足を組み、籐椅子にしっかりと体を預けた和彦は、ふうっと息を吐き出して窓の外を眺める。あまり曜日を意識しない生活を送っているせいで、今日が何曜日なのかすっかり忘れていたが、平日にしては人出が多い。
「……今日は、日曜日なのか……」
思わず独り言を洩らすと、チョコレートラテを堪能していた千尋が応じた。
「そうなの?」
和彦も他人のことは言えないが、千尋の曜日感覚もかなりズレている。
「さあ。客が多いから、そう思った」
「ここ、オープンしてからずっと、こんな感じだよ――って、あっ、本当だ、日曜だ」
携帯電話を取り出して確認したらしく、千尋が声を上げる。だからどうした、という話題なのだが、これで会話は終わらなかった。
千尋はスプーンの先をペロリと舐めてから、見た目は文句なしの好青年ぶりを際立たせる笑みを浮かべる。
「いいよね、俺、日曜日に街を出歩くの好きなんだ」
「ぼくは……少し苦手だな。人が多すぎる」
「だから、いいんだよ。普通の空気を味わってる感じがして。俺、高校まで、実家の仕事のせいで友達いなくてさ。なんか、独特の閉鎖的な空間だろ、学校って。俺なんて、毛色違いすぎて、浮きまくり。だけど、日曜日に街をぶらぶらすると、いろんな人間が行き来して、あっという間に溶け込める。俺は、どこにでもいるガキになれるわけ」
和彦はテーブルに頬杖をつき、ガキのような顔でチョコレートラテの生クリームを味わっている千尋を眺める。千尋はきっと、二十歳だった頃の和彦よりも、いろんなことを考えて、経験している。それでいて、強烈なガキっぽさを留めているのは、それが自分の武器になると、千尋自身、わかっているのかもしれない。
「知れば知るほど、お前の普段の犬っころのような落ち着きのなさが信じられない。そういう重い経験をしていたら、二十歳にしたって、もう少し大人っぽくなるもんじゃないのか……。ガキみたいだと思って油断していると、お前のオヤジと一緒に、とんでもなくぶっ飛んだことをしでかすがな」
ふいに千尋が真顔となり、強い輝きを放つを目で、じっと和彦を見つめてくる。
「――俺が犬みたいにじゃれつくのは、先生だけだ。できることなら、本当に先生の足にまとわりついて歩きたい。それで、こらっ、と先生に言われながら、でも甘やかすように頭を撫で回されるんだ」
「お前は……、まじめな顔で何を言い出すかと思えば……」
はあっ、と呆れてため息をついた和彦は、自分が頼んだカプチーノを一口飲む。
買い物につき合ってほしいという千尋の誘いに応じたのは、気分転換がしたかったからだ。そのため、容赦ない陽射しの下を連れ回されることも覚悟したのだが、少し前にオープンした複合施設内のショップ巡りが目的らしい。
大きな施設の中を歩き回るのは、なかなかの運動量だ。それに、さまざまなショップを覗くのは、買い物好きの和彦としては純粋に楽しい。
そうしているときだけは、ヤクザがいる日常から距離を置いているような錯覚を覚える。本当は、和彦の隣をはしゃぎながら歩いている千尋自身が禍々しい存在だとも言えるが、何も知らなかった頃の感覚に戻るのは容易い。今のような会話さえ交わさなければ。
「今日誘ったのは、なんか先生がピリピリしていると思ったからなんだ」
突然の千尋の言葉に、ぎこちなくカップを置いた和彦は首を傾げる。
「えっ?」
「この何日か、また余裕ない顔してるんだよ、先生。そうなると、気分転換に誘えそうなのって、身近にいる人間じゃ、俺ぐらいだろ。まあ、特権ともいえるけど。オヤジや三田村には、こういうところで気楽にお茶するなんて無理だし」
目を丸くした和彦は、まじまじと千尋の顔を見つめてから、口元をてのひらで覆う。今度はそっとため息を洩らした。
すぐに忘れてしまいそうになるが、千尋は本当は大人なのだ。だからこんな気遣いもできる。
「……そこまで考えて、今日は護衛なしなのか」
「護衛はいるよ」
「車に待機させてるだろ」
「だってさー、組の人間がついてきてると、先生とデートって感じしないじゃん。今日は三田村も他の仕事でいないし。それとも先生は、ゴツイの張りつかせて歩きたい?」
和彦は顔をしかめてから、首を横に振る。普段から自分には護衛は必要ないと思っているのだが、それを賢吾に訴えて聞き入れてもらう自信はない。今回は千尋が気をつかってくれたからこそ、可能な状況なのだ。
「ぼくはともかく、お前に何かあったらどうする気だ……」
「俺に何かあるなら、とっくにそういう目に遭ってるよ。だけど、少し前までの俺は、普通のフリーターとして一人で生活してて、何もなかった。気をつけるのは、オヤジやじいちゃんと一緒にいるときだけでいいんだ、本当は」
「まあ、お前がそこまで言うなら。それに、今のこの状態は気楽だから、文句言う気もない」
ただ、気楽なのは確かだが、外ではほぼ行動をともにしてきた三田村が側にいないということに、ふいに落ち着かなくなったりもする。側にいればいたで、圧迫感を覚えて居心地が悪くなることもあるのに。
和彦はカップを口元に運びながら、千尋を観察する。
千尋はどうやら、自分の父親と和彦、それに三田村の三人の間で異変が起こっていることに気づいていないらしい。それとも、そう装っているのか――。
ストローに口をつけていた千尋が、ふいに笑いかけてきた。
「――先生、色っぽいね。じっと俺を見るときの表情とか」
突然の千尋の言葉に、和彦はうろたえる。
「なっ、何、言ってるんだ、お前はっ……」
「初めて会ったときからさ、先生には独特の雰囲気があったんだよ。妙に惹きつけるっていうか。それに加えて、今は婀娜っぽい。ヤクザと渡り合ってると、必然的にそうなっちゃうのかな」
「……渋い言葉知ってるな、お前」
褒めたつもりはないのだが、千尋が照れたように笑ったので、つられて和彦も口元に笑みを浮かべる。本当は、変なことを言うなと怒るつもりだったのだが、毒気を抜かれた。
「ねえ、まだ買い物につき合ってもらっていい?」
「それはいいが、ぼくの買い物にもつき合えよ」
当然、と言わんばかりに、満面の笑みで千尋が頷いた。
クリニックに勤めている頃、敏感な女性患者の鼻を気にかけ、職場ではまったくコロンをつけていなかった和彦だが、皮肉なことに今の生活は、そういった気遣いからは解放されている。
もともと好みであるユニセックスな香りのコロンを、衝動買いすることが増えていた。どうせクリニックを開業するまでの間のことだ。
和彦はコロンが入っている小さな紙袋を掲げて眺めてから、視線を向かいのショップに向ける。雑誌で頻繁に取り上げられるというカジュアルブランドのショップだけあって、客のほとんどが二十歳前後の若者だ。
その中で一際目立つのは、楽しそうにTシャツを選んでいる千尋だった。
決して贔屓目ではなく、千尋の存在感は特別なのだ。さきほど、実家の仕事のせいで孤立していたと話した千尋だが、本当はそれだけではないだろうと和彦は考えている。魅力的な存在は、人を惹きつける一方で、それが過ぎて、近づくことを臆させてしまうものなのだ。
和彦の視線に気づいたのか、千尋が手にしたTシャツを胸元に当ててこちらに見せてくる。似合っているという意味を込めて和彦が頷いて見せると、子犬のような素直さで、千尋がパッと顔を輝かせる。
「……ああして見ると、本当に、いいところの坊ちゃんにしか見えないんだがな……」
千尋の屈託ない表情につられて、口中でそう呟きながらも和彦は、つい笑みを浮かべていた。
手すりにもたれかかり、吹き抜けとなっている階下を何げなく見下ろす。雑多に行き交う客の姿を漫然と目で追っていた和彦だが、突然背後で、言い争うような声が上がった。
「おい、なんだよ、あんたっ」
それが千尋の声だとわかり、素早く振り返る。すると、少し前まで楽しそうにTシャツを選んでいた千尋が、殺気立った様子で目を吊り上げていた。そして、そんな千尋の髪を鷲掴んでいる男がいる。
一目見て異常な状況がわかり、和彦は総毛立つ。
「離せよっ。俺が何したってんだっ」
千尋が男の手を振り払おうとしたが、もう片方の手が、今度は千尋の喉元を掴む。それを見た瞬間、和彦は駆け出していた。
「千尋っ」
二人の側に行くと、男の言葉が耳に届いた。
「――お前、長嶺のところのガキだな」
この言葉を聞いた瞬間、和彦の体は勝手に反応する。千尋の喉元にかかる男の手に、自分の手をかけていた。
ようやく和彦の存在に気づいたように、男がゆっくりとこちらを見た。
「先生っ、離れててっ……」
千尋が悲鳴のような声を上げるが、和彦は男から目が離せなかった。離した瞬間、どんな危害を加えられるかわからなかったからだ。
男からは、嫌なものを感じた。怖いのではない。ただ、生理的な嫌悪感を覚える。
「……長嶺組も変わったな。こんな優男が組にいるのか」
男はそう言って薄い笑みを浮かべ、和彦はそんな男を見据える。
癖のある長めの髪をオールバックにしており、彫りの深い顔には無精ひげが目立つ。顔の部位の一つ一つが日本人離れして大きく、国籍不明の外国人のようにも見え、三十代後半から四十代前半ぐらいの男を胡散臭く見せている。
薄ら笑いを浮かべた表情から剣呑としたものを感じるが、和彦が知っているヤクザの空気とはどこか違う。この男は、違う意味で危険だ。少なくともヤクザは、人目がある場所で揉め事を起こす愚かさを知っているが、目の前の男は、人目をものともしていない。
「彼を離してください」
緊張のためわずかに上擦った声が出る。それでも和彦は、男から視線を逸らさない。
「何か気に障ったことをしたというなら、保護者のぼくが頭を下げます。だから、手荒なことはしないでください」
「先生、俺何もっ――」
「黙ってろ」
和彦は、千尋の喉元から男の手を退けようとして、反対に手首を掴まれた。すかさず千尋が男に飛びかかろうとしたが、和彦は片手で制する。普段は犬っころと呼んでいるが、千尋の本質は獣だ。一度牙を剥くと、多分自分を抑えられない。
それに千尋では、この男には敵わない。得体の知れない禍々しさを秘めたところに、賢吾と似たような匂いを感じるのだ。
これは、和彦が非力で、何より痛みが嫌いだからこそ身につけた嗅覚だ。
「薄汚いヤクザにしては、ずいぶんきれいな手をしてるな。女みたいな手だ。長嶺のガキのボディーガードかと思ったが、違うようだ」
「……長嶺を知っているんですか」
あえて、長嶺組や賢吾、総和会の会長とも特定しない問いかけをしてみると、男はバカにするような、唇を歪めるだけの笑みを浮かべた。急に寒気を感じた和彦は手を引こうとしたが、手首を掴む男の手はびくともしない。
顔立ちだけでなく、男の体つきも日本人の標準から大きく外れていた。上背があるだけでなく、着ているシャツのうえからでもわかる逞しさは、和彦の動きを止めることなど容易だろう。
「――これ以上俺たちに絡むと、警察を呼ぶぞ」
低い声を発したのは千尋だった。さすがの和彦も、男から千尋へと視線を移す。
こんな声も出せるのかと思うぐらい、抑揚のない冷たく凍えた声だった。強い輝きを放つ目は鋭い殺気を孕んでおり、それはまっすぐ男へと向けられている。
「集(たか)りが目的なら、煙草代ぐらいだったらくれてやる。だから、先生から手を離せ」
先生、と男が口中で呟き、興味深そうに和彦を見つめてくる。濁った目が、このときだけは怜悧な光を湛えたような気がした。
男に突き飛ばされてよろめいた和彦の体を、すかさず千尋の腕が受け止めてくれる。威嚇するように睨みつける千尋を、男は鼻先で笑った。
「見ていて胸糞悪くなるような目は、オヤジにそっくりだな。坊主」
「なっ……」
言い返そうとした千尋の手から、Tシャツを取り上げて素早くラックに戻すと、和彦は千尋の腕を掴んで引っ張る。
「先生っ?」
「相手にするな。あれは――危ない」
客にぶつかりそうになりながらも小走りでその場を離れ、二人はその足で駐車場に向かう。その間、会話は交わさなかった。とにかく〈味方〉と合流するのが先だと思ったのだ。
だから、駐車場に停めた車に乗り込んだとき、安堵感から和彦の足は小刻みに震えていた。一方の千尋は、運転席の護衛に素早く状況を伝えて、すぐに車を出してもらう。駐車場に移動してくるまでの間に、千尋はすっかり冷静になったらしい。
「先生、大丈夫?」
肩に手を置いた千尋に顔を覗き込まれ、和彦はぎこちなく頷く。
「もう、平気だ……。ちょっとびっくりしただけで……」
大きく息を吐き出した千尋に、両腕でしっかりと抱き締められた。
「頼むから、無茶しないでよ。先生があの男の手を掴んだとき、心臓が止まりそうだった」
「それはこっちの台詞だ。お前が刺されでもするんじゃないかと思ったんだぞ」
千尋が男に捕まっているのを見たときの総毛立つ感覚が蘇り、和彦は体を震わせていた。
男に鷲掴まれたせいで、すっかり乱れた千尋の髪を手櫛で直してやってから、ようやく二人は体を離す。
「今日は、先生も本宅に泊まろう」
すがるような目で見つめられながら千尋に言われ、少しの間考えてから、やむなく和彦は頷く。三田村と手を握り合っているところを見られたあの部屋にまた泊まるのかと思うと、抵抗を感じずにはいられない。だが、塀に囲まれたあの家が安心なのは、確かだった。
中庭に置かれたテーブルについた和彦は、冷たいお茶を飲んでやっと人心地がついていた。ほうっと吐息を洩らし、地面に映る木陰をぼんやりと眺める。
安全な場所でこうして落ち着いてしまうと、自分がほんの二時間ほど前に取った行動に、いまさらながら驚嘆する。
男に掴まれた手首に視線を落とせば、いまだに生々しい感覚が残っている。あのときは必死だったから痛みも感じなかったが、男の力はかなりのもので、いつもの和彦なら苦痛の声を上げていたかもしれない。
得体の知れないあの男は、生理的に受け付けられない嫌悪感を和彦に植え付けてきた。しかしそれは重要ではない。看過できないのは、男は、千尋が長嶺組組長の息子だと知っていたということだ。必然的に、総和会の現会長の孫であることも知っているはずだが、そのうえで、あんな手荒な行動に出たのだ。
男の正体がなんであれ、ヤクザの不文律が通じない相手は、危険だ。本当にあの場で、いきなり刃物を出されても不思議ではなかった。
千尋の話では、男が何者であるかまったく見当がつかないという。さきほど部屋を覗いたら、組員数人が見守る中、パソコンに向き合っていた。過去に長嶺組と諍いを起こした組や人物たちのデータをチェックしているのだという。
千尋の見た目の好青年ぶりも、組員たちに囲まれると、妙な迫力を帯びる。こいつもヤクザなのだと、唐突に和彦は実感させられるのだ。
「――なんか、和むなー。先生がのんびりお茶飲んでる姿見ると」
そんな声をかけられて和彦が視線を上げると、千尋が廊下に立ち、こちらを見て笑っていた。いつもの千尋の笑顔に、つられて和彦も笑みで返す。
「悪いな、緊迫感に欠けていて」
「いいよ。先生は、そのほうが似合ってる」
和彦が立ち上がって縁側に歩み寄ると、腰を屈めた千尋が肩に額をすり寄せてきた。そんな千尋の頭を撫でてやりながら尋ねる。
「お前、仕事は?」
「飽きた」
「……どっちが緊迫感ないんだ」
「だってさー、ムサい男の画像ばかり見てるんだよ? それに――あいつ多分、組関係の人間じゃないと思うんだよね」
和彦は千尋の顔を上げさせ、頬を両手で挟む。
「根拠は?」
「俺の直感」
「あー、それは確かだな。お前の直感は絶対だ」
「先生……、思いきり冷めた声で、台詞を棒読みするように言わな
いでよ」
それより、と言葉を続けた千尋が、耳元に顔を寄せて囁いてきた。
「今は、先生に目一杯、甘えさせてもらいたい」
「……いつも目一杯甘えてるだろ、お前……」
「先生が、俺のために顔色変えて、いかにもヤバげな男に立ち向かってる姿見て、興奮したんだよ」
口ではそんなことを言いながらも、すがる犬っころのような眼差しを向けられると、和彦は千尋のわがままを聞き入れずにはいられない。
本当は和彦も、必死に自分を守ってくれようとしていた千尋の姿を思い返し、胸が疼くものがあった。
あの男から植え付けられた生理的嫌悪感も、千尋とじゃれ合っているうちに消えてしまうだろう。
二階にある千尋の部屋に上がり、ベッドに倒れ込むと、会話を交わす余裕もなく互いの服を脱がし合い、すでに汗ばんでいる素肌を擦りつけ合う。
和彦は、未熟な蛮勇を奮おうとした千尋をまず労うため、しなやかな体に覆い被さり、滑らかな肌をじっくりと舐め上げる。浮き上がった腹筋に舌先を這わせ、柔らかく吸い上げてから、胸の突起を口腔に含むと、千尋がくすぐったそうに笑い声を上げる。
だがそれもわずかな間で、和彦が絶えず唇と舌を動かし続けると、次第に切なげな息遣いとなり、微かに声を洩らし始める。そんな千尋に引き寄せられて顔を上げると、有無を言わさず唇を塞がれた。
「クーラーつけようか?」
貪り合うような口づけの合間にそう問われた和彦は、すでに滴っている千尋の汗をてのひらで拭ってやってから答える。
「いらない。せっかくの熱が冷める」
「……いやらしいなー、先生」
ニヤリと笑った千尋の唇に軽いキスを落としてから、和彦は頭を下ろす。多分今、この部屋の中でもっとも高い熱を持っているはずのものをてのひらに包み込み、ゆっくりと上下に扱き始めると、千尋が心地よさそうに深い吐息を洩らした。
和彦は、望まれた通りにたっぷりと千尋を甘やかすことにした。
何より甘やかされるのが好きな千尋の分身を口腔に含み、熱く濡れた粘膜で包み込みながら唇で締め付け、滲み出る透明なしずくを丹念に舌で舐め取っていく。堪えきれないように千尋が声を上げ始めると、口腔から出し入れしながら、根元から指の輪で扱いてやる。
千尋のものが素直に悦びを示し、瞬く間に成長して張り詰める。その変化を、和彦は舌を絡ませて感じていた。
ふいに、腕を掴まれて体を引き上げられると、両腕できつく抱き締められる。千尋の体は燃えそうなほど熱くなっていた。
「先生の中で甘やかしてもらっていい?」
「……いつも、そんなこと言わないで、勝手に入ってくるだろ」
和彦の体はベッドに押さえつけられ、今度は千尋が獣のようにのしかかってくる。両足の間に腰が割り込まされ、両手で頬を撫でられる。
「今日の先生、本当にいやらしい……」
そう洩らした千尋に片足を抱え上げられ、いきなり熱く硬いものが、和彦の内奥の入り口に擦りつけられた。解されないままの挿入はつらいが、今は拒む気はなかった。
和彦は千尋を抱き締めると、両足をしなやかな腰に絡みつかせる。すでに余裕のない動きで、しかし和彦を傷つけないように気遣いながら、千尋が欲望を内奥に沈めてくる。
「あっ、あうっ……」
「すごい、狭いよ、先生の中。でも、俺のをいっぱい舐めてくれたから、ヌルヌルしてる。――すげー、気持ちいい」
まだすべて収まっていないが、我慢できなくなったように千尋が腰を揺らす。和彦は声を洩らしながら千尋の背に両腕を回していた。
少しずつ内奥を押し開かれる感触が、苦痛と愉悦を生み出す。ゾクゾクするような感覚が腰から這い上がり、そこに、千尋の情熱的な愛撫が首筋に加えられ、少しずつ和彦の体は溶けていく。
「は、あぁ……。んっ、んっ、んあっ」
「いいよ、先生。俺、今、甘やかしてもらってる。だけど――」
大きく腰を突き上げられ、二人はこれ以上なくしっかりと繋がる。和彦はビクビクと腰を震わせながら、喉を反らす。
「先生なら、もっと甘やかしてくれるよね、俺のこと」
首筋に軽く噛み付かれ、全身が震えるほど感じてしまう。
上体を起こした千尋にしっかりと両足を抱え上げられ、内奥深くを力強く突き上げられる。和彦はそのたびに背をしならせて、抑えきれない声を上げる。
「ああっ、あっ、あっ、あうっ……ん」
触れられないまま、中からの刺激で和彦のものは反り返り、透明なしずくを滴らせていた。
千尋の片手が腹部から胸元に這わされ、喉元を撫で上げられる。
「……あの男、許さない。先生に乱暴なことをした」
ぽつりと洩らされた千尋の言葉に、快感に意識を飛ばしかけていた和彦は我に返る。のろのろと片手を伸ばすと、それに気づいた千尋が前のめりとなり、人さし指の先をペロリと舐められた。和彦はちらりと笑ってから、千尋の頬を撫でる。それだけで嬉しそうに笑うのだが、一方で内奥に収まったままの欲望は、力強く脈打ち、中から和彦を威圧してくる。
「何、先生?」
「いや……、お前が今言ったことを聞いて、ぼくも男なんだが、と思った」
「先生は特別だよ。俺にとっても、うちの組にとっても、大事で特別な男。だから、誰にも傷つけさせたくない」
甘やかしているようで、実は甘やかされているのは自分のほうではないかと思えてくる。千尋から与えられる惜しみない言葉も抱擁も愛撫も、何もかもが和彦にとって心地いい。もちろん、内奥深くに収まっている欲望すら。
千尋の左腕に彫られたタトゥーを指先で撫でると、ブルッと身震いした千尋が大きく腰を動かし始める。
「ああっ――」
「あとで、いっぱい先生のも舐めてあげる。だから、今はイッちゃダメだよ」
そう囁いてきた千尋の指によって、和彦のものの根元がきつく締め付けられる。そんな行為にすら肉の悦びを感じ、和彦はベッドの上で思う様乱れていた。
エアコンの優しい風に素肌を撫でられ、和彦はそっと息を吐き出す。その息遣いが、目の前の千尋の茶色の髪を揺らした。ずっとカラーを入れているのかと思っていた千尋の髪だが、元からのこの色だと、最近になって知った。
ベッドに横になったまま和彦は、実に気持ちよさそうに眠っている千尋の前髪をそっと梳く。体に残る心地よい気だるさとともに、こんなふうに穏やかな時間を過ごすのもいいものだった。
体を重ねてから二階の浴室でシャワーを使い、汚れと汗を簡単に洗い流したあと、二人はまたすぐにベッドに倒れ込んだ。じゃれついてくる千尋につき合っているうちにうたた寝してしまったが、和彦のほうは三十分もしないうちに目が覚め、あとはこうして、千尋の寝顔を眺めていた。
そろそろ階下では夕食の準備をしている頃だろうかと、ときおり漂ってくるいい匂いに鼻先をくすぐられながら、和彦は考える。
すっかり汗も引いたので、千尋のTシャツを借りて着ておこうと体を起こしたとき、ドアの向こうで人の気配を感じた。賢吾どころか、千尋とも体を重ねているのは、この家に常駐している組員全員が知っているはずだが、それでも和彦はうろたえる。
立ち上がると、洗濯して畳んだまま置いてある千尋のスウェットパンツとTシャツを慌てて着込む。まるで見ていたようなタイミングのよさで、控えめにドアが一度だけノックされた。
千尋の目が覚めた様子はなく、和彦がそっとドアを開けると、組員の一人が立っていた。
「――先生、晩メシの前に、組長が話があるそうです」
そう告げられ、ドキリとしてしまう。この家にいてなんだが、実は賢吾と顔を合わせづらかった。だが、嫌とも言えない。
頷いて一階に降りると、案内されてリビングに向かう。賢吾はすでに寛いだ服へと着替え、ソファに腰掛けていた。
和彦の姿を見るなり、なぜかニヤリと笑いかけられる。
「ずいぶん、派手なTシャツを着てるな」
「……千尋のを借りたんだ。ここに寄ったのが予定外だったから……」
「ああ、騒動があったらしいな。その話は後回しだ。先に、先生に話しておくことがある」
手で示され、和彦はやや緊張しながら賢吾の隣に腰掛ける。すでにリビングは二人きりとなり、息が詰まりそうな沈黙が流れる。だからこそ別の部屋の、組員たちの声や、気配がよく伝わってきた。
「――今日、三田村とサシで話をした」
突然、三田村の名を出され、和彦はビクリと肩を震わせる。そんな和彦の肩に、賢吾が腕を回してきた。
「先生の護衛を外れたいと言われた」
和彦は目を見開き、賢吾の顔を見つめる。すると賢吾は、ひどく冷ややかな笑みを浮かべた。
「言っておくが、俺から強要したわけじゃないぞ。話があると言い出したのは三田村だ。俺はてっきり、先生と寝た、と告白されるのかと思ったが――」
思わず鋭い視線を向けると、肩にかかった賢吾の手に力が加わる。おもしろがるような口調で言われた。
「だったら三田村とは、何もないと言い切れるか?」
「それは……」
「あいつをなんとも思ってないってことはないだろ。誰よりも先生の特別な姿を見ているし、声を聞いている男だ。俺たちの行為に三田村を参加させたとき、先生の乱れっぷりは凄まじかった。――尻にあいつの指を突っ込まれて、何度イッた? 本当は、あいつのものも突っ込まれたかったんじゃないのか?」
声を発すると、動揺がそのまま出てしまいそうだった。違う、と唇を動かすだけの否定をして顔を背けようとしたが、賢吾は許してくれなかった。あごを掴み上げられ、嫌でも見つめ合うことになる。
「三田村のことだ。自分たちの関係を疑って、俺が先生につらく当たる事態を危惧したんだろう。……なんとも思ってない相手なら、あいつは完璧に仕事をこなす。感情を揺らすことなく」
「……三田村さんは、ぼくの護衛から外れる理由を、何か言ったのか」
「武骨な自分では、先生が望むような護衛をできる自信がない、だと。あるのかないのか、よくわからない理由だ。とにかく一刻も早く、先生の護衛から外れたかったんだろう。そうまでしないといけないほど、先生に対する気持ちを抑えきれなくなっていたのかもな」
「そんなわけないだろっ」
感情的に声を荒らげる和彦とは対照的に、賢吾は大蛇を潜ませたひんやりとした目で冷静に見つめてくる。
あごから手が退けられて安堵する間もなく、今度は賢吾に手を握られてドキリとする。ちょうど、三田村と握り合っていたほうの手だ。
「――ベッドの上で乳繰り合っている場面を見るより、インパクトはあったな。先生と三田村が手を握り合っている場面は。先生は、浴衣がはだけたうえに、えらく色っぽい顔をしていたし」
「あんたと千尋の相手をして、疲れていただけだ……」
「なら、三田村と手を握り合っていた理由は?」
和彦はぐっと言葉に詰まる。賢吾を前にして、上手い言い訳など思いつかなかった。
そう、言い訳が必要なことを、自分と三田村はしたと自覚している。だから三田村は、和彦の護衛から外れたいと賢吾に申し出たのだ。
「秘密を持つ人間の表情はいいな、先生。その秘密が色恋なら、なおさらだ」
「ぼくと三田村さんはっ――」
いきなり肩を引き寄せられ、眼前に賢吾の顔が迫ってくる。一瞬にして何を求められるのか察した和彦は、従順に深い口づけを受け入れていた。
「んっ、ふっ……」
濡れた音を立てながら舌を絡め合い、唾液を交わす。一方的に賢吾に舌を吸われるようになる頃には、千尋との交わりでわずかに燻ぶっていた情欲の種火が、じわじわと熱を放ち始めていた。
賢吾に唇を啄ばまれながら、ふいに囁かれる。
「――三田村と寝たいか、先生?」
和彦が目を見開くと、賢吾に熱っぽく唇を吸われる。その間に、今囁かれた言葉を何度も頭の中で反芻していた。そしてまた賢吾に囁かれる。
「指じゃなく、あの淡々とした男の熱くなったものを、尻の奥深くまで突き刺してもらって、先生が好きな熱い液体を、たっぷり注ぎ込んでもらうんだ。あの男は、どんなふうに先生を抱くだろうな。よがって乱れる先生を、どんなふうに扱ってくれるだろうな」
和彦の胸の奥がズキリと疼いた。考えまいとすればするほど、艶かしい想像が頭の中で繰り広げられる。
「……三田村さんは、そういうんじゃ、ない……。色恋じゃない。ただ、ぼくを支えて、受け止めているだけだ」
「色恋じゃないから、肉欲が湧かないという道理はないぜ、先生」
顔を覗き込んでくる賢吾の目の中で、大蛇がチロッと舌を出したようだった。
賢吾は、この状況に不快さを抱くどころか、楽しんでいる。和彦を煽ってもいる。
「欲しい、って気持ちは、見境がない。理屈じゃないんだ、欲望は。俺や千尋を見てるとよくわかるだろ。まるで野獣だ。そして先生、お前もその一員だってことだ」
「ぼくは――……」
いつものように、自分はヤクザじゃないという台詞が出てこなかった。賢吾の、強引でありながら、そのくせ〈こちら側〉の人間にとってはひどく説得力のある言葉を、頭から否定できなかったのだ。
「――いい加減お前も、カマトトぶるのはやめろ。自分がどんな人間になったのか認めて、ヤクザらしい駆け引きを覚えるんだ」
威嚇するように低い声で言われたあと、賢吾にきつく唇を吸われる。
この男の〈オンナ〉らしく、和彦は熱い吐息で応えていた。
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