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ステップ −Step−
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[12]

 京一が軽くドアをノックし、応答を待たずに開けた。三人が中に入ったところで、京一がさらに数歩前に出る。
 智也は緊 張しながらも、やけに冷静に室内の様子を観察していた。
 応接セットだけがやたら目立つその部屋には、さやかの他に、並 んで座った中年の男女と、家庭訪問で顔を合わせている勇樹の担任教師がいた。そんな大人たちに囲まれて、さやかはひどく頼り なく見え、胸が痛む。
「……お兄ちゃん……」
 強張り青ざめた顔のさやかが小さく洩らすと、呼応するように、さやか の隣に座った中年女性が口を開いた。
「京一、あなたどうしたの」
 神経質な印象を受けるその声に、智也は聞き覚えが ある。京一の自宅で、ドア一枚を隔てて聞いた声だ。つまり、京一とさやかの母親だ。だとしたら、中年男性のほうは父親で間違 いないだろう
 母親の問いかけに対して京一は、おそろし く感情を押し殺した声で応じた。
「あんたたちが学校に来てると聞いたから、放っておくわけにはいかなかったんだ」
  すると、兄妹の両親と、担任教師の目が、勇樹と智也に向けられる。なぜここにいるのかと表情が言っており、智也は軽く頭を下 げた。
「さやかさんと同級生の手塚勇樹と、その兄です。それと――さやかさんは、家で預かっています。彼女が家を出た理 由も、だいたい聞いています」
 この瞬間、兄妹の母親が弾かれたように立ち上がった。一見して上品そうな、顔立ちの全体 の造りがさやかとよく似た女性だが、顔つきが変わっている。
「どういう神経してるんですっ。年頃の女の子を家に連れ込む ことに、親御さんは何も言わなかったんですかっ」
 鋭い叱責に智也は動じなかった。京一を見習い、あくまで落ち着いた物 腰で応じる。
「うちは弟と二人暮らしなんです。ですから、両親はさやかさんのことは何も知りません」
「だったらなお さらです。そんな環境で、さやかを預かってたなんて……。常識というものがないの?」
「確かに軽はずみなことかもしれま せんし、常識がないと言われても仕方ありません。ですが、どうしても看過できないことがありました。そのうえで常識外れと罵 倒されてもかまいません。――萩原さんと同じで、ぼくにも想像はつきますよ。もしそちらに連絡した後、彼女がどんな目に遭う 恐れがあったか」
 智也がなんのことを指しているのか、この場にいる全員が把握しているのだろう。兄妹の母親の顔が見る 間に紅潮し、屈辱に耐えるように唇を噛み締める。
 助け舟のつもりなのか、すかさず担任教師が会話に割り込んできた。
「あのっ……、そのことについてはですね、萩原のお母さんも反省なさっているんです。つい手を上げてしまったということ で。やはりそういったことは、親子間で話し合うのが一番だと……」
 まだ三十代そこそこに見える担任の言葉から、母親が どういう説明をしたのか推測できる。おそらく、母親に逆らう娘を思わず殴ってしまったと、そういう言い方でもしたのだろう。 娘の身を案じる一方で、自らを保身しているというわけだ。
 この母親を糾弾してやりたい衝動に駆られた智也だが、寸前の ところで堪える。この判断は、京一やさやかがすべきことなのだ。
 智也は大きく息を吐き出すと、この場での自分の立ち回 り方をわかりかねているようにも見える父親らしき男と、母親をそれぞれ見る。ついでに担任の顔も。
「これだけは言ってお きますが、ぼくやぼくの弟は、やましいところはありません。これはぼくたちだけの名誉から言っているのではなく、さやかさん の名誉のためにも断言しておきます」
「そんなこと信じられるわけないでしょうっ」
「――勇樹や智也さんのこと悪く言 ったら、許さないから……」
 感情の高ぶりからか、震えて細くなった声が上がった。さやかだ。
 人形のように無表情 を保ち続けていたさやかが、感情が堰を切ったように目を赤くして、母親を睨みつける。
「お兄ちゃんと一緒に、わたしのこ とを守ってくれて、優しくしてくれた。そんな人たちを侮辱したら、わたし、お母さんを憎む。お母さんに対して、どんな感情も 持たないようにしようと思ってたけど、これだけは我慢できない」
「さやか……」
 驚いたのは、母親だけではない。こ の場にいる全員が、目を見開いてさやかを凝視した。細く震える声に似合わない激しい言葉に圧倒されたのだ。
「母親だから 何をしても許されて、当然だって考えてるお母さんに、わたしはもう、何も感じないの。何度も殴られているうちに、愛情なんて 壊れちゃったの」
 溢れようとする涙を、さやかかは気丈にも、邪魔なもののように無造作に手の甲で拭ってしまう。
「お父さんもそう。どんなに訴えても、わたしやお兄ちゃんが悪いからだ、お母さんは親として当然のことをしてるんだって言っ て、ずっと逃げてた。止めさせてもらいたかったから、わたしは言ってたんじゃない。ただ、受けとめてほしかった。わたしやお 兄ちゃんのことを。ギリギリのところで、こんな人たちでも自分たちの親だって思い込もうとしている、最悪な気持ちも」
  いきなり立ち上がったさやかが小走りで京一の隣に行く。すかさず京一は、さやかを守るように肩を抱き寄せた。もう話すのは限 界かと思われたが、さやかは強かった。
「……わたしが家出したのは悪いことだけど、だからって、勇樹や智也さんは悪くな い。これだけはわかって」
 決然と言い切ったさやかに、初めて父親が口を開いた。
「気が済んだなら、もう家に戻って くるな?」
 かける言葉はそうではないだろうと、智也は本気で腹が立った。ぐっと拳を握り締め、てのひらに爪を食い込ま せる。
 智也よりもさらに強い怒りを感じているのだろう。父親の言葉に応じたのは京一だった。
「さやかは、俺のとこ ろに住まわせる。あんたたちのところには置いておけない」
 智也は、向けられている京一の広い背をじっと見つめる。
「――さやかは、放棄したんだ。あんたたちが愛情として与えてくるものを。それなのに一緒に暮らしてどうする。この先ずっと、 体裁だけを取り繕って、あんたたちの自己満足のために家族ごっこを続けるのか? やるなら、二人で勝手にやれ。俺とさやかは、 自分たちにとって安全な場所を作る。少なくとも、母親の気まぐれで殴られることのない場所だ。そのために、さやかは俺が預かる」
 さやか以上に、京一の言葉は苛烈だった。両親への怒りも憎しみも隠そうともしていない。さやかを守るために溜め込んで いた負の感情を、やはりさやかを守るためにぶつけているのだ。
 智也は頃合を見計らって、隣に立つ勇樹の腕を引っ張ると、 指でドアのほうを指す。意図を察した様子で勇樹が頷いた。
 二人がそっと部屋の外に出ようとしても、誰も何も言わなかっ た。それどころではないのだろう。兄と妹が曝け出した感情を理解するために必死なのだ。
 廊下に出て静かにドアを閉めた 智也は、大きく息を吐き出す。すると勇樹が問いかけてきた。
「……どうして外に出たんだ」
 智也はちらりと苦い笑み を浮かべた。
「おれたちは他人だ。壊れていく家庭を見る義務も権利もないだろ。それに、見てほしくないだろうと思って な、あの二人が」
「壊れていく、家庭?」
「親からの愛情がいらないと言われたら、どうやって繋がるんだ、家族ってい うものは。少なくともおれにはわからないね」
 智也と勇樹は呼び戻されることもなく、話し合いが終わるまで廊下で待って いた。今の智也たちにできるのは、それしかなかった。


 ドアが開いたのは、それから一時間以上経ってからだった。先にさやかが、京一に背を押されて出てくる。京一もあとに続こう として、中からヒステリックな声が上がった。
「あんたたちに、母さんの気持ちがわかるのっ?」
 智也や勇樹だけでな く、さやかまでビクリと肩を震わせたが、一方の京一は動じた様子も見せず、冷ややかな表情で振り返る。
「だったら、殴ら ないで言葉で伝えれば良かったんだ。俺たちは親子だった。それぐらい、難しいことじゃなかったはずだ。もしかしたら、それで 理解し合えたかもしれないし、少なくともさやかは、そうしようと努力していた。その気持ちごと粉々に砕いたのは母親のあんた だ。――それでは先生、事情はこういうことですから、さやかはわたしの家で預かります」
 激することなく言い放った京一 がドアを閉めて足早に歩き出したので、智也たちも慌ててついて行く。
 歩きながら智也はさやかを見た。まだ少し目は赤い が、涙を流した様子はない。智也の視線に気づいたように、さやかが自嘲気味に笑った。
「わたし、親に対して、あんなに言 いたいこと言ったの、初めてです」
「……言ったんだ」
「言いました。言わなきゃ、伝わらないんです。どこかで、黙っ ていてもわかってもらえるかもって期待してたけど……ダメですね」
 さやかの痛みを引き受けるように、京一がきっぱりと 言った。
「――あれで良かったんだ。そうでないと、あの人たちにはわからない」
 駐車場まで行くと、四人は車に乗り 込む。高校生二人は後部座席なので、さやかが遠慮がちに、シートの間から顔を出してきた。
「結局わたし、お兄ちゃんに迷 惑かけちゃうね。偉そうに、お兄ちゃんに自由になってもらいたいとか言ってたのに……」
「誤解するな。俺はお前に縛られ るつもりはない。ただ、お前がこの先どうしたいのか、考えるための場所を提供するだけだ。あの家じゃ、それもできないからな」
「でも結局、同じことじゃ……」
 京一に代わり、智也がさやかに言う。
「君が負担に感じないよう、これでも君の お兄さんは言葉を尽くしているんだよ。ようは、君に望むことは、強くなってもらうことじゃないと言いたいんだ。君のお兄さん は」
「だったら、なんです?」
「君が、普通の女の子みたいにコロコロと素直に笑ってくれてたらいいんだ。そのために なら、ここにいる男三人は、なんでもするよ。まず最初に、少し肩の力を抜いてみればいい」
 智也の言葉に、さやかは目を 丸くして、京一は唇を綻ばせる。
 四人とも気疲れしてしまったのか、そのあとは会話も少なくなり、緩やかな空気が車中に 流れる。ただ、学校に向かうまでの息も詰まるような緊張感はなく、この空気が智也は嫌いではなかった。
 自宅のマンショ ンが見え始めると、シートにもたれかかっていた智也は身を起こし、京一を見る。すると京一がふっと笑みを浮かべた。
「― ―そんな顔をしなくても、さやかは預けていく。あの場では、すぐに俺のところに連れて行くみたいな言い方をしたけどな。さや かが俺のところに来たくなったときでいいんだ。一緒に暮らすのは」
 自分たちの両親の前で、あんなにも冷淡な言動を取っ ていた男とは思えないほど、京一は優しい表情をする。その表情を目にして、智也の胸は締め付けられた。たまらなく切なくなっ たのだ。
 車が停まり、勇樹がさやかの分も鞄を持って先に降りる。ためらいながら、さやかもあとに続いた。それを確認し た智也は、改めて京一を見る。
「萩原さん、仕事のほうは?」
「戻らなくていい。このまままっすぐ帰る。君は?」
「あなたと同じですよ」
 このとき示し合わせたように二人の視線はすうっと吸い寄せられる。京一に対して、強烈な離れが たさを感じ、智也は自分の中でその感情を素直に認めた。もっと一緒にいたい、と。
 そこで智也はこう切り出す。
「… …今日、うちに泊まっていきませんか。いろいろあったから、さやかさんと離れがたいでしょうし」
「いいのか?」
「い いですよ。……あなたさえよければ、ですけど」
 内心、断られたらどうしようかと身構えながらの申し出に、京一は拍子抜 けするほどあっさりと頷いた。




 受話器を置いた智也は大きなため息を吐きつつ、長電話で痺れた手を振る。
「――お袋、なんだって?」
 智也が母親 からの電話の相手をしている間に、夕飯の後片付けを終え、風呂まで入ってしまった勇樹が尋ねてくる。すっかり気が抜けた弟の 顔を見やって、智也はもう一度手を振った。
「担任から電話があったと言ってた」
「それで?」
「はいはいって、話 は聞いておいただと。おれが事情を話したらわかってくれたみたいだ。ついでに、息子たちのことも信じてくれてるみたいだな。 父さんに似て、おれたち兄弟に悪さする度胸はないと見抜いてるんだろ」
「お袋も大ざっぱだからなー」
「その性格に関 しては、見事にお前が受け継いでるな」
 肩をすくめた勇樹が、次の瞬間には何かを思いついたように目をキラキラと輝かせ る。イタズラ好きの犬っころみたいな目だなと智也が感心している間に、勇樹は部屋にいるさやかを呼んだ。
 京一のほうは、 勇樹と入れ違いに今は風呂に入っているらしい。
「何?」
 レディーファーストの精神に則って一番最初に風呂に入った さやかは、寛いだ部屋着に着替え、表面上はいつもと変わらない。やるべきことを終え、ほっとしているのかもしれないが、それ は本人にしかわからない。
「萩原、お前、部屋で一人で寝たいだろ?」
 勇樹の突然の質問に、智也とさやかは顔を見合 わせる。
「……どういう意味?」
「だから、そのままの意味だ。いまさら、兄貴と同じ部屋に寝るのは嫌だろ」
「お 兄ちゃんと――……、あっ」
 声を上げたさやかが、今度は勇樹と顔を見合わせる。どうやら勇樹の質問の意図するところが わかったらしいが、智也にはさっぱり理解できない。
 目の前で同じような笑みを交わし合った二人が、首を傾げる智也を見 た。
「と、いうわけで、萩原は部屋で一人で寝たいから、萩原兄は行き場をなくして兄貴の部屋で寝ると。俺はまあ、仕方な いから、またここで寝てやる」
 足元を指さした勇樹が、さっそくとばかりに智也の部屋に駆け込み、布団を運び出そうとす る。ようやく高校生組の企みを理解した智也は、慌てて勇樹を追いかけて止めようとする。
 つまり二人は、智也と京一を同 じ部屋で寝させるために、妙な芝居をしたのだ。
 ここに泊まるよう京一を誘ったのは智也だが、決してそこまで考えていた わけではない。ただ、同じ空間にいる時間を共有してみたかっただけだ。兄と妹が同じ部屋で寝る権利まで取り上げるつもりはな い。
 智也はなんとか勇樹を説得しようとしたが、そんな努力は、さやかの言葉で呆気なく砕けた。
「全っ然、問題ない ですよ。遊園地に行ったときに、話したいことは話しましたし、今日はお兄ちゃんもゆっくり休みたいと思います。それに、改め てお兄ちゃんと二人きりになっても、なんだか照れ臭くて、まともに話せそうにないし。むしろ、智也さんが相手のほうが、お兄 ちゃんもいろいろ話せるんじゃないかな」
 さやかにここまで言われると、智也としてはもう何も言えない。
 何も知ら ない京一が、智也が持ってる中で大きめのサイズのパジャマを着て風呂から上がってくる。ダイニングに嬉々とした様子で布団を 敷く勇樹を見て、不思議そうに智也に尋ねてきた。
「なんでここに布団を敷いてるんだ」
「……うちのバカ弟は、一度こ こで寝てから病みつきになってるんですよ」
 話しながら顔が熱くなってきて、まともに京一の顔を見ることなく、智也は着 替えを取りに自分の部屋に入った。


 さやかのいる部屋の電気が消え、ダイニングのほうも、布団に入った勇樹が目を閉じて動かないのを確認してから電気を消す。
 ようやく自分の部屋に入った智也は、床に敷いた布団の上に、あぐらをかいて座った京一を見て、いまさらながら緊張して しまう。
 また部屋を出ていきたくなったが、京一がそんな智也を見上げて優しく笑いかけてきたので、動けなくなった。
「――……今日は……」
「んっ?」
「今日は、忙しい一日でした」
 智也がやっと絞り出した言葉に、表情を変 えないまま京一は頷いてくれた。ほっとして微笑み返しながら、智也はぎこちない足取りでベッドに近づき腰掛ける。
「とり あえずは、終わったという感じだな……」
「終わったんですか?」
「終わった。俺は今まで、お袋も親父も憎くて仕方な かった。だけど、さやかの愛情が壊れたっていう言葉で、どうでもよくなった。少なくとも愛情って信じて押しつけてきたものが、 さやかのあの一言で、吹き飛んだんだからな。あの人にとっては、信じられないことが起こったんだ」
 頭に浮かんだことを、 智也は率直に尋ねた。
「……復讐、したかったんですか?」
「どうだろうな……。他人を憎むのとは、わけが違う。だけ どやっぱり憎いんだ。怒りを通り越して」
 ここで京一が顔をしかめ、口元に手をやる。自分でも言いすぎたと思ったらしい。
「ダメだな。君が相手だと、俺は本音を隠せない」
「それが本当なら、おれは嬉しいですよ。信頼されているんだと思え て」
 智也を見上げた京一が、まぶしそうに目を細める。
「――さやかが君たちのところに来てなかったら、俺やさやか は、何も変えることができなかったと思う。いや、さやかだけは変えようとしていたんだったな。……俺だけが、何も変えられな かった」
 気恥ずかしさに首をすくめた智也は、照れ隠しに髪を掻き上げながら応じる。
「何もしてないですよ。おれは。 勇樹を監視して、たまにココアを入れてやっただけです」
「自分を過少評価しすぎるって言われてないか?」
 あなたは おれを過大評価しすぎですよと思いながらも、素直に京一の言葉が嬉しかった。
「ああ……、そうですね。おれはそれを変え ないと……」
 智也はパジャマの胸ポケットに入れておいた煙草とライターを出し、火をつける。京一も自分の煙草を咥えた。
 二人分の煙草の煙を眺めながら、智也は感慨深く呟く。
「おれたち、初めて会ってから三週間経って ないんですよ」
「そのわりには、すっかり馴染みきってるな」
 京一の言葉に、声を洩らして笑ってしまう。実際そうな のだ。こうして二人でいることも、家族のことで真剣に話し合うのも、すっかり日常の一部になってしまった。ものすごいスピー ドで、京一の存在が智也の中に溶け込んでいく。
「……考えてみればすごいですよね。その間に、家出した子と一緒に暮らし て、家族の問題を見せつけられて、辻が遠くに行って、おれは辻への想いに完全にケリをつけて――」
「俺のことは?」
 京一にさらりと言われて咳き込んでいた。慌てたように京一が身を乗り出してくる。
「大丈夫か?」
「大丈夫、です… …」
 動揺した智也は、手が微かに震えていることに気づき、慌てて煙草を揉み消す。こうもはっきり聞かれるとは、予想して いなかった。
 やはり煙草を消した京一が、片手を差し出してくる。智也は視線を泳がせながらも、おずおずとその手に応え た。
「――……萩原さん、大胆ですね」
 取られた手を両手で包み込まれる。温かさと優しさが、触れ合っている部分か ら体の中に流れ込んできた。この温かさが好きだと、素直に思った。もちろん、この温かさを持つ人物のことはそれ以上に。
「同じ家の中に、うちの弟と、あなたの妹がいるんですよ」
「だから?」
 そう問いかけてきた京一は、イタズラっぽい 笑みを浮かべている。こんな表情もできるのかと、つい智也も笑みを浮かべていた。
「ほんの三週間ぐらいで人を好きになれ るんなら、おれが引きずってた何年分もの想いはなんだったのか、という気がしてくるんですよ」
「でも、そういうものがな かったら、君は今みたいな人間になってなかったろ」
「そう、ですか……?」
「そうだ」
 京一の言葉は、見事に智 也の心を捉えていく。無条件に、京一という存在に反応してしまう。表情であったり、言葉であったり、体温であったり――。
 指を軽く掴まれて、引っ張られる。体を前屈みにしながら二人の間の距離をなくしていくと、耳元に顔を寄せた京一に囁か れた。
「――頼むから、俺に期待してくれ」
「何をです?」
 智也は間近にある京一の顔を見つめる。
「俺は、 同じ気持ちを君に返すし、それ以上の気持ちを君に向けることができる。もちろん、愛情という気持ちだ」
 智也は掴まれて いないほうの手を京一の頬に押し当てる。
 今日の疲れなど、どこかに吹き飛んでしまう。同時に痛感していた。
「…… おれやっぱり、萩原さんのこと、好きみたいです」
「ここまで言ったんだ。そうでないと俺は困る」
 顔を伏せて笑おう としたが、遮るように京一の顔が近づき、ごく自然な動作で唇を塞がれる。指が離された代わりに腕を捕まれたので、智也は京一 の肩に手をかけた。
 軽く唇を触れ合わせながら、引き寄せられるまま床の上に座り込む。そのまま京一と離れられなくなっ ていた。
 抱き合い、パジャマの柔らかな布を通して相手の体温と体の感触を堪能する。しっとりと唇を重ねて舌先を触れ合 わせる。息を潜めながら、そうやって互いを探り合う行為に夢中になってしまう。
 そのうち京一の腕に力が込められるよう になり、抱擁とキスの激しさに智也は圧される。絡めていた舌を解くと、すかさず首筋に顔が埋められた。
 智也は壁の向こ うの気配をうかがいながら、京一の頭を抱き締める。すると、とうとう布団の上に、二人とも倒れ込んでいた。
 この事態を どうしようかと目を丸くして戸惑う智也とは対照的に、京一は、智也の耳や首筋に何度も唇を押し当ててくる。
 嫌ではなか った。必死に智也を求めてくる腕の力強さも、唇の熱さも、何もかもが愛しくて応えたくなる。ただ今は、もっと適切な行為があ る気がした。
 智也はそっと京一の髪を撫で、広い背をてのひらでさすってやる。驚いたように顔を上げた京一の唇に、智也 のほうから軽くキスをした。
「さっき……、おれを褒めてくれたお礼をしていいですか?」
「お礼なんて――いや、して もらおうか」
 智也は両腕でしっかりと京一の頭を抱き締める。
「……よく、がんばりましたね。ずっとさやかさんを守 って、自分を保って……。あなたはすごい人です。優しくて誠実なあなたが、誰かのものじゃないまま、おれと出会ってくれたこ とを感謝しています。この先は、あなたのがんばりの何分の一かを、おれにも手伝わせてください」
 熱い吐息を洩らした京 一が、肩に額を押し当ててきた。
「参ったな……。俺は、こんなに熱烈な告白をされたことがない。こういうとき、なんて答 えたら――……」
「こうして抱き締めていてくれればいいです。おれはそれだけで嬉しいんです」
 強い抱擁とともに智 也へもたらされたのは、ありがとう、という一言だった。









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