と束縛と


- 第9話(3) -


 ソファに腰掛けた和彦の顔を見るなり、無表情が売りである男は、わずかに目を丸くしたあと、微苦笑を浮かべた。
「――これからパーティーに出かける人間の顔じゃないな、先生」
 三田村の言葉に、和彦は眉をひそめてから、自分の顔に触れる。
「そんなに嫌そうな顔をしているか?」
「ヘソを曲げた子供みたいな顔をしている」
 三田村が冗談を言うのは珍しいと思ったが、もしかすると本当に、そんな顔をしていたのかもしれない。今の和彦は、少々の機嫌の悪さと、釈然としない気持ちを引きずっていた。
 髪に指を差し込もうとして、セットしたばかりなのを思い出す。一応、スーツも下ろしたばかりのものを着込んでいるのだ。気軽なパーティーだと言われはしたが、さすがにラフな格好で出かけるのは気が咎める。
 そう、和彦はこれから、パーティーに出かけなくてはならない。しかも、秦に招待されたパーティーに。
 秦から誘いを受けたことは、すぐに三田村に、そして賢吾にも報告したが、その賢吾から返ってきたのは、意外な言葉だった。
 出席しろ――。
 和彦が悩み、考え込む様を楽しむ、嫌な性向を持ち合わせている賢吾としては、このときから今この瞬間まで、和彦の反応は非常に満足のいくものだったろう。和彦はずっと、賢吾だけでなく、秦の意図を考え続けていた。
 その結果が、三田村に『ヘソを曲げた子供みたい』と言われた顔だ。
 そろそろ時間だと示すように、三田村が腕時計をこちらに見せる仕種をする。仕方なく和彦は立ち上がった。
「本当は、こういうときこそ先生についていてやりたいんだが……」
 玄関に向かいながら、ぽつりと三田村が洩らす。夕方から、仕事の関係で本宅に詰めることになっている三田村は、出かける時間をギリギリまで延ばして、こうして和彦の見送りにきてくれたのだ。
 和彦はちらりと笑みをこぼし、三田村の腕を軽く叩く。
「有能なヤクザっていうのも、大変だな」
「……堅気にそう言われたら嫌味だが、先生に言われると……どういう反応をしたらいいんだろうな」
 そう言う三田村の横顔は、無表情だ。その顔を見ても、怖いとも冷たいとも感じなくなった。むしろ今は、無表情の仮面の下、三田村は実はどんなことを考えているのか、想像する余裕すらある。
 靴を履いてから、三田村が玄関のドアを開けてくれるのを待っていると、何かを思い出したように動きを止め、和彦を見た。
「三田村?」
「――絶対、パーティーの最中でも、秦と二人きりにはならないでくれ。さすがにパーティーをしている店の中にまで、組の人間がついていくわけにはいかないからな。何かあればすぐに、外で待機している人間に連絡するか、店から抜け出すこと」
 箱入り娘か深窓の令嬢扱いだなと、苦笑を洩らしかけた和彦だが、真剣な三田村の様子から、寸前で唇を引き結ぶ。
 和彦も警戒はしているのだが、三田村を見ていると、まだまだ足りないらしい。
「秦が開くパーティーでなければ、楽しんできてくれと、先生に言えるんだが……」
 そう言いながら三田村が、和彦のネクタイを直してくれる。歯切れの悪い言葉から、和彦だけでなく、三田村も、パーティーに出席しろと言った賢吾の意図がわかっていないらしい。なんにしても、賢吾の命令であれば従うしかない。
「さすがに、人が大勢いる中で、ぼくの飲み物に薬を入れたりはしないだろう」
「……今度、あいつが先生にそんなことをやったら、俺が許さない」
 耳元で、ハスキーな声をさらに掠れさせて三田村が呟く。和彦はそんな三田村の頬を優しく撫でた。
「ヤクザがそういうことを言うと、物騒だ」
「言わせてしまう人間が、実は一番物騒かもしれない」
 一瞬、誰のことかと、眉をひそめて考えた和彦だが、三田村にじっと見つめられてようやくわかった。
「もしかして、ぼくのことか?」
「さあ」
 ちらりと笑みを見せた三田村は、玄関のドアを開けたときには元の無表情に戻っていた。促されるまま和彦は玄関を出ると、三田村に伴われてエントランスに降りる。そこにはすでに、護衛の組員が待っていた。


 拍子抜けするほど、秦が経営するレストランで開かれたパーティーは普通だった。
 パーティーの始めに、秦は招待客の前で挨拶をしたのだが、このとき、親しい人間だけを呼んだと言っていたが、実際、和彦が眺めている限りでは、誰もが秦と親しげに、楽しげに会話を交わしていた。
 唯一、笑顔も見せず、微妙な表情で秦と話していたのは、もちろん――。
 立食形式のパーティーということも、気軽さに拍車をかけているらしく、ホール内を絶えず人が行き来し、あちこちから談笑する声が聞こえてくる。
 和彦はオレンジジュースをもらってから、ホールの隅に置かれたイスに腰掛ける。グラスに口をつけながら、ようやく落ち着いて店内を見回すことができた。
 さほど大きな店ではないのだが、秦らしくインテリアに凝っており、華美さを極力抑えていながら、どことなく高級感が漂っている。だからといって肩が凝るほど格式張ってもいないので、不思議な居心地のよさがあった。落ち着いて食事を楽しみたい人間には、使い勝手のいい店だろう。
 経営者が秦でなければ、自分でも贔屓にしたかもしれない。そんなことを考えながら、つい気を緩めていた和彦だが、客と会話を交わしていた秦と偶然目が合い、反射的に背筋を伸ばす。
 いつにも増して艶やかで、女性客の視線をほぼ独占している美貌の男は、品のいい笑みを湛えて和彦の側にやってきた。顔の痣はすっかり消えており、表面上は、物騒なこととは無縁そうな実業家然としている。
 ただ、右手には包帯を巻いたままだ。そろそろ抜糸の心配をしなくてはならないが、さてどこで、ということになる。秦と二人きりになる危険性はよくわかっているので、和彦に同行する人間も必要だ。考えるだけで、頭が痛くなってくる。
 そんな和彦の気苦労も知らず、秦は穏やかな声で話しかけてきた。
「――壁の華、という表現は失礼ですか。先生のように魅力的な方に対して」
「来ている女性たちの熱い視線を独り占めしている男が、何言ってるんだ」
「先生こそ。女性のお客さまだけじゃなく、男性のお客さまの中にも、先生を気にされている方がいますよ」
 じろりと睨みつけると、悪びれた様子もなく秦は軽く辺りを見回した。
「先生は、ほんの少しでも同性に興味のある男を、妙に落ち着かない気分にさせるんですよ。自覚がなかった男の中から、どんどん欲望を引き出して、あっという間に取り込んで……骨抜きにしてしまう」
「……なんか、引っかかる言い方だな。性質の悪い女だと言われているみたいだ」
「女じゃなく、〈オンナ〉でしょう。怖い男たちに大事に大事にされている、特別なオンナですよ」
「おい――」
 和彦が声を荒らげようとしたとき、さらりと秦が言葉を付け加えた。
「もちろん、わたしにとっても」
 こんな場で怒鳴りつけるわけにもいかず、さらに毒気も抜かれたような状態になり、和彦は肩を落としてイスに座り直す。秦は声を洩らして笑ったが、すぐに、微かに眉をひそめて、胸元に手をやろうとした。秦のその仕種で、和彦はあることを思い出した。
「そういえば、肋骨を折っていたんだな。客の前で平然としているから、すっかり忘れていた」
「さすがに、お客さまの前で醜態を見せるわけにはいきませんから。先生は特別ですよ。事情を知っているから、つい気が緩む」
 肋骨を折ってはいても、秦の口は滑らかだ。どうやって反撃してやろうかと考えながら和彦は、ぐいっとオレンジジュースを飲み干す。そんな和彦を、秦はおもしろそうに見下ろしていた。
「お代わりをお持ちしましょうか?」
「いい。あとで自分で取ってくる」
 和彦の返事に、ああ、と納得したように秦は声を洩らす。
「また、薬を盛られることを警戒しているんですね」
「さすがにこんな場で、不埒なことをするとは思いたくないが……念のためだ」
 ここで二人組の女性客が秦に話しかける。このまま和彦の側から離れるかと思ったが、秦は愛想よく会話に応じはしたものの、ウェイターを呼んで、女性客を料理の置かれたテーブルへと案内させた。そして、和彦に向き直る。
「――招待はしたものの、先生に来ていただけると、確信はしていなかったんですよ」
 秦はさりげなく和彦の手から、空になったグラスを取り上げた。
「ぼくも、正直行くつもりはなかった。ただ、行くよう言われたんだ」
「組長から?」
「あの男は、ぼくの飼い主だからな。命令されれば、逆らえない」
「来られるなら、どなたかとご一緒かと思っていたんですが――」
「……その口ぶりだと、ぼくを利用して、長嶺組長と関わりを持とうとした目論見は、今のところうまくいってないみたいだな」
 このことについても、当然和彦は、賢吾に話してある。それでも賢吾は、秦に対してなんらかの行動を起こした様子もなく、果たして考えがあるのか、単に秦の存在が目に入っていないのか、限りなく堅気に近い和彦に推し量ることはできない。
「いつ、マンションのドアを蹴破って、長嶺組の方たちが雪崩れ込んでくるか、待っているのですけどね。今のところ、それはないですよ。だからこうして肋骨が折れた体で、派手なパーティーも開ける」
「調子に乗っていると、痛い目を見るぞ」
 和彦の忠告に対する返事のつもりか、秦は様になる仕種で肩をすくめると、次の客の相手に向かった。
 秦に、壁の華呼ばわりされて癪なので、立ち上がった和彦は壁際から離れる。ソフトドリンクばかりを飲んでいても仕方ないため、せっかくなので料理を堪能しておくことにした。


 何事もなくパーティーは終わりに近づき、和彦は一足先に帰るつもりでホールをそっと抜け出す。一声かけておこうと、受付を兼ねたレジカウンターに歩み寄ろうとしたとき、背後から柔らかな声で呼びとめられた。
「――先生」
 振り返ると、秦が大股で歩み寄ってくるところだ。逃げ出したいところだが、パーティーに招かれてそんな無作法もできず、足を止める。
「楽しんでいただけましたか?」
「ああ。酒が飲めなかったのは残念だが、料理は美味しかった」
 よかった、と洩らした秦が、一枚の名刺を差し出してくる。
「この店で、二次会をしています。こちらだと、いくらでも酒が楽しめますよ。なんといっても、クラブですから。今日は店の定休日でホストたちも出勤していないので、本当に、ただ飲んで、ゆっくりしてください」
「……二次会はけっこうだ。酒を飲むなら、部屋に帰って一人で飲む」
 露骨に警戒する和彦を見て、秦は意味ありげな笑みを唇の端に刻む。その表情が気になって、和彦は名刺を押し戻そうとしたが、反対に手を取られて押し付けられてしまった。
「おい――」
「ある人が、先生をお待ちですよ」
「ある人?」
「さきほど、店に電話がかかってきたんです。それでわたしが二次会の店をお教えして、先に寛いでいただいているというわけです」
 誰が待っているのか、秦は教えてくれなかった。
 二次会まで行く気はなかった和彦だが、待機している長嶺組の車に乗り込むと、こちらが何か言う前に、速やかに次の店へと向かい始める。名刺を見せるまでもなかった。
 つまり、〈誰か〉がすでに護衛の人間に用件を伝えて、指示を与えているということになる。それが誰であるか、考えるまでもない。
 パーティーの席で一滴も飲まなかった和彦だが、この時点で、酔いにも似た感覚に襲われる。
 そしてその感覚は、地下一階のクラブへと繋がる細長い階段を下りていくうちに、ますます強くなる。
 貸切という札がかかっている扉を開けると、夜のにぎわいを見せる地上のまばゆさとは対照的な、抑えめな照明の明かりとボーイに出迎えられた。
 店内へと案内されると、目の前の光景にふっと一瞬の既視感に襲われる。見覚えがあると感じたのは当然で、和彦はこの店を知っていた。実際に足を運んだのは今夜が初めてだが、クリニックのインテリアについて秦に相談したとき、写真で見せられたのだ。
 もう一軒の店同様、ホストクラブらしくない内装は、秦の好みが強く反映しており、インテリアの一つ一つも、物がいい。深みのある紫色がところどころで使われているが、妖しさを演出はしていても、下品にはなっていない。
 すでにレストランから移動してきた客が数人いたが、その中に一人だけ、カウンターで飲んでいるスーツ姿の男がいた。大柄で引き締まった体躯をしており、こちらに広い背を向けているにもかかわらず、近寄りがたい迫力を醸し出している。
 車中である程度の覚悟はしていたが、こんな場で見るこの男のインパクトは強烈だ。
 強張った息を吐き出した和彦は、知らない顔をするわけにもいかず、静かに歩み寄った。
「――……なんで、ここにいるんだ」
 和彦が話しかけると、長嶺組組長という物騒な肩書きを持つ男が、肩越しに振り返った。
「ホストクラブというから、ロクな酒がないのかと思ったが、ここはいい酒が揃ってるぞ。バーテンの腕も確かだ」
 そんなことは聞いていないと、賢吾を軽く睨みつける。唇に薄い笑みを湛えた賢吾に指先で呼ばれ、和彦は隣のスツールに腰掛ける。
「どうしてあんたが、ここにいる」
「仕事が早く片付いてな。それで、先生の浮気相手の顔を拝んでやろうと思ったんだ」
 浮気相手という表現に、つい賢吾を怒鳴りつけそうになったが、店内に音楽が流れているとはいえ大声を出して目立ちたくない。そこで和彦は、靴の先で賢吾の足を軽く突いた。
「……ぼくがパーティーのことを話したときから、こうするつもりだったんだろ」
 賢吾はニヤリと笑って話を続ける。
「乗り込んでいいか、レストランに電話して確認しようとしたら、ここで二次会をやると秦に教えられた。そこで、先生の先回りをしたというわけだ」
「……一杯飲んで、満足したか? ここは普通の客ばかりなんだ。あんたみたいな物騒な男がいたら、こっちがハラハラする」
「おとなしくしてるぜ? 俺は、紳士的な男だ。酒を出す場で暴れたりしない」
 何か飲めと賢吾に言われ、和彦はハイボールを頼む。ちなみに賢吾が飲んでいるものは、ギブソンだ。この男に甘口のカクテルは似合わないので、納得できるオーダーだ。
 物騒な男が隣にいて安心して飲めるというのも妙な話だが、和彦はこの夜初めて、やっとアルコールを味わうことができる。冷えたソーダの刺激が舌の上で弾け、美味しかった。
 いつものことだが、賢吾と二人で飲むとき、特に何かを話すわけではない。じっくりとアルコールを味わい、その場の雰囲気を楽しむのだ。
 いつものように賢吾とそうやって飲んでいると、次々に客がやってきて、店内はあっという間ににぎやかになる。ただ、盛り上げ役のホストたちがいないせいか、眉をひそめるほどの騒々しさはない。
「――お楽しみですか」
 賢吾の傍らに立ち、声をかけてきた人物がいる。秦だ。賢吾は悠然と顔を上げると、カクテルグラスを軽く掲げた。
「ああ。ここがホストクラブじゃなかったら、通ってもいいぐらいだ。俺は、男に接客される趣味はないからな」
 賢吾の言葉に、さすがの色男もどういう顔をしていいかわからなかったらしい。いくぶん困惑したようにちらりと和彦を見た。もっとも和彦のほうも、賢吾の言葉の真意はわからない。この男なりの性質の悪い冗談なのか、案外、本音なのか。
「気分がいいから、今夜は難しい話はなしだ。――色男、ガツガツするなよ。そういう姿は人に見せるもんじゃねーし、俺も、見たくねーからな」
 上機嫌ともいえる声音で賢吾がそんなことを言ったが、和彦には、大蛇がわずかに鎌首をもたげた姿が脳裏に浮かんだ。威嚇ではない。ただ、相手を値踏みしているのだ。
 賢吾の刺青について知らないはずの秦は、違う光景を頭に描いたのか、顔を強張らせている。いくつもの組と関わり、ヤクザとつき合いのある秦でも、賢吾が相手だと気圧されるらしい。
 秦が口を開きかけたそのとき、受付にいたボーイが慌ただしく秦に駆け寄り、何かを耳打ちした。眉をひそめた秦が、賢吾だけでなく、和彦にも視線を向けてくる。思わず和彦は問いかけた。
「どうかしたのか?」
「いえ……、今夜は貸切だと説明しても、入れてくれとおっしゃるお客様が見えられているのですが、佐伯先生のお知り合いだと――……」
 ピンとくるものがあり、まさかと思いながら賢吾を見る。賢吾は、今にも人を食らいそうな、剣呑とした笑みを浮かべた。
「いいじゃねーか。俺の顔を立てて、入れてやってくれ」
 賢吾の言葉を受け、秦はすぐにボーイに指示を出す。
 案の定、姿を見せたのは、鷹津だった。相変わらずのオールバックに無精ひげだが、今夜はスーツを着ていた。
 肩越しに振り返りながら鷹津を確認した賢吾は、短く声を洩らして笑う。
「千客万来ってやつか?」
「……あんたが言える台詞じゃないだろ」
 呟きで応じた和彦は、こちらに向かって歩いてくる鷹津を見据える。先日、鷹津から与えられた屈辱は、和彦の胸の奥で傷となってジクジクと痛んでいた。
 一方、事情がわからない様子の秦だったが、先日、自分が腹を殴った男が現れたことで、いくらか緊張した表情を見せる。鷹津のほうは、秦を一瞥したものの、声をかけることすらしなかった。賢吾しか目に入っていないようだ。
 秦は、立ち入ったことを尋ねてこようとはせず、別室に移動しないかと申し出て、尊大な態度で賢吾が頷いた。


「――そんなに俺の〈オンナ〉が気になるか、鷹津」
 重苦しい沈黙を破ったのは、賢吾の挑発的な言葉だった。新たに運ばれてきた水割りを飲んでいた和彦は驚いて、乱暴にグラスをテーブルに置く。正面のソファに腰掛けた鷹津のほうは、ウーロン茶に入った氷をカランと鳴らし、嫌悪感も露わに顔をしかめた。
 ただ一人、悠然とした態度を崩さない賢吾は、鷹津の反応に満足そうに喉を鳴らして笑ってから、ウイスキーミストの氷の粒をガリッと噛み砕いた。
「先生のあとをつけ回しては、脅かしているんだってな。可哀想に、先生がすっかり怯えちまっている。今夜だって、尾行していたんだろ。さすがに現役刑事だけあって、他人のケツを追いかけ回すのは得意ってことか」
「……なんとでも言え。こっちも言わせてもらうが、お前のオンナがそんな繊細なタマか。男のくせに、ヤクザの組長を咥え込んでいるってだけでも大したものなのに、その飼い犬とも寝ている」
「それだけじゃない。俺の息子のオンナでもあるんだぜ、この先生は」
 さすがに意表を突かれたように鷹津が目を見開く。和彦は賢吾を睨みつけたが、いつの間にか賢吾は、凄みのある目で鷹津を見据えていた。
「俺を潰したいからなんて理由で、こいつに近づくなよ。大事な大事な、俺たちのオンナだ。お前みたいな下衆が近づいていいような、安い人間じゃない」
「蛇みたいな男が、薄ら寒くなるようなことを言うな。……お前は、弱みを晒すような男じゃねーだろ。それとも、弱みを隠し切れないほど、そいつに骨抜きにされたか? 俺を失望させるようなことを言うなよ、クズどもの親玉ともあろう男が」
「しばらく辛酸を舐めたようだが、相変わらず口汚いな、鷹津。そんなんじゃ、誰にも好かれんだろ。それこそ、女だろうが、男だろうが――」
 急に賢吾の腕が肩に回され、抱き寄せられる。和彦がハッとして賢吾を見ると、ニヤリと笑ってあごを掴み上げられた。
「おいっ……」
「鷹津が先生をつけ回すのは、先生の仕事っぷりが見たいからだろ。長嶺組でどんな役目を負わされているか、本当に俺の〈弱み〉になりうるか、とかな。だったら望み通り、先生の仕事ぶりを見せてやればいい。俺のものを咥え込むという、大事な仕事をな」
 和彦は抵抗しようとしたが、有無をいわせず唇を塞がれる。呻き声を洩らしたときには強靭な舌が口腔に押し込まれていた。あごにかかっていた賢吾の手が移動し、両足の間に這わされたかと思うと、スラックスの上から手荒く和彦のものは揉みしだかれる。
「んんっ」
 自分を侮辱した男の前で、賢吾との行為を晒したくなかった。ささやかに残っている和彦のプライドが軋み、悲鳴を上げるが、賢吾は力でねじ伏せてしまう。
 ファスナーが下ろされ、入り込んできた指に形をなぞられる。ソファの背もたれに押し付けられながら、和彦が賢吾の体を退かそうともがいていると、嘲るような口調で鷹津が言った。
「おい、嫌がってるぞ。いくらヤクザのオンナとはいっても、少しぐらいはプライドがあるんだ。それを踏みにじるような酷なマネをしてやるなよ」
 ようやく唇を離した賢吾が、ゾクリとするほど穏やかな声で応じる。
「鷹津、ずいぶんお優しくなったな。〈おまわりさん〉をやっている間に、多少はまともな人間性を取り戻せたか。……元からお前にそんなものがあったかどうか、俺は知らんがな」
「貴様っ……」
「刑事に復帰したと思ったら、俺のオンナのケツを追いかけ回す。どうした、こいつのケツが、そんなに美味そうか?」
 和彦の顔を見つめたまま、賢吾はどこか楽しげに、たっぷりの毒を含んだ言葉を鷹津に向けて垂れ流す。ただ、大蛇を潜ませた目は、こんなときでも静かだ。賢吾は、鷹津と本気でやり合っているわけではない。弄しているだけだ。
 抵抗をやめた和彦の唇を賢吾がそっと吸い上げ、囁いてきた。
「――お前は、誰のオンナだ? お前が気にするのは、お前を飼っている男の反応だけだ。あとは、誰が何を言おうが、傲然と顔を上げてろ。お前の価値は、俺が決める。……先生は、とびっきりだ」
 ズキリと胸の奥が疼き、強い欲情が湧き起こる。うろたえる和彦を煽るように賢吾が唇を啄ばみながら、ベルトを外し始める。あやすように甘く優しい口づけに酔っている間に、スラックスと下着を脱がされそうになる。さすがに我に返って身を捩ろうとしたが、賢吾が意地悪く笑った。
「他人に見られるなんて、慣れてるだろ、先生。ただ、見ているのが刑事というだけだ。どうしようもない最低の刑事だけどな」
 賢吾の煽りにすかさず鷹津が乗る。
「……それ以上続けると、二人とも警察署に引っ張るぞ」
「公然猥褻でか? そりゃ、大手柄だな、鷹津」
 和彦はソファに押し倒され、無造作にスラックスと下着を奪い取られる。このとき靴も脱げてしまい、思わず視線を向けようとしたとき、鷹津と目が合った。
 人間臭いドロドロとした感情に支配された、見ていて吐き気がするような嫌な目だ。嫌悪と怒りが見て取れ、まとわりつくような不快な熱を放っている。まるで他人を搦め捕ろうとするかのように、粘ついた眼差しをひたすら向けてくる。
 のしかかってきた賢吾にジャケットの前を開かれ、ネクタイを抜き取られてワイシャツのボタンを外される。
 苛立ったように鷹津は舌打ちした。
「こんなもの、見てられるかっ。俺は男に興味はない。俺がビデオカメラでも持っていたら、喜んで録画して、バラ撒いてやるところだがな」
 そう吐き捨てて鷹津が立ち上がった瞬間、賢吾は鼻先で笑ってから言った。
「逃げるのか、鷹津」
「……避難だ。こんな気色の悪いもの、見てられるかっ……」
「見極めねーのか? こいつが、俺にとってどれだけ価値があるオンナなのか。弱みになるのか。こんな機会は、もう二度とねーぜ。俺は、特定のオンナは作らない主義だからな。――先生が最後かもしれない」
 鷹津を煽る言葉が、和彦の欲情を煽る。カッと体が熱くなり、触れられないまま紅潮する肌を、ワイシャツのボタンをすべて外し終えた賢吾が確認する。満足したように目を細めた賢吾が、優しい声で唆してきた。
「さあ、先生、この下衆な男に見せてやれ。自分がどれだけ、長嶺組の組長を骨抜きにして、惑わせているか」
 賢吾の熱い手にいきなり和彦のものは握り締められて、容赦なく扱かれる。呻き声を洩らした和彦は、咄嗟にソファの端を掴んだ。
 片手が胸元に這わされ、すでに興奮のため硬く凝った胸の突起をてのひらで転がされる。片足を押し上げるようにして覆い被さってきた賢吾にベロリと舐められてから、熱い口腔に含まれると、吸い上げられていた。
「あっ……」
 扱かれ続ける欲望の先端を、指の腹で擦り上げられる。ビクリと腰を震わせた和彦が唇を噛むと、腿から尻にかけて賢吾に撫で回された。
「――思い出すな。初めて先生を抱いたのは、ソファの上だった。あのときも、俺たちの行為を、人が見ていた」
「人が嫌がっているのに、お構いなしなのも、同じだ」
 すでに乱れた息の下、和彦が応じると、手荒な愛撫によって身を起こした欲望の形を、賢吾になぞられる。
「嫌がっている、か」
 くくっと声を洩らして笑った賢吾が片手を伸ばし、自分が飲んでいたウイスキーミストのグラスをソファの足元に置く。そのグラスの中から氷の粒を一つ摘まみ出すと、和彦の胸元に落とした。
 冷たさに身を強張らせていると、胸元に顔を伏せた賢吾が氷の粒を唇に挟み、肌の上に滑らせる。冷たさと、性的な興奮に、ゾクゾクするような感覚が和彦の背筋を駆け抜ける。
 すぐに氷の粒は溶け、肌に残った水を賢吾が舐め上げる。
「あのときと違うのは、俺は、先生相手の前戯の手を抜かないってことだな」
 氷をもう一粒摘まみ上げようとした賢吾が、ふと鷹津のほうを見る。立ち尽くしている鷹津に対して、賢吾が言葉をかけた。
「座ったらどうだ? どうせ公然猥褻で捕まえるにしても、もう少し盛り上がってからでも遅くないだろ」
 鷹津が憎々しげに賢吾を睨みつけ、同じく激しい眼差しを和彦にも向けてくる。こんな場面を見られて、困惑し、羞恥していたはずの和彦だが、負けずに睨み返していた。それが、鷹津を決心させたらしい。
「……ああ、つき合ってやる」
 鷹津が乱暴にソファに腰掛けると、それが合図のように、和彦は賢吾にあごを掴まれ、深い口づけを与えられた。
 賢吾は再び氷の粒を唇に挟み、熱をもって疼いている胸の突起に擦りつけてくる。氷が溶けると今度は、賢吾の熱い舌に弄られてから、きつく吸い上げられる。
「あっ、あっ……」
「こっちに氷を押し当てたら、もっと早く溶けそうだな」
 そう言って、賢吾が次に氷の粒を押し当ててきたのは、内奥の入り口だった。冷たい感触が内奥に押し込まれ、和彦が声を上げて腰を震わせているうちに、あっという間に氷は溶けてしまい、すかさず次の氷の粒が押し込まれる。今度は、一粒ではなかった。
 ウイスキーでいくらか溶かされ丸みを帯びた氷の粒が、挿入された指が蠢くたびに、繊細な襞と粘膜を強く刺激する。
「ああっ、あっ、んくうっ――」
 革張りのソファの上で、和彦は身悶える。氷の粒を呑み込まされていながら、たまらなく体が熱かった。
 物欲しげに賢吾の指を締め付けていたが、指が引きぬかれると、溶けた氷が水となり、内奥の入り口からこぼれ出る。賢吾はもう一度、今度はさらに氷の粒の数を増やして、同じ行為を施した。
 官能を刺激され、発情しきった内奥は簡単に氷を溶かし、今度は、燃えるほど熱いものを欲する。
 震えを帯びた息を吐き出して和彦がゆっくりと頭を動かすと、食い入るようにこちらを見つめている鷹津と目が合った。
 やはり鷹津の目にあるのは、嫌悪と憎悪だ。だが和彦は、鷹津からそれらの感情を引きずり出している今の状況に、奇妙な高ぶりを覚えていた。自分が嫌悪している男が、やはり自分に嫌悪の情を抱いているというのは、一種の感情の交流であり、繋がりだ。
 ある意味、倒錯した交わりかもしれない――と思った次の瞬間、和彦は短く悲鳴を上げて仰け反る。
 熱くなり、先端から透明なしずくを滴らせている和彦のものに、賢吾が氷を擦りつけてきたのだ。ツウッと根元から先端にかけて撫で上げられているうちに、氷が溶ける。
 和彦が腰を震わせて喘いでいると、柔らかな膨らみをやや乱暴に揉みしだかれ、はしたなく乱れてしまう。
 片足を抱え直され、内奥に氷の粒を押し込まれる。スラックスの前を寛げた賢吾が、高ぶった欲望を引き出し、氷の粒を呑み込んでひくつく内奥の入り口に擦りつけてきた。
「うっ、あぁっ――……」
 狭い場所を、傲慢な欲望が押し広げようとする。和彦は頭上に片手を伸ばして肘掛けを掴み、もう片方の手を賢吾の腕にかけていた。
 賢吾が腰を進め、和彦の内奥は熱く硬い欲望を呑み込まされる。氷の冷たさに晒されたばかりの場所にとって、賢吾の熱はまるで凶器だ。だが、浅ましく締め付け、吸い付き、さらに奥へと受け入れようと蠢動する。
「ひあっ……」
 内奥深くまで賢吾のものを呑み込んだとき、和彦は触れられないまま絶頂に達していた。賢吾だけでなく、鷹津が見ている前で精を噴き上げ、下腹部を濡らしたのだ。
「……行儀が悪いところまで同じだな。また、入れられただけでイったのか?」
 力強く内奥を突き上げられて、たまらず悦びの声を上げる。すると賢吾にあごを掴まれ、鷹津のほうを向かされた。
「今の顔も、しっかり見てもらえ。この顔で、俺を夢中にさせているんだ。……先生のこの顔は、猥褻だと言われても仕方ないな。この顔だけで抜けるほど、いやらしい」
 鷹津が見ている前でも、愉悦の表情は押し殺せなかった。賢吾の律動に翻弄され、和彦は身悶え、乱れる。そんな和彦を、鷹津は唇を引き結んだ鬼気迫る顔で睨みつけていた。
「中に出すぞ」
 賢吾の言葉に、反射的に和彦は首を横に振る。いくら快感に酔わされていても、この状況は把握できていた。
「嫌、だ……。こんな、ところで――」
「いつもは、そんなことを言わないだろ。ここに、熱いものをたっぷり出されるのが好きじゃねーか、先生は。しゃぶり尽くすように俺のものに吸いついて、ビクビクと痙攣しながら美味そうに飲み干して、もっと欲しいと言いたげに根元から締め上げてくる。……さあ、いつもみたいに俺を悦ばせてくれ」
 鷹津と視線を合わせたまま、賢吾の精を内奥深くで受け止める。和彦の体は、ソファの上で完全に溶かされ、賢吾に支配されていた。そうされることに、深い悦びすら覚える。
 精を迸らせたというのに、衰えることなく内奥でふてぶてしく息づき、強く脈打つ賢吾のものを、意識しないまま締め付ける。
「相変わらず、いい締まりだ。……慣れてない男なら、具合がよすぎて腰が抜けるかもな」
 わざと下卑た言い方をして、賢吾が低く笑う。和彦を煽るためというより、鷹津に対する嫌がらせだろう。もちろん、こんな恥知らずな言葉を聞かされる和彦はたまったものではない。気力を振り絞って賢吾を睨みつけたが、あっさり跳ね返された。
「――先生」
 賢吾に呼ばれて、口移しで氷の粒を与えられた。嬌声を上げ続けた喉が潤い、思わず和彦は吐息を洩らす。
 もう一度氷の粒を与えられ、そのまま賢吾と舌を絡め合っていた。和彦の鎮まりきらない欲情を感じ取ったのか、賢吾がゆっくりと内奥を突き上げ、簡単に喘がされる。
 そんな和彦を指して、賢吾は鷹津に言い放った。
「いいオンナだろ、鷹津? 俺の、大事で可愛い特別なオンナだ。……お前みたいな下衆が近づくなよ。先生が汚れちまう」
「汚物そのもののヤクザが、言えたことか」
「そのヤクザに寝首を掻かれて、一度潰された奴がいたな。そういえば――」
「だが俺は、刑事としてここにいる。お前を狩る立場にいることを、忘れるな」
 会話を交わしながら賢吾がゆっくりと体を離す。急に激しい羞恥心に襲われた和彦だが、後始末をしようにも体に力が入らない。
 密かにうろたえていると、ふとした拍子に鷹津と目が合った。また、嫌悪に満ちた視線を向けられるかと思ったが、鷹津は何も言わず顔を背けた。
「……ここは空気が悪い。帰るぞ」
 立ち上がった鷹津に、賢吾が声をかける。
「奢ってやるから、一杯飲んで帰ったらどうだ。ヤクザに奢られるのは、得意だっただろ。それに――興奮して、喉が渇いただろうしな」
 鷹津は、今にも飛びかかりそうな顔で賢吾を睨みつけ、そのまま黙って部屋を出ていった。乱暴に閉められたドアの音に肩を揺らした和彦の耳に、ぽつりと洩らされた賢吾の呟きが届く。
「なんだ、逮捕はなしか……」
 和彦はソファに横になったまま、あれだけ激しく自分を貪ってきたあとなのに、それでも精力的で精悍で、何より楽しげな男を半ば畏怖しながら眺める。思わず、こう問いかけていた。
「――……あんた、あの男を刺激して、どうしたいんだ?」
 和彦にハンカチを差し出してきながら、賢吾は目を細める。機嫌がよさそうにも見えるが、一方で、大蛇を身の内に潜ませた男らしく、ひどく残酷にも見える表情だ。
「何も。ただ、ウロウロされると目障りだから、嫌がらせをしただけだ」
「あんたに潰されても、しぶとく警察の世界で生きている男が、あんなチャチな嫌がらせで動じると、本気で思っているのか?」
「先生は本当に、ヤクザの組長のオンナらしくなったな。今の冷めた口調なんて、惚れ惚れしそうだ」
 顔をしかめた和彦は、半ば意地になって体を起こす。賢吾は低く笑い声を洩らしながら、傲慢な手つきで和彦を引き寄せ、唇を塞いできた。









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