮眠室に移動する。
 ドアを閉めると同時に電話に出ると、緊迫した空気が即座に伝わってきた。
「何かあったのか?」
 和彦の問いかけに、組員がわずかに口ごもった気配がした。
『……お仕事中にすみません。先生に連絡していいものか、迷ったのですが――』
「今日は夕方まで予約が入っていないから、大丈夫だ。それで?」
『実はある組から、緊急で診てもらいたい患者がいると連絡が入りました。最初は、別の医者に診せたそうなのですが、ひどい状態らしくて……』
「どうひどいのか、実際に診てみないとわからないが、もしかして、ぼくの手に余る状態かもしれないな」
 これまでも、具体的な症状がわからないまま現場に連れて行かれ、想像以上に凄惨な患者の姿を目の当たりにしたことはあった。そのたびに、動揺したあと、逃げ場のない状況で覚悟を決めてきた。これが、自分がこの世界で与えられた義務なのだからと。それと、おこがましいが、医者としての使命感から。
「とにかく行ってみよう。もし、患者の治療に手間取るようなら、こちらの予約を断るしかない。状況を見て判断するから、いつものように準備をしておいてくれ。今から――五分後に下りる」
 和彦は仮眠室を出ると、その足でミーティング室を覗く。廊下の短い距離を歩く間に、適当な言い訳は考えた。
 家族が体調を崩して病院に運ばれたため、付き添ってくる、というものだ。自分が家族を言い訳に使うというのも妙な話だと思いはしたものの、こだわっている時間はない。
 和彦は、スタッフたちに見送られてクリニックを出る。小走りでビルから離れると、タイミングを見計らっていた長嶺組の車がスッと傍らで停まり、素早く周囲を見回してから乗り込んだ。
 組員に頼んで、現在患者を見ている者と連絡を取ってもらい、和彦が直接電話に出て、様子を説明してもらう。
 あえて病院に行かないということは、状況は限られている。説明を受けながら和彦は、自分の表情がどんどん厳しくなっていくのがわかった。
 車で一時間近く走って到着したのは、古びたマンションだった。もともとの住人が少ないのか、それとも平日の昼間ということで仕事に出ているのか、不気味なほど静まり返っている。付近は空き地が多く、往来を歩く人の姿もないため、緊迫した顔の男たちが慌しくうろついたところで、見咎められることはなさそうだ。
 組員に伴われてエレベーターで三階へと上がる。一室だけドアが開いたままとなっており、男が一人立っていた。こちらを見るなり、暗い表情のまま頭を下げた。その光景を見た途端、和彦は嫌な気分に陥った。嫌な予感はさきほどから感じていた。それが裏づけられたという意味で、嫌な気分になったのだ。
 部屋に上がった和彦はすぐに手を消毒して、手術の準備を整えてから奥の部屋へと足を踏み入れる。むせるほどの血の匂いが漂っており、ビニールが敷き詰められた床の上には、真っ赤に染まったガーゼがいくつも落ちていた。
 手術台の上に男が横たわっているが、血の鮮烈な赤さとは対照的に、顔色は蒼白を通り越し、紙のように白かった。驚いたことに、バイタルモニターに繋がれてもおらず、まさに放置されているような状態だ。
 その理由を、和彦はすぐに察した。男に声をかけながら脈を取ってみる。意識はなく、脈拍も弱々しい。腰に当てられたガーゼを取り除いてから、小さく声を洩らす。刺傷だと聞かされてはいたが、治療した痕跡は見られなかった。
「……ぼくの前にも、医者が来ていたんじゃないのか……?」
 和彦が鋭い視線を向けると、部屋の外に立った男が淡々とした表情で応じる。
「自分では治療は無理だと言っていました。傷口に触って、これ以上出血をさせるほうが危険だと」
「だからといって、輸血もしなかったのかっ? 明らかに、ショック状態の症状が出ているじゃないかっ」
 患者はすでに、体から大量の血液を失っており、瀕死となっている。和彦の前に来た医者が『無理』という言葉を使ったのは、手の施しようがないという意味も含んでいるのだろう。
「――……傷の手当ては後だ。血液の循環を安定させることを優先する……」
 自分には『無理』という言葉は使えない。その意識から、和彦がようやく絞り出したのは、この指示だった。


 グラスに入ったワインを飲み干した鷹津が、正面の席につく和彦を無遠慮な眼差しで見つめてくる。これは今に始まったことではなく、待ち合わせ場所となっていたシティホテルのロビーで顔を合わせてから、ずっとだ。
 まずは食事をと、ホテル内のレストランに入ったが、メニューを見るよりも、和彦の顔を見つめる時間のほうが長かったぐらいだ。
 嫌になるほど勘の鋭い男は、和彦の異変を一目で見抜いたのだろう。和彦も、あえて鷹津の前で自分を取り繕うマネはしなかった。とにかく今日は、疲れていた。
 英俊との間で交わされた会話を端的に伝えてしまうと、もう口を開くのも嫌になっていた。
「本当は来たくなかった、という顔だな。朝電話をしたときは、乗り気という感じだったのに」
 いつもであれば、鷹津の性質の悪い冗談に即言い返すところだが、和彦は表情を変えないまま顔を背ける。
「……今夜はもう帰りたい」
「ふざけたことを言うなよ、佐伯。目の前で餌を見せ付けておいて、お預けなんて、許すわけがないだろ」
 食事を続ける気にもならなくて、和彦は静かにナイフとフォークを置く。すかさず鷹津に問われた。
「何があった? 今のお前にそんな顔をさせるとしたら、実家のことぐらいだろ」
「実家はまったく関係ない」
 ここで和彦は一旦口を閉じるが、鷹津はさらなる言葉を待っている。黙り込んでいるわけにもいかず、和彦は周囲のテーブルにつく客たちの耳を気にしつつ、短く告げた。
「――患者を死なせた」
 鷹津は特に表情も変えず、自分でグラスにワインを注ぎながら、事も無げに答える。
「なんだ。いままで死なせたことがなかったのか」
 さすがの和彦も絶句して、すぐには声が出てこなかった。別に鷹津から、慰めや励ましの言葉を期待していたわけではない。だが、さすがにこの反応は予想外だった。
「あんた……、本当に嫌な男だな」
「お前の期待に応えてやったんだ。それとも、俺が優しい男だとでも思っていたのか?」
 和彦は、まじまじと鷹津の顔を見つめる。癖のある髪をオールバックに撫でつけ、無精ひげを生やし、どこか剣呑とした雰囲気を漂わせた男は、触れれば切れそうな鋭さを秘めており、優しさは微塵も感じさせない。ドロドロとした感情で澱んだ目が、その印象に拍車をかけている。
 愚痴や弱音をこぼすには、これほど相応しくない男はいないかもしれない。ただ、少なくとも和彦は、鷹津には気をつかわなくて済む。
「ぼくをつき合わせるんだから、話ぐらい聞け」
「ああ、聞いてやるぜ。俺はお前の番犬だからな。なんでも言うことを聞いてやる」
 和彦がぐいっとグラスを差し出すと、鷹津は文句も言わずにワインを注いでくれた。ワインを一口飲んでから、和彦は昼間の出来事を思い返す。
「……何もできなかったんだ。目の前で、呼吸も満足にできなくなっている患者に。輸血も間に合わなかった。そもそも手術しようにも、心臓がもたなかったはずだ。死ぬべくして、死んだんだ」
「お前もともと、外科医を目指していたんじゃないのか。美容外科に進む前までは、救急にもいたはずだろ。そのとき、担当した患者がまったく死ななかった、というわけじゃねーだろ」
「設備や医者、看護師が揃った状況と、何もない……、ぼくみたいな医者一人しかいない状況じゃ、噛み締める後悔や悔しさの種類が違う」
「逃げ出したくなったか?」
 どこか嘲笑を含んだ鷹津の指摘に、和彦はドキリとする。あえて目を逸らしていた素直な気持ちを、完全に見抜かれたと思った。
「あの患者の、何も知らされていない。患者の名前も、入っている組の名前も、どういう状況で傷を負ったのか。ぼくが帰ったあと、遺体はどうなったのかすら」
「知ってどうする。お前の罪悪感が軽くなるわけでも、お前の医者としての腕が上がるわけでもないだろ。責任を取って医者をやめるか?」
 忌々しいほどに、鷹津の言うことはもっともだった。和彦がショックを受けたところで、現状は何も変わらない。自分には治療は無理だと言い置いて帰った医者と、少しばかり足掻いた自分との間に差異はないのだ。無力だった、というひとくくりで片付いてしまう。
「お前は、長嶺組や総和会と関わり続ける限り、こういう思いをこれから何度も味わうぞ」
 鷹津の声が低く凄みを帯びる。その迫力に、和彦が目を見開くと、鷹津はニヤリと笑った。
「性質のよくない男たちは、お前がそうやって苦しむ姿を見て、喜ぶかもな。苦しむたびに、お前は裏の世界にとってますます都合のいい医者になっていく。オンナとしてはすでに申し分ないが、医者としても――」
 不意に鷹津が言葉を切り、再びグラスのワインを飲み干して立ち上がった。驚く和彦に対して、お前も立てと言わんばかりに、あごをしゃくられた。
「お前の辛気臭い顔を見ながら飲み食いしても、少しも美味くない。さっさと部屋に行くぞ」
「……そんなに辛気臭いなら、さっさと帰ってしまえと言ったらどうだ」
「俺相手に、とことん嫌な奴だと罵倒し続けていたほうが、気が紛れると思わないか?」
 意外な発言に和彦が目を丸くすると、鷹津がもう一度あごをしゃくる。見えない糸に操られるように、ぎこちない動きで和彦も立ち上がると、先を歩く鷹津について行く。
 長嶺組によって予約された部屋は、やはり立派なダブルルームだった。当然、ワインも準備されている。
 部屋をぐるりと見回した和彦は、今のような心理状態のときは、こんな部屋に一人で閉じこもり、広すぎるベッドの上で何度も寝返りをうって、自己満足の自己嫌悪に思うさま浸りたかった。
 傍らに鷹津の気配を感じてハッとする。和彦は反射的に距離を取ろうとしたが、それより早く鷹津に腕を掴まれて、乱暴に引っ張られた。
「おいっ――」
 鷹津の両腕の中に閉じ込められた和彦は、本気で嫌がって身を捩り、逃れようとしたが、力任せの抱擁を振り解くことはできない。
「離せっ。そういう気分じゃない。帰りたいんだっ……」
 和彦は声を上げ、全身を使って拒絶の意思を示す。しかしそれでも鷹津は動じないどころか、腕の力がますます強くなる。
 抵抗は無駄だと、不意に悟った。暴れるのをやめ、抑えた声で鷹津を罵る。するとなぜか、鷹津の腕からも力が抜けた。暴力的だった抱擁が、ようやく普通の抱擁になったようだった。
 この男は、自分を抱き締めてくれているのだと、唐突に和彦は理解できた。
 数分ほど、二人とも身じろぎもせずにいたが、耳元で鷹津の息遣いを感じているうちに、和彦の体から強張りが解けていた。それを機に、鷹津の背におずおずと両腕を回す。鷹津は何も言わず、まるで子供でもあやすように和彦の背をさすり、髪を撫で始めた。その感触が、驚くほど心地いい。
 昼間、患者を目の前で看取ってから、クリニックに戻って仕事をこなしながら、表面上は平静を装っていた和彦だが、ずっと動揺していた。
 心のままに取り乱したいのにそれができず、手足を動かしながら、どこか自分のものではないような気がしていた。それが、鷹津の腕の中にいて、体温を感じて、ようやく自分を取り戻せたようだった。
 自覚もないまま、鷹津の背に回した腕に力を込める。すると、応じるように鷹津の腕にも力が込められた。和彦が伏せたままだった視線を上げると、鷹津と目が合った。今の鷹津の目にあるのは、狂おしい熱っぽさだけだ。
 急に、猛烈な羞恥を覚えた和彦は、うろたえながら慌てて鷹津から体を離そうする。しかしそれは許されず、後頭部を押さえつけられて強引に唇を塞がれた。
 痛いほどきつく唇を吸われて、それだけで和彦の足元は乱れる。咄嗟に鷹津のシャツを握り締め、そこでもう離れられなくなった。
 一度唇を離した鷹津と、間近で視線を交わす。互いの目を見つめ合ったまま、唇を触れ合わせ、熱い吐息を溶け合わせていた。唇を吸い合い、舌先を擦りつけ合ってから、余裕なく舌を絡ませ合う。そのままもつれ合うようにベッドに移動し、和彦は押し倒された。
 覆い被さってきた鷹津に靴を脱がされて、乱暴な手つきで下肢を剥かれる。片足を抱え上げられ、いきなり内奥の入り口に唾液を擦りつけられた。ほとんど肉を解されないまま、すでに高ぶった欲望を押し当てられる。和彦は鷹津の腕に手をかけていた。
「……痛いのは、嫌だ……」
「あとで、嫌というほどよがらせてやる。――俺のほうは、興奮しすぎて頭がクラクラしているんだ。とにかくさっさと突っ込ませろ」
 下品な言い方をするなと怒鳴りつけてやりたかったが、和彦の口を突いて出たのは、呻き声だった。
 ふてぶてしい逞しさを持つ熱の塊に、内奥の入り口をこじ開けられる。ここのところ、男たちに念入りに愛されることに慣れきった部分が悲鳴を上げるが、鷹津は動きを止めない。
 太い部分を強引に呑み込まされたとき、和彦の目尻から涙が伝い落ちる。誘われたように鷹津が前屈みとなり、和彦の涙を吸い取った。このとき、内奥をさらに欲望で押し広げられ、声を洩らす。
「痛いか?」
 低い声で鷹津に問われ、和彦は恨みがましく睨みつける。
「当たり前だ……」
「そうか。俺もきつい。お前の尻が、俺のものを食い千切りそうなほど、締め付けてくる。どいつもこいつもお前を甘やかしているんだろうが、この痛みが、繋がる醍醐味だ。俺は、お前を犯している」
 物騒なことを言いながらも、唇に触れる鷹津の息遣いは、羽根でくすぐってくるかのように優しい。和彦は息を喘がせると、鷹津の頬に片手を押し当てる。和彦の求めがわかったように、鷹津が唇を触れ合わせてきた。
 濃厚に舌を絡めながら、互いの唾液を啜り、貪り合う。その間も鷹津の侵入は深くなり、和彦は内奥を深々と貫かれていた。痛みに怯えていた肉がざわつき、うねるように鷹津の欲望を締め付ける。官能の高まりを知らせるように、内奥の襞と粘膜が、擦られることによって次第に快感めいたものを発し始める。
「あっ、あっ、あっ……ん、んんっ、あんっ」
 緩やかに内奥深くを突かれ、口づけを解かれた和彦は悦びの声を上げる。鷹津の唇の端に笑みが刻まれた。
「もう感じ始めたのか。いやらしいオンナだ」
 そう言う鷹津も、ひどく興奮していた。その証拠に、内奥で息づく欲望は力強く脈打ち、これ以上ないほど大きく膨らんでいる。鷹津のほうにこそ、余裕がないのだ。
 和彦が物言いたげな視線を向けると、鷹津は傲然と言い放った。
「中に出してやるから、しっかり受け止めろ」
 鷹津を押し退けようと、肩に手をかけた和彦だが、結局、必死にシャツを握り締めてすがりついていた。


 温めの湯に胸元まで浸かりながら、ほっと息を吐き出した和彦はわずかに身じろぐ。背に感じるのはバスタブの感触ではなく、ごつごつとした男の筋肉の感触だった。ぴったりと重なっている感覚が心地いいと感じるのは、湯のせいかもしれない。
 標準より大きめのバスタブだが、成人した男二人が入ると、さすがにゆったりというわけにはいかない。和彦は両足を思いきり伸ばせないため、少し膝を曲げた姿勢で湯に浸かっている。そんな和彦を背後から抱えるようにして座っている鷹津も、窮屈そうだ。だが、だからこそ、互いに体を密着させることになる。
 思い出したように鷹津の唇がうなじに押し当てられ、和彦は声にならない声を上げる。ベッドで性急に繋がったあと、湯を溜めたバスタブに連れ込まれたのだが、体の熱は冷めるどころか、官能が高ぶったまま燻ぶり続けている。それは、鷹津も同じようだ。腰の辺りで感じる欲望は、いつの間にか雄々しく育っていた。
 どういう意図でこうして一緒に湯に浸かっているのか、和彦にはわからない。鷹津は何も言わないまま、さきほどまでの乱暴な行為とは対照的に、和彦を丁寧に扱っていた。
 最初は戸惑っていた和彦も、湯の温かさと鷹津の抱擁に、完全に身を任せきっていた。それを待っていたように、鷹津の手が動く。
 胸元に手が這わされ、くすぐるように胸の突起を弄られる。もう片方の手は、両足の間に入り込み、和彦の欲望を握り締めて緩く扱き始めたのだ。
「うっ……」
 微かに声を洩らした和彦が身じろいだ拍子に、小さく水音が立つ。振り返ると、じっとこちらを見つめている鷹津と目が合った。何も言われなかったが、和彦から顔を寄せ、そっと唇を重ねる。唇と舌を吸い合いながら、鷹津の愛撫を体に受ける。
 片足を持ち上げられて腰を浮かされると、支えがほしくて上体を捩り、鷹津の肩にすがりついた。
 一度、欲望に奥までこじ開けられ、精を注ぎ込まれた内奥は、突き込まれた鷹津の指を嬉々として締め付ける。指が蠢かされ、湯が内奥に入り込むが、その感触にすら和彦は感じてしまう。
「痛くないか?」
 真剣な声で鷹津に問われ、和彦は頷く。
「なら、まだまだ楽しめるな」
「な、に、言って――」
「さっき言っただろ。あとで嫌というほどよがらせてやると。お前も知ってるだろ。俺はけっこう、律儀なんだ」
 ヌケヌケとそう言った鷹津が、内奥から指を引き抜く。そして、こう命令された。
「体の正面をこっちに向けて、俺の腰に跨れ」
 素直に従えるはずもなく、鷹津を睨みつけた和彦は立ち上がろうとしたが、腰に腕が絡みつき、そのうえ尻の肉を乱暴に鷲掴まれる。噛み付くように唇を吸われ、湯に浸かったまま軽い攻防を繰り広げたあと、和彦は体の向きを変え、鷹津の腰の上に座った。
 向き合った鷹津と見つめ合うことに、苦痛に近い羞恥を覚える。和彦は顔を背けようとしたが、追いすがってきた鷹津に唇を求められ、応じる。
 高ぶった二人の欲望がもどかしく擦れ合い、無意識のうちに和彦は腰を揺らす。鷹津の指が思わせぶりに、内奥の入り口をまさぐってきた。
「俺が欲しいか?」
 内奥に指を浅く挿入され、和彦は上擦った声を洩らす。
「早く答えないと、このままのぼせるだけだぞ。時間がもったいないだろ。楽しめるときに、楽しんでおかないと」
「……自惚れるな……」
「俺は、お前が欲しい」
 強い眼差しで見据えてきながら、鷹津が言う。和彦は目を丸くして、つい鷹津の頬にてのひらを押し当てた。相変わらず嫌な男だと思う一方で、今夜の鷹津は――甘い。
 思い当たる節がある和彦は、単刀直入に問いかけた。
「ぼくが弱っているから、気遣っているのか?」
「いいや。たまには趣きを変えてみようと思っただけだ。――今夜は、お前を甘やかしてやる。恋人同士みたいに愛し合おうぜ」
 和彦は返事をせず、オールバックが崩れてしまった鷹津の髪をなんとなく撫でる。鷹津はその手を取り、てのひらに唇を押し当ててきた。
 決意というほど大層なものではなく、和彦は鷹津の提案を受け入れることにした。今夜はもう、考えることにすら、疲れていた。何より、鷹津の甘さが魅力的だった。
 和彦は反り返った自分の欲望を、鷹津の引き締まった腹部に擦りつける。すると、強い力で背を引き寄せられ、鷹津が胸元に顔を伏せた。
「あっ」
 期待に硬く凝った胸の突起を熱い舌で舐られ、きつく吸い上げられる。和彦は背をしならせながら、鷹津の頭を片腕で抱き寄せた。
 水音を立て、二人は激しく抱き合いながら、欲望を高め合う。性急に繋がるのではなく、繋がるまでの行為を楽しんでいた。
 鷹津の両手に尻の肉を揉まれながら、和彦は間欠的に声を上げ、顔を仰向かせる。露わになった喉元を舐め上げられ、小さく身を震わせる。
「――和彦」
 鷹津に名を呼ばれ、なんの抵抗もなくそのことを受け入れる。
「なんだ」
 顔を覗き込むと、鷹津はわずかに目を細めてから、和彦の内奥の入り口を指先でまさぐってきた。和彦が自ら腰を動かすと、熱い欲望が内奥の入り口に押し当てられた。
「これが欲しいか?」
「……ああ、欲しい」
 内奥の入り口をわずかに欲望で押し広げられ、思わず喉を鳴らす。和彦の首筋に唇を這わせながら、鷹津は熱い吐息とともにこう囁いてきた。
「もっと奥に欲しかったら、俺の名前を呼べ」
 さらに欲望を押し込まれ、和彦は腰を揺らす。自ら腰を下ろして欲望を奥へと呑み込もうとしたが、鷹津がそれを許さない。
「呼べよ、和彦。俺の名前を」
 頭の芯がドロドロと溶けていくようだった。鷹津の囁きの甘さと、抱き締めてくる腕の強さと、内奥に含まされつつある欲望の逞しさに、和彦は完全に魅了されていた。
 鷹津に唇を吸われてから、喘ぐように名を呼ぶ。
「――……秀(しゅう)……」
「感心だな。俺の名前を覚えていたか」
 鷹津の皮肉に応える余裕は和彦にはなく、鷹津にしても、それは同じようだった。
 腰を掴まれ、下からゆっくりと内奥を突き上げられて、閉じた和彦の瞼の裏で、鮮やかな色彩が舞い散る。淫らな蠕動を始めた内奥の感触を味わうように、少しずつ、しかし確実に鷹津の欲望が挿入されてくる。
「あっ、あっ、あっ……、いっ、ぃ……」
 鷹津の欲望を根元まで呑み込んだところで、和彦は目を開ける。濡れた髪を鷹津に掻き上げられ、額に唇が押し当てられた。
 激しい律動は必要なかった。向き合い、抱き合った二人は、互いを味わい尽くすように、ときおり腰を動かしながら、何度となく口づけを交わし、体にてのひらを這わせる。
 鷹津とは何度も体を重ねているが、こんなにも〈愛した〉のは初めてだった。
 湯にのぼせそうなのか、鷹津の体温にのぼせそうなのか、もう和彦には判断がつかない。大きく息を吐き出すと、緩く頭を振る。和彦の限界が近いと感じ取ったのだろう。鷹津はようやく内奥を掻き回すように欲望を動かし始める。
「はっ……ん、んっ、んうっ、うぅっ」
「お前も動けよ。自分が感じたいように」
 鷹津に囁かれ、和彦は素直に従う。円を描くように腰を動かしながら、内奥で息づく熱い欲望をきつく締め上げると、鷹津が低く呻き声を洩らす。
「お前に、食われそうだ……」
「誰が、あんたみたいな食えない男を――」
 鷹津の両腕が腰に回され、しっかりと抱え込まれる。その状態で大きく腰を突き上げられると、痺れるような法悦が一気に全身へと駆け巡る。和彦は息を詰めたまま仰け反り、恍惚としていた。









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