ギシッと微かにベッドを軋ませながら覆い被さってきた賢吾が、無遠慮に和彦の顔を覗き込んでくる。
「――先生は、精神状態がわかりやすいな」
芝居がかったような優しい表情で賢吾が言い、対照的に和彦は、不機嫌な表情で応じた。
「人が調子が悪いと言っているのに、ズカズカとベッドの上まで乗り上がってくるな」
「自分のオンナの体調を気にして、何が悪い?」
悪びれることのない賢吾の言葉に、さらに和彦の気分は滅入る。ふいっと顔を背け、ブランケットでしっかり口元まで隠す。
「……仕事はしっかりやっている。今日は、死なせるなと言われている患者の治療もしたし、ヤク中のガキの口に活性炭も放り込んできた」
「まずくて堪らないらしいな、活性炭ってのは。――普通は水に溶いて胃に直接流し込むものらしいが」
「まずいからといって死にはしない。いい教訓だろ。薬で一時気持ちよくなったところで、あとがつらいって」
「うちの組に出入りするガキどもの、生活指導の先生もやってみるか?」
和彦はますます眉をひそめ、とうとう頭までブランケットを被ろうとしたが、すかさず剥ぎ取られ、賢吾に唇を塞がれそうになる。和彦は本気で抵抗して、顔を押し退けた。このとき、賢吾の目から一切の感情が消え、凍えるほど冷たい眼差しを向けられる。
「本当に調子が悪そうだ」
「さっきからそう言っている」
ようやく和彦の上から退いた賢吾が、ベッドの端に腰掛ける。
「――何かあったのか、先生? 繊細な先生が、ときどき思い出したように塞ぎ込むことはあったが、今回は少し様子が違う」
賢吾の片手が伸びてきて、怯える猫の機嫌をうかがうように髪に触れてくる。
「心配事でもあるのか」
「別に……」
「そんな憂鬱そうな顔をして、別に、はないだろ。気づいてくれと言っているようなものだぞ」
口元に笑みを湛えている賢吾を、和彦は見上げる。言いたいこと――というより、告白したいことはいくらでもあるが、どうしても声となっては出てこない。
和彦は、自分が今いる世界が怖かった。賢吾が怖いし、自分を取り巻く男たちが怖かった。本当は診察のためにこの部屋を出ることすら怖かったのだ。それを悟られまいと必死に虚勢を張っていたが、気力を使い果たしてしまい、帰ってからは、こうして体も起こせない。
鷹津から言われた言葉が、ずっと頭の中を駆け巡っている。あの男は嫌いだが、今のこの状況から和彦を引き上げてくれる唯一の存在かもしれない。それがわかっていながら、即座に鷹津を頼れなかったのは、あの男の放つ胡散臭さのせいばかりではない。
今の生活から本当に抜け出したいのか、和彦の中でもはっきりしていないからだ。仕事の見返りとして与えられる報酬以上に、自分を縛り付けてくる怖い男たちの執着が、何よりもの充足感を与えてくれる。
それを失って元の生活に戻れる自信が、和彦にはなかった。
黙り込んでしまった和彦のあごの下を、賢吾がくすぐってくる。
「秘密を持つ先生の顔は艶っぽくて好きだが、今、抱えている秘密は性質がよくないものだな。せっかくの色男ぶりがくすんで見える。それはそれで、妙に嗜虐的なものを煽られるが」
賢吾が身を屈め、もう一度和彦の唇を塞いでこようとする。今度は、素直に受け入れた。柔らかく唇を吸われ、ぎこちなく和彦も応じているうちに、舌先を触れ合わせるようになる。賢吾は優しかった。
和彦の頬を撫で、髪を梳きながら、思いがけない提案をしてきた。
「――明日一日、先生に三田村をつけてやる。その間、組からは一切連絡を入れない。自由に二人で過ごせ」
目を丸くする和彦に賢吾は笑いかけてきたが、身の内に大蛇を潜ませている男は、ヒヤリとするようなことを言った。
「その一日で、抱えた秘密を三田村に吐き出せ。三田村は、その秘密を抱えて俺のところに戻ってくる。俺に直接話すより、気は楽だろ?」
この男は実は、和彦が抱えてしまった秘密をすでに把握しているのではないかと思い、身震いする。
鷹津から、元の生活に戻してやれると唆されたことだけでなく、秦が何かしら企んでいることも、すべて――。
賢吾の唇が耳に這わされ、和彦は声を洩らす。羽毛でくすぐるような愛撫を施してきながら、さらに賢吾は、魅力的なバリトンで鼓膜を震わせてきた。
「お前は、大事で可愛いオンナだから、俺はここまでしてやるんだぜ。傷つけないよう、怯えさせないよう、な。お前は何も怖がる必要はない。そうだろ?」
怖気とも疼きとも取れる感覚が背筋を駆け抜ける。優しい囁きだけで屈服させられ、和彦は頷くしかなかった。
いざ、三田村と二人きりで過ごせる時間を与えられても、どうすればいいのかわからない。それが和彦の正直な感想だった。おそらく三田村も、同じはずだ。
基本的に二人の関係は、仕事の合間に時間を見つけ出し、急かされるように濃密な時間を過ごすことで築かれてきた。それが、仕事から切り離され、丸一日二人で過ごすように
〈命令〉されると、かえって戸惑ってしまう。しかも三田村には、賢吾からもう一つ命令が下されていた。
とにかく時間を潰そうと外出はしたものの、友人同士でもない、恋人同士とも言いがたい男二人、いざとなるとどこに行けばいいのか困る。
軽くドライブのようなものをしたが、車中の空気のぎこちなさにすぐに和彦は音を上げた。強い陽射しの下、街中を歩き回る気にもなれず、必然的にどこかに入ることになったが、そこでまた困り果てる。
結局無難なところで、映画を観ることにした。
最近よくCMが流れているアクション映画は、満席というほどではないが、比較的座席は埋まっており、上映開始ギリギリで中に入った二人は、左端のシートに並んで腰掛ける。
会話を交わす間もなく映画は始まり、和彦はシートに深く腰掛けて、スクリーンに目を向けた。
派手な銃声や爆発音が響く中、意識はすぐに映画から離れ、今日こうして三田村と一緒にいる意味を考える。
朝、顔を合わせてから三田村は、和彦を問い詰めるようなことは何も言わない。ただ、どこに行こうかと、いかにも慣れてない様子で聞いてくるだけだ。
ここまでくると、三田村に何もかも打ち明けるしかない。そして、三田村の口から賢吾に伝えてもらうのだ。そう頭ではわかっていながら、いざとなると口が重くなる。
何か、きっかけが欲しかった。自分の優柔不断さを断ち切れるきっかけが。
和彦はそっとため息をついて、肘掛けにかけた手を動かす。意図したわけではないが、三田村の手に触れていた。反射的に隣を見ると、三田村はスクリーンのほうを見たまま、さりげなさを装いながら和彦の指先に触れてくる。
不器用ながら、和彦が必要としているときに与えられる三田村の優しさが好きだった。まるで宝物のように和彦を扱ってくれる三田村だが、和彦にしてみれば、三田村の真摯さが宝物そのものだ。
だからこそ、魔が差したように考えてしまう。もし三田村と、普通の美容外科医として生活していた頃に出会っていたら、こんなふうに求め合う関係になれただろうか。三田村は、自分などにこんなに尽くしてくれただろうか、と。
考えるべきことが多すぎる。すっかり映画はどうでもよくなり、顔を伏せた和彦が暗い足元に視線を落としていると、耳元でハスキーな声が囁いた。
「先生、気分が悪いなら、外に出るか?」
顔を上げた和彦を、三田村がまっすぐ見つめてくる。思わず頷いていた。
促されるままロビーに出ると、まずイスに座らされる。ロビーにほとんど人の姿がないこともあり、さりげなく三田村に髪を梳かれた。
「飲み物を買ってくるから、ちょっと待っててくれ」
こんな日でも、地味な色のスーツを着込んでいる三田村の後ろ姿が、角を曲がって見えなくなる。
それを待ってから和彦は立ち上がる。階段を使って一階に降りると、そのまま映画館を出て、近くで客待ちをしているタクシーに乗り込んだ。
逃げ出すつもりはなかった。ただ、一人になりたかった。
開けた窓から、いくらか暑さの和らいだ風がときおり入り込んでくる。秋の訪れを肌で感じながら和彦は、自分が今の生活を送るようになってどれぐらい経つのか、つい計算してしまう。
長嶺組専属の医者になれと言われたときは、とんでもないことだと思ったものだが――。
和彦は視線を室内へと向ける。すでに改装工事を終え、広々としてきれいな空間がそこにはある。医療機器や備品を運び込み、各方面への届出が受理されれば、開業まではあと少しだ。ほんの数か月前まで、大手のクリニックに雇われていた和彦が、ここの実質的な主となる。
流され続けているうちにこんなところまできてしまい、自分は元の生活に戻れるか否か、その境界線上に立っているのだろうかと、和彦は考える。
いや、もしかすると、そんなに大層なことではないのかもしれない。
こちらに向かってくる荒い足音を聞いていると、そんな気がしてきた。
「――やっぱりここにいたのか」
姿を見せた三田村が開口一番に言った。いつもと変わらない無表情だが、足音を聞いていれば、この男が実は焦っていたのだとわかる。和彦を見つけるために、必死だったのだ。
「……逃げ出したんじゃないんだ。ただ、一人になりたかっただけだ。あのマンションの部屋以外の場所で」
「わかっている。だから俺は、先生がいなくなったあと、真っ先にここに来た。先生は、俺の……俺たちの手の届かないような場所に一人ではいかないと、信じていた」
こちらに歩み寄ってきながらの三田村の言葉に、ふっと心が軽くなる。ヤクザの言葉なんて信じないと言い続けていた和彦だが、本当はずっと、信じたかった。だから、三田村の言葉は信じられる。三田村だけではない。千尋や、何度も騙されて悔しい思いをしていながらも、賢吾の言葉ですらも。
目の前に立った三田村に頭を引き寄せられ、素直に肩に顔を埋める。
和彦はやっと、しっくりくる答えを見つけ出せた。元の生活に戻ることにためらいを覚えるほど、今の生活に愛着を抱いているのではない。自分を求めてくれている男たちを――愛しいと感じているだけだ。
「先生がここにいるとわかったら、それでいい。俺は外で待っているから、気が済むまで――」
「もう、いいんだ。もう、一人はいい……」
次の瞬間、三田村にきつく抱き締められ、和彦も両腕をしっかりと三田村の背に回してしがみつく。
「三田村、話したいことがある」
「ああ。だったら……俺たちの部屋に行こう。明日の朝までは、ずっと一緒にいられる」
和彦はちらりと笑みをこぼしてから、三田村に肩を抱かれてこの場を移動する。
本当はゆっくりと腰を落ち着けて話すのがいいのだろうが、勝手だと自覚しながらも和彦は、今は一刻も早く、抱えた秘密を自分の中から追い出したかった。
「……鷹津に言われたんだ。自分なら、ぼくからヤクザを引き離せると。少し、心が揺れた」
エレベーターを待ちながらの和彦の告白に、三田村は口元に淡い笑みを浮かべた。
「正直だな、先生は」
「怖く感じたんだ。あの男の言葉に、すぐに飛びつかなかった自分が。最初は、こんな生活は冗談じゃない、逃げだしたいと思っていたはずなのに、その気持ちが薄らいでいた」
エレベーターに乗り込み、扉が閉まったところで、和彦はくしゃくしゃと自分の髪を掻き乱す。
「先生?」
「違うっ……。鷹津のことじゃない。その前に、秦のことだ。ぼくは、あの男と――」
「先生っ」
三田村に乱暴に頭を引き寄せられ、間近で見つめられる。一階に着いたエレベーターの扉が一度開いたが、三田村が片手を伸ばして素早くボタンを押し、扉を閉めてしまう。
和彦は、痛い棘を吐き出すように告げた。
「……ぼくは、秦と寝そうになった」
三田村の返事は、感情をぶつけてくるような激しい口づけだった。
それは間違いなく、嫉妬という感情だ。
熱い吐息をこぼしながら和彦は、三田村の逞しい欲望に舌を這わせる。何度も根元から舐め上げ、ときおり舌を絡みつかせ、吸い付き、ひたすら三田村の快感のために尽くす。
三田村にこの愛撫を施すのは、初めてだった。いままで、和彦のものを丹念に愛してくれながら、三田村は自分がされることを望まなかったのだ。なんだか申し訳ない、という理由は、いかにも三田村らしいと言える。だが今日は、和彦が頑として聞き入れなかった。
最初は慣れていない様子でベッドの上にあぐらをかいて座り、緊張している素振りすら見せていた三田村だが、欲望の高ぶりとともに、和彦の愛撫を受け入れる気になったらしい。
何度も優しい手つきで髪を梳いてくれていたが、その手が後頭部にかかり、わずかに力が込められる。三田村の求めがわかった和彦は、透明なしずくが滲んだ先端を丹念に舐めてから、ゆっくりと三田村のものを口腔に呑み込んでいく。濡れた粘膜で包み込み、吸引しながら、唇で締め付ける。興奮した三田村のものが、口腔で力強く脈打つ。和彦はゆっくりと頭を上下させながら、三田村の欲望を愛してやる。
部屋に移動するまでの間に、抱えた秘密はすべて三田村に話した。中嶋に頼まれて、秦の怪我の手当てをしたこと。そのときキスをされたのに、また部屋に出かけて、今度は体を重ねそうになったこと。どうしてそうなったのか、会話の流れも正直に話した。
自分の中で都合よく出来事を継ぎ接ぎするより、すべてを三田村――そして賢吾へと伝えて、客観的に判断されるほうが正確だ。和彦にはわからない事実が、〈怖い男たち〉には見えているかもしれない。
和彦は口腔深くまで三田村のものを呑み込み、ただ舌を添えて動きを止める。三田村が深い吐息を洩らし、その反応に胸が疼かされる。すると、あごの下をくすぐられ、頬に手がかかった。
「先生、もう――……」
ようやく顔を上げた和彦は腕を掴まれ、やや性急にベッドに押し付けられる。先に情熱的な愛撫を与えられて解された内奥に、再び三田村の指が挿入された。
「あうっ」
声を洩らした和彦は顔を背ける。露わにした首筋に熱い舌が這わされ、すでにもう和彦は、ベッドの上で溶けそうになっていた。
三田村の愛撫は念入りだ。まるで和彦の体を検分して、余すことなく自分の証を刻みつけようとするかのように。
両腕でしっかりと抱き締められながら肩先に軽く歯が立てられ、痛みより疼きを感じた和彦は身じろぐ。片手で三田村の背――虎を撫で、思わず問いかけていた。
「三田村、怒っているか?」
和彦の問いかけの意味をすぐに理解したらしく、三田村の目元がふっと柔らかくなった。
「どうして俺が怒るんだ?」
「……秦とのことだ。あの男を受け入れそうになった」
「でも先生は、受け入れていない。俺や組長は、最初に先生にひどいことをして、無理やり受け入れさせたからこそ、言えた義理じゃないんだが、体だけのことじゃなく、気持ちを受け入れたかどうかのほうが、大事なんだ。今の俺には。……それに、先生を脅した秦は、報いを受ける。俺が考えつかないような手酷い報いを、組長から」
「なら、組長を裏切ったぼくも――」
「今は、考えるな。できることなら……俺のことを考えてくれ」
和彦はすがるように三田村を見上げ、何度も精悍な頬を撫で、あごの傷跡を指先でなぞる。
「……なら、あんたのことしか考えられないようにしてくれ……」
ああ、と熱い吐息を洩らすように返事をした三田村に、両足を抱え上げられる。和彦は自ら左右に開いて、膝に手をかけた。
自分の愛撫の成果を確かめるように目を細めた三田村が、柔らかく綻び、ひくついている内奥の入り口に、硬く張り詰めた欲望を押し当ててくる。たったそれだけで、悶えたくなるような快美さが和彦の全身を駆け抜けた。
「先生、俺は怒ってはいないが――嫉妬はしている。……こんな気持ちは初めてだ。〈俺のもの〉を汚されかけたと感じる自分に、驚いている。不遜な感情だ。俺は先生を、一時だけ預かっている立場なのに」
甘さとは程遠い、三田村らしい武骨な言葉なのに、和彦は嬉しいし、安堵する。まだこの男は、自分を大事にしてくれるのだ。
和彦は両腕を伸ばして三田村の頭を引き寄せると、あごの傷跡に舌先を這わせる。
「今のぼくは、あんただけのものだ。あんたの自由にされたい。嫉妬もされたい……。あんたたちヤクザのせいで、ぼくの欲望に歯止めが利かなくなったんだ。責任を取ってくれ」
耳元で囁くと、返事の代わりに三田村の逞しい欲望に、ぐっと内奥の入り口をこじ開けられ、一息に太い部分を呑み込まされる。和彦がここまで育てた欲望だ。悦びに震えながら、従順に受け入れていく。
「あっ、ああっ、三田村っ……」
襞と粘膜を強く擦り上げるようにして、三田村のものが奥深くへと進んでいく。喉を反らし、和彦は放埓に声を上げて乱れる。甘苦しい充溢感が、たまらなく気持ちよかった。
和彦の官能の扉を押し開くように三田村が腰を使い、突き上げられるたびにビクビクと爪先まで震わせる。
「はあっ、はっ……、あっ、んあっ、いっ、ぃ」
三田村の背にいる虎を、両手をさまよわせるようにして撫で回す。咆哮を上げるのは虎ではなく、三田村の欲望だ。いままでになく乱暴に突き上げられ、繊細な内奥は蹂躙されながらも、絡みつくように三田村の熱いものを締め付ける。
三田村の引き締まった下腹部に擦り上げられ、いつの間にか和彦のものは精を迸らせていたが、中からの刺激によって、身を休めることは許されない。
力強い律動を何度となく繰り返した三田村の背の筋肉が硬く張り詰める。気配を感じ取った和彦は、しっかりと三田村の体を抱き締める。一際大きく腰を突き上げた三田村が、淫らに蠕動している内奥に熱い精を注ぎ込んでくれた。
「んうっ……」
微かに声を洩らした和彦は、強烈な感触に陶酔する。求め合う相手としっかり繋がっていると実感できるからこそ、この瞬間が愛しかった。まるでのたうつように、内奥深くで脈打つ男の欲望も。和彦のものも、再び身を起こしかけている。
二人は荒い呼吸をつきながら、汗に濡れた体を擦りつけるようにしっかりと抱き合う。まだ、体を離したくなかった。この男は自分のものだと、もっと実感したかった。
「――先生、喉が渇かないか?」
ようやく呼吸が落ち着いたところで、三田村が顔を覗き込んでくる。和彦は、あごの傷跡を柔らかく吸い上げてから応じた。
「離れたくない」
「俺もだ」
あまりに自然に答えられ、和彦は数秒の間を置いてから目を丸くすることになる。一方の三田村は、ここまで引き締めていた表情を和らげた。
「だけどここなら、先生は一人でどこかに行かないだろ」
本当に三田村に心配をかけてしまったのだと、いまさらながら痛感する。和彦は背を何度も撫でてから、ぽそりと言った。
「……喉、渇いた」
「ああ。それと、何か食おう。ここに来るとき、いろいろ買ったから、温める」
やむなく繋いでいた体を離し、和彦はしどけなく両手を投げ出す。三田村はそんな和彦の胸元や腹部に何度か唇を押し当ててから、スウェットパンツだけを穿いて立ち上がる。
向けられた三田村の背にある虎の刺青は、汗に濡れている。寸前まで、自分はこの背を撫でていたのかと思うと、ゾクリとするような疼きを和彦は感じた。
三田村の姿がキッチンに消え、聞こえてくる物音に耳を傾けながら、心地よい空気を味わう。
本当は、問題は何も片付いていないのだ。ただ和彦が、抱えた秘密を三田村に打ち明けただけで、三田村から報告を受けた賢吾がどんな対処をするかもわからない。
自分はどんな罰も受けないと考えられるほど、和彦は楽観論者ではなかった。
それでも今は、三田村とこうして一緒の時間を過ごせていることが嬉しい。明日の朝までは、この時間を堪能できるはずだ。
和彦がゆっくりと体の向きを変えようとしたとき、ベッドの下で和彦の携帯電話が鳴った。長嶺組の人間ではない。三田村と一緒にいる間は、連絡しないことになっている。だとすれば、かけてきているのは――。
けだるい体をベッドから乗り出すようにして、床の上に落としたジャケットのポケットから携帯電話を取り出す。表示を見ると、鷹津の携帯電話からだった。
鷹津から連絡がきたのはこれが初めてだが、よりによって、というタイミングだ。すぐにでも電源を切ろうとしたが、あの男のことなので、ここに来るときも尾行していたとしても不思議ではない。電源を切った途端、押しかけられそうで、結局和彦は、電話に出ていた。
「もしもし……」
『今、どこにいる?』
和彦はうつぶせの姿勢で鷹津と話す。寸前まで三田村の囁きをたっぷり耳に注ぎ込まれたせいか、鷹津に対する嫌悪感がいくらかマシだった。ただ、鷹揚な話し方と声は、やはり不快だ。
「……今日はぼくを尾行していないのか」
『俺は、ヤクザのオンナの尻を追い掛け回すほど、暇じゃないぜ』
この言葉が本当かどうか、どうでもよかった。今の和彦は一人ではないし、知られて困る秘密ももうない。
「その、暇じゃない刑事が、なんの用だ」
『助けてやると言った俺の言葉を、少しは考えたかと思ってな』
「あんたは、ぼくを助けてやるとは言わなかった」
『疫病神を引き離すことはできるとは、言っただろ?』
「――長嶺組長に一度潰されかかった男に何ができるんだ」
皮肉という意識はなかったが、吐息交じりの和彦の言葉は、確実に鷹津の痛い部分を抉ったようだ。少しの間、不自然な沈黙が流れる。
『俺が目の前にいないせいか、妙に強気だな』
「強気……。別に、そのつもりはない。ただ今は――」
ふいにベッドが揺れ、剥き出しになっている和彦の背に、温かく大きなてのひらが這わされる。そして、背後から伸びてきた手に、携帯電話を取り上げられた。振り返ると、三田村が無表情で携帯電話の画面を見て、相手を確認している。
不快そうに軽く眉をひそめた三田村は何も言わず、携帯電話をベッドに投げ置いた。
「三田村……」
和彦は仰向けになろうとしたが、それより早く三田村に腰を抱え上げられ、蕩けた内奥に強引に熱い欲望を捩じ込まれた。
「ああっ」
抑え切れない声を上げ、和彦はシーツを握り締める。思いがけない三田村の行動に頭が混乱するが、体は従順で、貪欲だ。奥深くまで三田村のものを呑み込まされると、きつく締め付けてしまう。
「あっ、あっ、うあっ……」
強く内奥を突き上げられ、そのたびに、注ぎ込まれていた三田村の精が溢れ出し、和彦の内腿を濡らしていく。
荒い息をつきながら、和彦はなんとか片手を伸ばして携帯電話を切ろうとする。すると三田村は、携帯電話を和彦の口元に持ってきた。三田村の行為の意味がわからず、和彦は口を開きかけたが、そこで、乱暴に腰を打ち付けられた。
「ひあっ」
三田村のものが一度引き抜かれ、再び内奥に、収縮する感触を味わうようにゆっくりと挿入されてくる。和彦は背をしならせながら腰を揺らし、明らかにそれとわかる喘ぎ声をこぼしていた。
「はあぁ……、あぅっ――」
声を堪えようとしても、できなかった。すでに脆くなっている部分を的確に三田村に攻め立てられ、和彦の体は素直に悦ぶ。せめて鷹津が電話を切ることを望むが、どうやらその様子はない。鷹津は沈黙して、気配と声をうかがっている。
三田村はあえて、淫らな行為の声を聞かせようとしているのだ。なんのために、と快感で霞む頭で考えようとしたが、それどころではない。和彦は甘い悲鳴を上げていた。
「い、や……。三田村、そこ、嫌だっ……」
三田村の片手が両足の間に入り込み、柔らかな膨らみを慎重に揉まれる。それでも和彦には十分の刺激で、呻き声を洩らして身悶える。
賢吾とも千尋とも違う愛撫に、無意識に腰が揺れる。その動きを封じるように三田村に内奥を突き上げられ、息も詰まりそうなほど感じてしまう。和彦の意識から、携帯電話も、その向こうにいる鷹津の存在すらも弾き出される。
「……気持ちいいんだな、先生。中が、ビクビクと震えてる。それに、きつく締め付けてくる。俺のものに吸い付いて、絡みついて、物欲しそうに奥へ誘い込もうとしている。ここに触れたら、こんな反応をするんだな。先生の中は」
ハスキーな声に唆されるように、和彦の感度は高まる。携帯電話のすぐ側で、切迫した息遣いを繰り返しながら、突き上げられるたびに甘く鳴く。そこに淫らな愛撫が加わると、狂おしい快感に気が遠くなりかける。
「あうっ、うっ、んうっ」
内奥を擦り上げられながら、柔らかな膨らみを手荒く揉みしだかれると、和彦は弱い。相手が三田村となると、なおさらだ。優しい男の激しい攻めに、和彦は放埓に悦びの声を上げ、あさましく腰をくねらせる。
「三田村っ……、も、う、またっ――」
「イクのか?」
そう問いかけてきた三田村の手に、透明なしずくを垂らす先端をヌルヌルと擦られる。
「あっ、あっ、出、るぅっ……」
内奥深くを突かれながら先端を撫でられ、とうとう二度目の絶頂を迎えようとした和彦の目の前で、三田村は携帯電話を切ってしまった。
三田村の行動の意味を問いかけられないまま、和彦は精を迸らせる。数瞬遅れて、三田村も内奥で達し、二度目の精を注ぎ込んでくれる。
激しく息を喘がせる和彦の背に、三田村が覆い被さってきて、耳の後ろ辺りにそっと唇が押し当てられた。
「――……先生は俺のものだと、知らせたかった。組長や千尋さんだけが触れられる存在じゃないんだと……」
三田村の絞り出すような囁きに、和彦は笑みをこぼす。
この男の独占欲は心地いい。秘密を吐き出した和彦の心を、柔らかく満たして癒してくれる。
「ああ。ぼくは、あんたのものだ。今だけじゃなく、それ以外のときだって」
和彦は手を伸ばして、携帯電話を床に落とす。その手に、三田村の温かな手が重なり、きつく握り締められた。
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