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ステップ −Step−
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[4]

「――なんだかここ数日、毎日あなたの顔を見てる気がしますよ」
「気のせいじゃなく、本当にそうだろ」
 湯気が立ち 上る鍋を挟んで、智也と京一は軽く言葉の応酬をする。しかしすぐに、食事時にする会話ではないと気づいた。この場には、他に 三人もの人間がいるのだ。
 勇樹はどこかおもしろがるように、一方のさやかはハラハラしたように。辻は――いつもと変わ らずおっとりと。
 辻の反応は当然ともいえ、智也と京一の関係がどんな状態のものかまったく知らない。それを証明するよ うに、気が抜けるようなことを言った。
「智也、やっぱり料理うまいよね。すごく美味しい」
 椀を手に、辻は幸せそう に微笑んだ。勇樹とさやかが夕飯を作るということだったが、鍋の味つけに関しては、危なっかしいので、智也が担当した のだ。
「……鍋なんてのは、何でも適当に放り込めばできるんだ。だから誉めないでくれ」
「そんなことないよ。 智也が作ったものは、なんでも美味しい」
 こうも断言されると、照れ臭くて仕方ない。ニヤニヤと笑っている勇樹の足を蹴り つけてから、智也は取り分けたものに箸をつけようとしたが、京一の前に置いた椀に何も入ってないことに気づいた。さやかには 甲斐甲斐しく取り分けてやっていたくせに、自分の分は取り分けなかったらしい。
 京一と同じ〈兄〉という立場にいる者と して、京一のそんな姿を見て見ぬふりはできなかた。妹や弟に世話を焼いても、いざ自分のこととなると、妙なところで遠慮した り不器用になったりするものなのだ。
 自分のお節介に呆れつつ智也は、京一に向けて手を突き出す。
「さっさと食べな いと、自分の食べたいものがなくなりますよ。それでなくても、見かけによらずこの三人、よく食べますから」
 京一は面食 らった表情の後、首を横に振る。
「いや……、いい。自分で取る」
「とりあえずあなたも客ですから、遠慮しないでくだ さい」
 智也は腰を浮かせると京一の手から椀を奪い取り、適当に取り分ける。具が溢れそうになっている椀を差し出すと、 戸惑った様子で京一は受け取った。
 ぎこちない兄同士たちとは違い、他の三人は楽しげに会話している。どうやら気が合っ たようだ。ぼんやりしているように見えて、辻は相手から会話を引き出すのが上手い。今日初めて会ったさやかに対して、学校生 活についてあれこれ質問して、そこに勇樹が乗る形で、会話が弾んでいるのだ。
 三人の様子を横目に見て、智也はため息を ついてから、鍋に野菜を追加していく。締めはうどんにするか雑炊にするかは多数決で決めようと、まじめな顔を考えていると、 ふいに話しかけられた。
「――……誤解しないでくれ」
 驚いて顔を上げると、京一がぎこちなく椀に視線を落としなが ら、ぼそぼそと言った。
「えっ……?」
「別に、君らのことを疑って、今日ここに来たわけじゃない。ただ、さやかの顔 を見たかっただけだ」
 ご飯時に言うことだろうかと思いつつも、智也は苦笑を洩らして応じる。
「誰もそこまで深読み してませんよ。やましいところがないですから」
「なら、いいが……」
 京一が食べ始めたのを確認してから、智也は和 やかな場の雰囲気を壊さないよう、声を潜める。
「あなたがこの部屋に来てくれて良かったですよ」
「どういう意味だ?」
 顔を見合わせて話すのも気恥ずかしいので、二人は椀に視線を落としたまま話す。
「もし、あなたがさやかさんを呼び 出して、外で会うようなまねをしたら、おれは不愉快だったと思いますよ」
「それは……礼儀だろ。さやかを預かってくれて いる君らに対する。いくら俺でも、それぐらいはわかる」
 京一はまじめな男なのだと、いまさらながら実感する。まじめが 過ぎて融通が利かないところがあり、それが原因で少しばかり智也と衝突してしまうのだ。
 京一への認識が改まったのはいいが、 智也としては、面倒になってさやかを泊めたことなど、いまさら告白できない状況になっていた。一応、信頼めいたもの寄せられ たら、それを裏切りたくないと感じる程度の義理堅さを智也も持っている。
 決して弾んでいるとはいいがたい会話を、京一 とぽつりぽつりと交わしていると、ふいに隣で辻が言った。
「――何か、いいよねえ、こういうの」
 目を細めた柔らか な表情で、辻が四人を見回す。つられて智也は唇を緩め、勇樹がおもしろがるように続きを促した。
「何がいいの?」
「だって、こんなふうに夕飯一緒に食べて、話して……。僕なんか、研究室から戻ってきてもずっと一人だから、ご飯を食べてい ても味気ないんだよね」
「口うるさい兄貴と二人っていうのも、毎日だと嫌になるけど」
 口が減らない弟の足元を、智 也はもう一度蹴りつける。
「お前が口うるさくさせるんだろ」
「智也が人にかまうのは、愛情表現だよ。人の好き嫌いが はっきりしてるから、少しでも嫌だと思ったら、絶対自分から何かしてあげたりしないもんね」
 首を傾げながら、辻の無防 備な瞳がこちらを見る。返事に窮した挙げ句、智也は無難に逃げた。肉親以外で、一番愛情を注いできた相手からそんなことを言われて、平然 と頷けるほど智也の神経は図太くはない。
「……さあな。自分のことはよくわからない」
 すると勇樹が余計なことを言 った。
「だったら辻さんは、兄貴から一番、愛情表現されてるわけだ」
「あー、そうかなあ、やっぱり」
 何も知ら ない辻と勇樹が、顔を見合わせて笑っている。複雑な心境となった智也は、さりげなさを装いながら食事に戻る。目の前では、京 一とさやかが何かを話していた。さすがに二人とも、今まで見せたことがないような穏やかな表情をしている。
 ふいに、取 り残されたような寂しさが智也を襲った。
 この場にいる人間の中でただ一人、自分だけが心の内を見せていないような気が したのだ。より正確に言うなら、見せられないものを心の内に抱え込んでいる。しかも、この場にいる人間に対して。
 怯え が足元に絡みつき、動きを封じる。強迫観念に駆られたように、このことは絶対に誰にも――特に辻に対して、知られてはいけな いと思った。これまでさんざん強く願ってきたことだが、ときどき、自分が抱えたものの重さを忘れそうになるから怖い。
  この状態から解放されるために、誰でもいい、とにかく辻以外の人間をがむしゃらに思ってみたかった。そうすれば、心の 奥底に沈めたものの重さなど、きっと感じなくなる。それどころか、そんなものがあったことすら忘れてしまえるかもしれない。
 和やかな団らんの中、突然智也は、自分だけが輪から弾き出されたような疎外感を覚えた。


 後片づけを勇樹とさやかに任せ、智也は客であった二人を見送るため一緒に外に出た。
「夜はけっこう冷えるね」
 辻 が寒そうに肩を竦め、智也も軽く体を震わせてから頷く。
「風邪なんてひくなよ。環境が変わったら、ただでさえ体調崩しや すいんだから」
「大丈夫、大丈夫。いつもそうだろ? 心配してる智也のほうが、すごい風邪をひくんだから」
「……お 前まで余計なこと言うな」
「心配してるんだよ。僕がいなくなって、気が抜けた智也が大風邪ひくんじゃないかって」
  二人のすぐ背後を歩いている京一が、小さく咳き込む。こちらが風邪をひいたのだろうかと思って振り返った智也が見たのは、必 死に笑いを押し殺そうとしている京一の姿だった。互いに目が合い、気まずい感じで視線を逸らす。
 ゆっくりと階段を下り ながら辻は、今日は楽しかったとしきりに言う。智也はただ相槌をうち、京一はひたすら沈黙している。
 どうやら京一にと って、辻という人間は初めて会ったタイプの人間らしい。戸惑っているような、しかし興味深そう――珍獣を見るような反応から して、それとなく察することができる。
「――準備、進んでるか」
「なんとか。少しずつ向こうに荷物送ってるし」
「……なら、おれが手伝ってやることもないな……」
「そうだね。これから本当の一人だっていうのに、最後ぐらい智也に甘 えられないよ」
 辻は、智也に甘えたことなどない。いつも智也が勝手に世話を焼いていただけだ。そうすることで智也が安 心すると、辻はわかっているのだ。わかっていながら、互いに口にしない。それが、親友というものだろう。
 智也は軽く辻 の頭を小突く。
「お前、勇樹にまで心配されてたぞ。一人で大丈夫なのかって」
「みんなにそう言われるんだよね。なん でかなー」
 一階に下りると、呼んでおいたタクシーがマンションの前にとまっていた。辻が車に駆け寄り、くるりと振り返 る。
「今日はありがと。電話するから」
 タクシーに乗り込んだ辻は、すぐに体ごと後ろを向き、手を振る。外で手を振 るのが恥ずかしい智也は、控えめに片手をあげて返すだけだ。これでも精一杯の気持ちを表しているのだ。
 完全にタクシー が見えなくなってから、今度は京一のほうを見る。こちらは、まともに智也の顔も見ないで歩き出したので、どうしようかと迷っ てから、結局並んで歩きだす。
 すかさず、京一にぶっきらぼうな声で言われた。
「俺は別に、送ってもらわなくてもい い」
「ついでですよ。どうせそこの駐車場でしょ」
 会話がなくて気まずい思いをするかと思ったが、意外なことに、京 一のほうから話し始めた。
「――君の友人は、どこか行くのか」
 食事中などの会話で、辻がどこか遠くに行くことだけ は把握したらしい。
 智也は無意識に、唇に苦い笑みを浮かべていた。口調が投げ遣りなものにならないよう気をつけながら 説明する。
「アメリカに、留学するんですよ。環境科学ってのをやってるんですけど、おれは話を聞いてもさっぱり」
「いつ」
「もう十日もすると」
「それはまた……。えらくのんびりとかまえてたが」
「あいつはそういう性格ですか ら」
 神妙な顔で京一は頷いた。
「見ててわかる。独特のテンポの持ち主だな。ぼんやりしているというか、おっとりし ているというか――」
「辻がとろいと言いたいんですか」
「そんなことは言ってないだろ」
 何げない会話だったが、 二人の声が険を帯びるのはあっという間だった。ついでに、ムッとした視線がぶつかる。気の高ぶりに合わせたように、歩調も自 然と速くなっていた。
「だいたい君は、何かって言うと、俺に突っかかってくる」
「あなたの言葉には、嫌な含みっても のがあるんですよ」
「それは俺のせいじゃなく、君の被害妄想だろ」
「あなたが押しかけてきたに、あなたの言葉には手 酷い目に遭いましたからね」
「あれについては謝ったはずだ」
「謝られても、おれは十分に傷つきましたから」
 駐 車場を目の前にして、とうとう二人は足を止めて向かい合う。まだ夜も遅いというわけではないので、駐車場前の歩道に人通りは あるが、一切無視した。というより、目に入らない。
「傷ついたと言ってるがな、俺は当然のことを気にしただけだ」
「当然だから、あんな失礼なこと言ってもいいってんですか?」
「失礼なことは言ってないだろっ」
「言ってるじゃない ですかっ」
 一度口をついて出ると、止まらなかった。おかしなことに、今のこの状況にあってようやく智也は、心の中のも のを少しだが晒していた。今日集まっていた人間の中で、皮肉なことに京一が、智也ともっとも対等な立場にあるのだ。つまり、 遠慮をしなくていい。
 京一のほうは、さやかと一緒にいたときの穏やかな雰囲気は欠片もなく、最悪の初対面を果たしたと きと同じ、怒りのオーラを滲ませている。
 相性は最悪だが、ムキになるととことんまでやらないと気が済まない性格は、共 通しているらしい。
「――だいたい君は、別に弟がどうこうって言うんじゃなくて、俺のことが気に食わないから難癖つける んだろ」
「いつおれが、難癖なんてつけましたっ? どっちが被害妄想ですか。……おれも言わせてもらいますけどね――」
「さっきから言いたい放題だろ」
 ぐっと言葉に詰まりかけたが、智也は負けない。
「……あなたね、少しは妹離れ したらどうです」
「人の家庭の事情をよく知らない奴が、そんなこと言うなっ」
「知ろうが知るまいが、過保護なものは 過保護なんです」
「君のところとは違う。さやかは女の子だっ。しかも――いろいろと問題を抱えている。俺が大事にしなけ れば、誰が大事にしないといけない」
「大事にすることと、過保護は違います」
「君はカウンセラーか何かかっ」
  散々大声で言い合い、智也は肩で息をする。京一のほうも乱れた呼吸を、静かに整えていた。相手の出方を窺うように睨み合い、 それからふいっと顔を背けた。さんざん言い合って、言うべき言葉がなくなった。なんといっても、京一とは知り合ったばかりで、 個人的なことはほとんど何も知らない。それは、京一も同じだ。
「お気をつけてっ」
「そっちもな」
 挨拶に託けた 捨て台詞を投げつけ合ってから、智也は足早にマンションへ引き返していく。背後では、乱暴に車のドアが閉められた音がしたが、 振り返りはしなかった。
口中で悪態をつきながら智也が部屋に戻ると、テーブルの上はほとんど片づいていた。勇樹が、こ こまでこまめに働くはずがない。
 確信を持ってキッチンを見ると、さやかが洗い物をしている。
「すぐに手伝うから」
「あっ、いいですよ。もう終わりますから」
 兄のほうとは違って素直でいい子だと、怒りも手伝って智也は半ば本気で 感心する。同時に、京一がさやかに対して過保護な理由もわかる気がした。大事にしたいという気持ちは、簡単に歯止めを失うも のなのだ。それが肉親となれば、なおさらだ。
 京一に対して言いすぎたかもしれないと思ったが、自分の負けを認めるよう で、少々悔しい。
 立ち尽くす智也を、不思議そうに首を傾げながらさやかが見つめてくる。曖昧に笑って返すと、智也は自 分の部屋にいく。
 後片付けの手伝いもせず、智也の〈可愛い〉弟は、せっせと床の上に布団を敷いていた。智也が大きく息 を吐き出してドアを閉めると、勇樹が上目遣いで意味ありげに笑いかけてきた。
「――……何だ」
「靴を脱ぐ音が、かな り不機嫌って感じだったぜ」
 勇樹の言葉を肯定するように、智也は乱暴にベッドに腰掛ける。
「……どうも、兄貴のほ うとは相性が悪いみたいだ」
「派手にやり合ったのか?」
「駐車場の前でな。人前で痴話喧嘩するカップルを、なんて浅 はかでバカだと思ってたが、おれたちも相当のバカだな。というか、みっともないことをした……」
「兄貴もまだまだ若いっ てことだ」
 わかったように頷く勇樹の頭を、智也は思いきり平手で叩く。大げさに痛がりながら、勇樹が恨みがましい口調 で言った。
「こえーの。最近怒りっぽいんじゃないか。女のヒスみたいに」
 なぜ、うちの弟はこんなにも可愛げがない のだろうかと、しみじみと勇樹の顔を眺めていた智也だが、ハッと我に返って慌てて立ち上がる。兄弟で発展的でないことを話し ていても仕方ない。
 さやかを手伝うため、智也は再びダイニングへと向かった。




 さやかとの奇妙な同居生活が始まって、ようやく一週間が過ぎようとしていた。もう一週間といってもいいのかもしれないが、 一緒に暮らしてみると、案外時間の感覚はいい加減なものだ。
 智也は、辻が日本にいられるだけの日数を指折り数える度、 さやかが部屋に来てからの日数も数えるようになっている。なんとも寂しい習慣だと、そんな自分に気づいて苦笑するが、すでに クセになりつつある。
 会社帰り、待ち合わせ場所のファッションビルの前に立った智也は、そろそろさやかをどうするべき か、ぼんやりと考えてみた。もちろん真剣に考えているわけではない。そうでなければ、目の前を行く制服姿の女子高生たちに目 が向くわけがない。
 下校途中の彼女たちは、実に軽やかで華やかだ。純粋に、見て楽しめる。
「――智也さん、楽しそ うですね」
 突然声をかけられて、慌てて振り返る。軽やかで華やかな存在の一人であるさやかが、鞄を脇に抱えて立ってい た。不機嫌な表情をしているので、ついからかってみたくなる。
「楽しいね。最近、どんどんスカートが短くなってるから」
「やだなあ。その言い方」
 冗談だよ、と言いながら、人の出入りが尽きることのないビルのほうを示し、頷いたさやか と一緒に中に入る。
 朝、買い物につきあってくれとさやかから言われた智也は、会社帰りに待ち合わせたのだ。勇樹のほう は、進路相談の順番が回ってきたということで、今回はパスだそうだ。
 階段を弾むような足取りで上っていくさやかの後ろ 姿を眺める。動く度に、肩の上で髪が跳ねていた。
「女の子ってのはいいね」
 智也の言葉に、不思議そうにさやかが振 り返る。そして自分のスカートの端を少し持ち上げた。
「これ、穿いてみたいですか?」
 どうしてそういうことになる のか、女の子の思考はよくわからない。
 智也は苦笑しながら否定した。
「そうじゃなくて……、ふわふわしてて、柔ら かそうで、でもちゃんと存在感がある。男のおれからしてみたら、昔も今も、女の子は不思議な生き物だよ」
「実感としては、 よく分からないですよ。そんなの。でもわたしは、男の子がいいなって思います。勇樹とか見てると」
「あれは脳天気だから な」
「痛くても、ぶつかって物事受けとめるでしょ? ああいうところ、羨ましいです。タフっていうのかな」
「ああい うのは……あまりよくないよ。深く考えずにぶつかって、あとで、痛くなる。――耐え切れないぐらい。みんながみんな、痛みに 強いわけじゃない。痛い思いをしたから、どうにも乗り越えられないことだってあるしね」
 何か言いたげな視線を向けてき たさやかが、智也の腕を取って引っ張る。
「わたし、パジャマ欲しいんです。いつまでも智也さんの借りてるわけにいかない から」
 その言葉から察するに、さやか自身は家に帰るつもりがないようだ。智也も、つい今し方までさやかを帰すことを考 えていたくせに、笑って応じていた。
「君のお兄さんが目を剥くぐらい、色っぽいのを買えばいい」
「そしたらまた、智 也さんとお兄ちゃん、外で痴話喧嘩ですね」
 ちょっと意味が違うと指摘したかったが、そのときにはパジャマを置いてある ショップに引っ張り込まれてしまう。
 どんな問題を抱えていても。少女の性質そのものは変えられないのだと、よく笑うさ やかを見ていて思う。たとえ無理をしているのだとしても、表面を取り繕えるのは立派な強さだ。
 次の瞬間、智也は心の中 で自嘲していた。
 表面を取り繕えるのが強さなら、同じ種の強さを智也自身持っていることになるのだ。
 智也はずっ と、表面を――表面だけを取り繕い続けてきた。


 夕飯の材料もついでに買った帰り道、パジャマが入った袋と鞄を抱えたさやかがふいに、暗くなりかけた空を見上げた。
「――わたしが、どうして勇樹のところに来たかわかります?」
 つられて空を見上げた智也は、今日は星が出ていないのを 初めて知る。宵の口だが、気が早い星は、いつもならとっくに輝いているのだ。明日は天気が悪いかもしれない。
 ここで智 也は、さやかとの会話に意識を戻す。
「……君のお兄さんが言ってた通り、親と一緒に住んでないから、かな」
「勇樹っ て、学校でいつも智也さんのこと言ってるんです。口うるさいとか、細かいとか。話を聞いてて、わたしずっと会いたかったんで す。だけど、家には誰も連れて来るなって言われてるからって、断られて――……。今回は、わたしが行動を起こした記念に、絶 対会おうと思ったんです。追い返されたとしても、少しは話ができるかなって……」
 勇樹は学校で、どれだけ兄のことを悪 し様に言っているのだろうかと、想像するだけで苦笑が洩れる。とにかく勇樹が、さんざん智也のことを言っていた結果、こうし てさやかに、そして、あの京一とも出会えたわけだ。
 この出会いがよかったか悪かったかは、今後の展開次第だろう。
 智也は冗談っぽく尋ねた。
「会ってみた感想は?」
 さやかは、満面の笑みを向けてきた。
「わたしのお兄ちゃん とは全然違うと思ったけど、少し似てます」
「どこが」
「自分を犠牲にしているところ、かな……」
 寸前まで満面 の笑みを浮かべていたさやかは、この瞬間、申し訳なさそうな表情となる。まるで、知ってはいけない秘密を知ってしまったかの ように――。
 確信があったわけではないが、さやかの表情の変化を目にして、智也の顔は強張る。まさか、という思いを裏 づけるように、さやかはわずかに目を伏せた。そして、秘密を告白する。さやかではなく、智也の秘密を。
「――……智也さ ん、買い物をする前に、ふわふわして柔らかいって言ったでしょ? あれ、女の子のこと言ってるんじゃなくて、……辻さんのこ とを言ってるみたいでした。あの人、わたしの目から見ても、そんな感じがしたんです。それで、智也さんが男も女も関係なく守り たいって言ったのは、辻さんのことなんだって、すぐにわかりました」
 女の強さと勘はバカにできない。自分の額に手を当 てて言葉を模索した智也は、言い訳にもならないようなことを口にしていた。
「……勘違いしないでもらいたい。おれは別に、 辻が放っておけないだけで……、それ以外の感情はないんだ」
 数秒の間の後、さやかは小さく頷いた。
 たったそれだ けのことだが、智也は救われた気持ちだった。さやかは、智也の下手なうそを見抜いていながら、あえて逃げ道を作ってくれたの だ。








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