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ステップ −Step−
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[13]

 微かな物音で智也は目を開く。自分がベッドではなく、床に敷いた布団で寝ていることに違和感を覚えたが、すぐに昨夜のこと を思い出した。
 無意識に口元に笑みを浮かべながら再び目を閉じた智也は、手を伸ばして布団をまさぐる。昨夜、一緒の布 団に潜り込み、ぬくもりを与え続けてくれていた男の感触がなく、代わりに、窪みと、体温のほのかな余韻だけが残っていた。
 現状をようやく認識して、智也はハッとして頭を上げる。カーテンを閉めていることもあって薄暗い室内で、人影が動く。 よく見ると、京一が立ってワイシャツのボタンを留めていた。
「――……帰るんですか?」
 囁くように小さな声で問い かけると、袖口のボタンを留めながら京一が側にやって来た。
「一度家に戻って、着替えないとな。昨日は仕事をほったらか してきたから、遅刻できない」
「それなら、おれも同じですよ」
 智也がやっと起き上がると、京一も膝をついて目の位 置を同じにする。耳を澄ませ、ダイニングのほうから物音が聞こえてこないことを確認してから、二人は顔を寄せ合った。
「仕事が終わってから、実家のほうに行ってくる」
 大丈夫かという智也の心配は、そのまま顔に出たようだ。京一が微かに 笑った。
「大丈夫。ちょっと様子を見てくるだけだ。もう、話し合うこともないしな」
「……あれで、納得したんでしょ うか……」
「さあな。俺にもさやかにも、親の気持ちはわからない。わからないから、こんなことができるんだろうけどな。 ただ、それを言うなら、向こうも同じだ。あの人たちも、子供の気持ちはわかってない」
 一瞬だけ痛みを感じたような目を した京一を見ていられず、智也は咄嗟にそんな京一を引き寄せ、抱き締めていた。驚いたように肩を揺らした京一だが、すぐに智 也の背に両腕を回してきて、ほっとしたように吐息を洩らした。何を言われるより、その反応が嬉しい。
 智也は京一の肩に 額を擦りつけた。
「おれたち、最高の組み合わせだと思いません?」
「君は今、そんなことに気づいたのか。俺はとっく にそう思っていたが」
 失礼しましたと言ってから、智也は笑い声を洩らす。
「おれが悩んでるときはあなたが。あなた が悩んでるときはおれが――。そうやって互いに背中を押し合うんです。もう息はぴったりですね」
「最初に喧嘩しておいた のがよかったのかな」
「そうですね」
 眠っていても、抱き締めてくる腕の強さとぬくもりだけは常に感じていた。それ でもまだ、こうして京一の抱擁が欲しくなる理由は、たった一つだ。
 ひたすら、愛しい――。
 朝から味わうには甘す ぎる感触をなんとか手放す決心をして、体を離す。京一は智也の髪に軽く触れてから立ち上がり、ジャケットを手に部屋を出よう として動きを止めた。抱擁の余韻に浸って、ぼんやりと布団の上に座り込んでいた智也は、それに気づいて我に返る。
「あっ、 忘れ物ですか?」
「いや……。さやかに伝えておいてもらえるか。自分が悪いと思うな、と」
 とことんまで〈兄〉なの だなと思いながら、智也は微笑んで頷く。
「わかりました」
 物音を立てないよう静かに京一が部屋を出て行く。それを 見送った智也は、ベッドに戻ろうとしたが、まだ残っている京一のぬくもりを手放す気にもなれず、再び布団の中に潜り込んだ。
 枕を抱え込むようにしてうつぶせになると、カーテンの隙間からわずかに覗く窓に目を向け続ける。外がゆっくりと明るく なって様子を見ていると、必要なだけの力が体に注ぎ込まれていくようだ。
 智也は、慌ただしさとは程遠い、ぼんやりとし ながらひどく幸せな時間を堪能していた。もっとも、そんな時間がずっと続くわけもなく、智也を忙しい日常に放り込むようにと うとう目覚ましが鳴った。
 勢いをつけて起き上がると、目覚ましを止めて部屋を出る。
 まっさきに智也の目に飛び込 んできたのは、敷布団から飛び出し、床の上で寝ている勇樹だった。それでも体にはきちんと布団がかかっているので、京一が見 るに見かねてかけたのだろう。
 勇樹が寝ていようがお構いなしにダイニングの電気をつけ、顔を洗ってくる。戻ってみると、 寝惚けた顔で勇樹が布団を畳んでいた。
「――萩原兄は?」
 キッチンに立った智也に、あくび交じりで勇樹が声をかけ てくる。
「朝早くに帰った。着替えると言って」
「ふーん。忙しいというか、大変だな、あの人も」
「もう少しした ら、落ち着くだろ」
 そう答えはした智也だが、内心では拍子抜けしていた。
 実は勇樹が、一晩を同じ部屋で過ごした 智也たちのことを、興味津々で聞いてくるかと思っていたのだ。
 今回の萩原家の騒動に触れてうちのガサツな弟も、心情を 慮るとか、気遣いというものを覚えたのだろうか――。
 智也のそんな考えを読んだかのように、布団を智也の部屋に運び込 みながら勇樹が言った。
「どうして、一晩一緒に過ごした兄貴たちのこと聞かないのか、と思ってるだろ」
「――別に」
「聞かなくても聞こえたからな。夜、二人が何してたか」
「言っておくけど、妙なことはしてないからなっ」
 思わ ず振り返った智也がムキになって反論すると、ニッと勇樹が笑った。
「ウ・ソ」
「……自分の弟ながら、憎たらしいガキ だ」
 そして、動揺してしまった自分が忌々しい。妙なことはしてないが、何もなかったわけではないという自覚があるから こその反応だった。
 動物的勘で何かを感じ取ったのか、勇樹が得意げに語る。
「とりあえず心配だったから、ドアに耳 を押し当ててみたんだけどな。それらしい声は聞こえなかった――と思う。あっ、でも何か聞こえたような気も……」
「それ 以上言うなっ」
 智也が荒っぽい手つきでフライパンとヤカンを火にかける。その音に驚いたわけではないだろうが、いつも は早起きのさやかが、パジャマ姿のまま勇樹の部屋から出てきた。
 さやかの髪の先が少し跳ねているのを見て、つい笑みが こぼれる。
「すみません。寝坊しちゃってっ……」
「いいよ、こっちは。着替えといで」
 優しい声で智也が言うと、 にっこりと笑ってさやかは再び勇樹の部屋に入った。ドアが閉められると、なぜか勇樹が、ススッと智也の背後にやってきた。
「……なんだ。手伝ってくれるのか」
「いや、なーんで兄貴は、萩原には優しいのかなと思って」
「なんだ、お前、 おれに優しくしてもらいたいのか」
 振り返って真顔で応じた智也に、勇樹は一瞬、言葉に詰まってから、芝居がかった動作 で首を左右に振った。
「やめようぜ。朝から兄弟で何言ってるんだって気になる……」
「おれもだ」
 すっかり習慣 となった三人での食事の後、いつものようにさやかが一足先に玄関に向かおうとする。
「萩原さん」
 あとを追いかけた 智也は、靴箱を開けていたさやかに声をかけた。
「はい?」
 髪をかき上げながら、まっすぐな目が智也を見上げてくる。 一緒にテーブルについているときも思ったが、眠れなかったようだ。目が真赤だ。
 笑って話すつもりだったが、さやかのそ んな目を見ていると、表情が引き締まる。
「君のお兄さんからの伝言」
「なんだろ。智也さんに伝言を頼むなんて」
「――自分が悪いと思うな、だって」
 この言葉で、京一の真意は十分に伝わったのだろう。さやかは目を丸くしたあと、ふ んわりと柔らかく笑いながら、それでいて表情とは対照的なことを言った。
「言われなくても、思わないですよ、わたしは。 ……思ったら、また戻らなきゃいけなくなるでしょ? じっと我慢することが当然だと信じてる頃に。そんな頃のわたしはもうい らないんです。わたしは、今のわたしの周りにいる人たちが好きなんです。……だから、思わない。わたしは――わたしとお兄ち ゃんは、悪くない」
 強いね、と出かかった言葉を呑み込む。さやかは強いのではない。ただひたすら、前に進むことを望ん でいるだけなのだと思い直したからだ。
「寝不足でつらいかもしれないけど、行っておいで」
 靴箱から取り出したロー ファーを履いたさやかが、くるりと体ごと振り返る。勢いよく動いたため、スカートが鮮やかにひるがえった。
「行ってきま す。今日は、気合い入れておかないと」
「うん」
 さやかが笑顔で玄関を出て行き、ドアが閉まるのを見届けてから智也 はダイニングに戻る。勇樹は頭の後ろで両手を組んだ格好で、イスに腰掛けたまま天井を見上げていた。
「勇樹、お前も準備 しないと、遅刻するぞ」
「へいへい。……俺も気合い入れとかないとな」
 そう呟いて立ち上がった勇樹の頭を、智也は 手荒く撫でてやる。いつもなら嫌がるくせに、今朝の勇樹ははおとなしくされるがままになっていた。
「……学校じゃ、ちゃ んと彼女の騎士をやれよ」
「おう」
 背を向けた勇樹が片手をあげて短く応えた。




「いーい天気だ」
 車にもたれかかりながら空を仰ぎ見て、智也は呟く。どんな悩みも嘆きも、深みのある真っ青な空は、全 てを吸い込んでいくようだ。
 詩的な表現を思いつくのもきっと、天気がよすぎるせいだなと、智也は自分に言い訳する。だ からこそ、出先から会社に戻る途中、少しだけサボってこうして日光浴をしたくなったのだ。
 汗ばむほど気温が高いので、 ジャケットを脱いで車の中に放り込む。こうして見ると、外の風景はすっかり春のものへと変化していた。桜の花も、もういつ開 いてもおかしくないはずだ。
 智也たちが、それぞれの事情に必死になって向き合っていた間にも、時間は確実に進んでいた ということだ。まるでダンスのステップでも踏むように、不粋でない程度に音を立て、軽やかに――。
 今日が仕事でなけれ ば、勇樹やさやかを連れて遊びに行きたい気分だ。
 陽射しに目を細めながら、智也はここのところ避けていた問題と、腰を 据えて向き合う。
 そろそろ、さやかを自分たちの家から出してもいいのではないか、と。
 京一は、実家からさやかの 荷物をほとんど持ち出し、さやかがいつ自分の部屋にきてもいいように準備を整えたようだ。二人の両親が学校に訪れた騒動から 一週間も経っていないにもかかわらず、素早い行動だといえるだろう。
 さやかだけでなく、京一も決然としたものを胸に抱 えて前に進んでいるのだ。
 当たり前のように智也たちの生活に馴染んでいるさやかと離れるのは、少し寂しかった。だが、 あの家はさやかのいるべき場所ではなく、あくまで、智也と勇樹のためにある場所なのだ。さやかには、きちんと場所を用意して くれている人がいて、そして待ってくれている。
 問題というほどの問題ではない。さやかを送り出す側にも、さやかを迎え 入れる側にも、もう準備はできている。おそらくもう勇気というものを必要としないぐらい、それが自然なことなのだ。
 智 也は前髪をかき上げながら、ため息を吐く。さやかのことはいい。危惧するほどの問題はないだろう。
 しかし智也自身は― ―。
 うー、と低く唸ってから、また髪をかき上げる。ステップを踏むように動き出した勢いで、大事な『あるもの』を手に 入れたかった。そのためには、最大級の勇気が欲しい。
 前までの智也なら、簡単に怯んでしまっていただろう。だけど今は 違う。本当に手に入れたくてたまらないのだ。
 空を見上げたまま、ゆっくりと足元を確かめるように歩いた智也は、五歩目 で覚悟を決めた。


 会社が終わってから智也は、京一に電話した。金曜日ということもあり京一も早々に仕事を切り上げ、これから帰宅するところ らしい。タイミングはよかったというわけだ。
 これから京一の部屋に行くと告げてから、次は自分の家にかける。勇樹もさ やかもまだ帰宅していないのか、すぐに留守電に切り替わる。智也は一瞬戸惑ってから、何時に帰るかわからないとだけ、早口で 吹き込んでおいた。
 電車で移動する時間が惜しくて、会社からタクシーで京一のマンションに向かったが、車中ではずっと、 いつもより心臓の鼓動が速く、心なしか顔も熱かった。
 昼間、青空を仰ぎ見ながら覚悟を決めたはずなのに、すでにもう、 その覚悟が揺れている。自分の行動が空回りに終わるかもしれないと考えると、自ら行動を起こすことなく、成り行きに任せてし まうほうがいいのではないかと思えてくるのだ。
 結局、引き返す決断も下せず、マンションに到着した。
 部屋を訪ね ると、ドアを開けた京一はまだスーツ姿だった。着替えもせずに智也を待っていてくれたらしい。
「――メシは?」
 開 口一番に問われ、緊張していた智也もさすがに面食らう。
「……当然、まだですよ」
「だったら外に食いに行こう」
「なんだったら、買ってくるか、作るかしますけど」
 靴を履いた京一から、戸惑いを含んだ視線を向けられた。自分が挙動 不審になっているという自覚はあった智也だが、どうやら今日は京一も様子がおかしい。
「どうかしましたか?」
「いや ……。やっぱり外に行こう」
 部屋のカギをかけて先を歩き出した京一の後を、慌てて智也はついて行く。
「もしかして、 何か用があったんですか? それならおれ、帰りますけど――」
 肩越しに智也を見た京一が、いや、と答える。それから黙 り込んでしまったが、エレベーターに乗り込んで扉が閉まったところで、言葉を選ぶようにゆっくりと言われた。
「……少し、 緊張してるんだ」
「どうしてです」
「こういう、肩の力を抜いて君に会うなんてこと、今までなかったからな。さやかや、 君自身の問題があって」
「ああ、なるほど」
 智也は深く頷き納得する。今のような状況になって改めて、京一との関係 がとういうものに変化したのか、実感する。それはどうやら京一も同じだったようだ。
 なんとなく目が合い、二人はふっと 笑みを交わし合う。不思議なもので、それだけで緊張が解れていた。
 京一の車で近くのファミレスに食べに行き、席につい た智也はさっそくメニューを開く。同じくメニューを眺めながら、京一が切り出した。
「――俺は単純に、君が来てくれたこ とを喜んでるんだが、君のほうこそ何か用があったんじゃないのか。電話をかけてきたときの声が……緊張しているように聞こえ た」
 そんなにわかりやすい声だったのかと、智也はちらりと苦笑する。
「用はないですよ。ただ、一人暮らしをしてる あなたの部屋が、当分見られなくなるかもしれないと思って」
 料理を注文してから、京一は肘をついて両手を組んだ。
「……そういうことか」
「そういうことです。あんまり長く一緒にいると、おれたちもつらいですからね。彼女と離れるのが」
「可愛いからな。俺の妹は」
「相変わらずですね、そういうところは」
「本当のことを言ってるだけだ」
 ここ までまじめな顔で話していたが、とうとう我慢できなくなり、二人は声を洩らして笑う。気持ちが丸みを帯び、柔らかく解れてい る。無意味に京一に対して挑発的だった気持ちは、いつの間にか消えてなくなっていた。
 水で口を湿らせながら、両親とは どうなっているのか、京一に聞いてもよいものかどうか考える。京一とさやかの関係については、もう心配はしていない。一方で、 この二人の結びつきが強くなればなるほど、あの両親との関係が希薄になっていくようで、余計な心配をしてしまう。
 智也 が考え込んでいるうちに料理が運ばれてくる。周囲が楽しげに食事している雰囲気もあり、勢いで口を開いた。
「昨日、彼女 の荷物を運び出してるって言ってましたけど、両親のほうから、家に行く度に何か言われませんか?」
 スープを掬っていた 京一が、珍しく大仰に顔がしかめた。
「まったく無視されてる。俺が目に入ってないみたいにな」
「大変ですね、それは ……」
「向こうとしては、どう反応したらいいのかわからないのかもな。親父は何もかもお袋任せだったから、いまさら珍し くもないが、お袋のほうは、自分の感情を手を上げて表現してた人だ。その手段を糾弾されたら、もう子供と、どう接したらいい のかわからないのかもしれない」
 一度は手にしたフォークを置いた智也に対して、京一が優しい眼差しを向けてくる。
「君がそんな顔をするな。……大したことじゃない。こんなことは予想してた。胸が痛むのもな」
 智也は口元に笑みを浮か べると、改めてフォークを手にする。
「安心しました、その言葉を聞いて」
「どうして?」
「おれは、簡単に気持ち にケリをつけられる人間じゃないですから。あなたがもし、何もかも吹っ切ってすっきりした、なんて言い出したら、かえって不 安になったしれません。もしかして、あなたとのテンポが合わないかも、と不安になって」
「それは……、下手なことを言わ なくてよかった。危うく――」
 京一が何か言ったが、小声だったこともあり最後はよく聞き取れなかった。智也が首を傾げ ると、焦ったように京一は、なんでもないと言った。
 真剣な会話が交わされたのはそこまでだった。食事をしながら取り留 めのないことを話し、二人の時間を楽しむ。
 食事を終えて店から出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
 今から 帰れば、勇樹とさやかの夕飯には間に合うかもしれないと思い、智也は携帯電話を出す。すると、すぐに京一に取り上げられてし まった。
 思いがけない京一の行動に、驚いた智也は、傍らに立つ男を見る。
「――……俺の部屋に寄って行くんだろう ?」
 突然の、強引とも言える行動とは裏腹に、京一の口調は控え目だ。まばたきも忘れて京一の顔を見つめた智也は、少し の間呆然としてから手を出す。
「……携帯、返してください」
「あっ、ああ、悪かった」
 智也は手渡された携帯電 話に視線を落としてから、再びポケットにしまう。
 覚悟していたはずなのに、京一の口から言わせてしまったことに自分の ずるさを感じ、つい苦い表情になっていた。
 それでもパッと顔を上げ、はっきりと言う。
「おれ、朝まで居座りますよ」
 智也の言葉の意味が十分すぎるほど伝わったらしく、京一は口元に手をやり、顔を背けながらぼそぼそと応じた。
「… …俺は、そのつもりだった」
 あっという間に全身が熱くなり、智也はもう、何も言葉が出なかった。


 かつて自分も入ったことのある部屋を、智也は見せてもらう。
 ベッドとタンス以外、ほとんど物がなかった部屋だったの に、今は机などが運び込まれ、段ボールがいくつも床の上に置かれていた。さやかの部屋にするための準備が行われているのだ。
「すごいことになってますね」
「勝手に片づけるわけにはいかないからな。……もしかして、あいつがここに住まないと 言い出すかもしれないと思ってもいたしな」
 京一のさやかへの遠慮が、ちらりと覗く。そんなことはありえないと智也は思 うのだが、京一は京一なりに、さやかからはっきりとした意思表示が欲しかったのだろう。
「――萩原さん、優しいですね」
 何げなく智也が言った途端、腕を取られて部屋を連れ出される。京一が寝起きしている部屋に入ると、ベッドの端に腰掛け さけられた。
 目を丸くして智也が見上げると、腰を屈めながら京一が言った。
「すまない……」
 そして唇を塞が れる。性急すぎることを謝ったようだが、智也はジャケットの端を掴み、キスに応える。キスはすぐに熱を帯び、二人は最初はぎ こちなく唇を吸い合っていたが、そのうち舌先を触れ合わせ、互いの舌を吸っていた。
 唇を優しく啄ばみ合いながら、智也 の体はゆっくりとベッドに押し倒され、そのうえに京一が覆い被さってくる。
「……どうすればいいのか、あまりよくわから ないんだ」
 ベッドの上で抱き合い、ジャケットを脱ぎながら囁かれる。智也は京一の唇をそっと吸い上げてから、背に両腕 を回した。
「おれもですよ。……お互い、やりたいことやればいいんじゃないですか」
「君のその性格は、相変わらずだ な」
「大ざっぱ、ってことですか?」
「思いがけないところで大胆ということだ」
 京一の返答に、智也は小さく声 を洩らして笑ってしまう。
 飽きることなくキスを繰り返しながら、互いのネクタイを取ってワイシャツのボタンを外してい く。神聖な儀式のように真摯な表情で、というわけでもなく、指先や体全体で感じる相手の感触に、心地良さや安堵感を見出し、 ときにはくすぐったさで笑い声も洩らす。
 ただ、何も身につけていない状態で京一に抱き締められると、素肌で感じる相手 の体温や肌の感触、重みに、眩暈がするような高揚感を覚えて息を詰めた。同時に、自分たちが生々しくも大胆な行為に及んでい るのだと、実感していた。
 顔を覗き込んできた京一と舌を絡め合いながら、智也は京一の体にてのひらを這わせる。とにか く、自分以外の同性の体が新鮮だったのだ。それに、これから愛し合う体だ。
「……くすぐったい」
 舌を解いたところ で、京一が低く笑い声を洩らす。智也はそんな京一の頬を撫でて囁いた。
「仕返ししてもいいですよ」
 この瞬間、京一 の顔からスッと笑みが消える。
「君は本当に、大胆だ……」
 そう洩らした京一の顔が首筋に埋められ、甘い疼きを感じ た智也は小さく身震いした。
「あっ」
 京一の唇が熱心に首筋に這わされ、肩先を柔らかく吸われる。お返しとばかりに 智也も京一に同じ行為を施し、喉元を舌先で舐め上げた。再び唇を重ねた二人は、示し合わせたように互いの両足の間に手を這わ せ、素肌を重ねただけでどうしようもなく高ぶっているものをてのひらに包み込む。
 ゆっくりと刺激しながら、心地よさに 吐息を洩らしていた。
「平気か? 気持ち悪くなったらすぐ言って――」
「気持ちいいです」
 智也が言い切ると、 京一は目を丸くしたあと、顔を綻ばせた。
 高め合うリズムに馴染んでくると、京一の唇が胸元に押し当てられ、凝った突起 を舌先でくすぐられる。智也はビクンと背を反らしていた。
「ふっ……」
 智也の反応から何か感じたのだろう。熱くな った智也のものを擦る手の動きを速めながら、京一に胸の突起を吸い上げられ、唇で挟まれる。この時点で、智也は京一のものを 愛撫する余裕がなくなっていた。京一の肩に手をかけながら、息を弾ませる。
「すみ、ませ……」
「なんで謝るんだ」
 顔を上げた京一が笑い、智也の唇にキスを落としてくる。両足を大きく広げられ、京一の腰が割り込まされてくると、高ぶ った二人のものが触れ合う。京一の大きな手に握られてさらに密着し、上下に擦り上げられることで、二人は同じ快感を味わうこ とになる。京一のてのひらだけでなく、京一自身のものと強く擦れ合うのだ。
「あっ、あっ、ああっ」
 智也はベッドの 上で上半身を捩るようにして、下肢から湧き起こる狂おしい感覚に煩悶する。そんな智也の姿を、京一は目を細めて見下ろしてい た。
 何度となく胸の突起を啄ばまれ、下肢から送り込まれる快感に、自分のものではないような喘ぎ声をこぼし、そんな智 也の姿に煽られたように京一の息遣いが荒くなっていく。
「……も、う……」
 智也が小さく訴えると、ほっとしたよう に京一が頷いた。
「俺もだ」
 なんとなく額を擦り合わせて笑ってしまう。そして二人はほぼ同時に絶頂に達し、迸り出 た熱い液体が、智也の下腹部から胸元にかけて飛び散った。
「すまない、汚してしまった」
 生まじめに京一に謝られ、 智也は微苦笑しながら首を横に振る。
 京一に丁寧に体をティッシュで拭われてから、まだまだ体を離す気になれず、二人は 抱き合う。そうやって互いの体に触れ、キスを交わしているうちに、自然な流れで京一の指が、二人が繋がることができる唯一の 部分に這わされていた。
「んっ、んあっ、あっ――」
 片足を抱え上げられて、唾液で濡らした指を内部に挿入される。 初めて味わう異物感に智也は驚いたが、肉欲の疼きも確かに感じ、身を捩りながらシーツを握り締める。
 京一に慎重に内部 を解され、指が出し入れされる。その様子すらすべて京一に見られているのだと思うと、智也の体温は羞恥からどんどん上昇して いた。それに、内部も熱い。
「あっ……ん」
 数を増やされた指が、内部にさらに深く挿入される。そうやって内部を愛 されているうちに、智也のものは再び反応を示し、それは京一も同じだった。
 膝にかかった京一の手に自分の手をかけると、 それが合図となって、指の代わりに京一のものが内部に押し入ってきた。
「ああっ、あっ、あっ、あうぅっ」
 息苦しく なるほどの圧迫感と痛みに声を上げた智也は、懸命に片手を伸ばして京一に触れる。すると、京一に両足を抱え上げられて、深々 と貫かれた。
「ううっ――……」
 一体感に浸るようにしっかりと京一と抱き合う。
「……萩原さん」
「んっ?」
「あなた、慣れてますよ」
 何を言い出すんだという顔をした京一だが、次の瞬間には、忙しく呼吸を繰り返す智也の唇 に軽くキスを与えてくれる。
「俺はただ、君に触れたいだけだ。だから、みっともないぐらい必死になってる」
「おれも、 そうですよ……」
 緩やかに京一が動き始め、智也は間欠的に声を上げながら京一にしがみつき、腰の動きを同調させる。
 智也になるべく苦痛を与えないようにという配慮か、京一は優しかった。優しく、快感も与えてくれる。何度もキスをして くれ、胸の突起を甘噛みし、指で摘まみ上げ、ときには、中からの刺激によって歓喜の涙を滴らせるものを片手に包み込み、律動 に合わせて擦り上げてくれる。
「はあ、あ……、い、い――。気持ち、いいです、萩原さん」
「よかった。……俺だけず っと、気持ちいいのは気が引ける」
 いかにも京一らしい言葉に笑い声を洩らしたところで、内部の奥深くを突き上げられる。 優しい京一とは裏腹に、荒々しく猛った欲望は、智也の官能を的確に刺激していた。
 体を擦りつけ合い、唇を重ね、その合 間に意味をなさない言葉を羅列する。体は感覚の、心は感情の、それぞれ洪水に呑まれていき、わけがわからなくなっていた。
 離れそうになる意識が、智也の内にいる京一によって引き戻され、次の瞬間には遠くに押しやられそうになる。
 意識 しないまま、智也は片手を空に伸ばしていた。
「……どうした……」
 汗を滴らせながら京一が顔を覗き込んでくる。喘 ぎながら智也は、どうにかこう答えた。
「手――……」
 これだけで意味は通じたらしく、すぐに京一の右手が触れてき たので、必死に指を掴む。
「これでいいか」
「OK、です」
 京一の息遣いが笑ったように感じたが、すでに目を閉 じてしまった智也には、表情を確認することができない。体で感じるものが、今の智也には全てなのだ。
 とうとう二人は、 二度目の交歓の最後を迎えていた。智也は京一の手の中で、京一は智也の内部深くで絶頂の証を迸らせる。
「――大丈夫か?」
 額に張り付いた前髪をのけてくれながら、京一が顔を覗き込んでくる。笑って応えようとした智也だが、疲れ果てて顔の筋 肉がうまく動かない。気づかうようにゆっくりと体が離された。
「……反省して、これから先は、鍛えて体力つけますよ」
 照れ隠しに智也がこう言うと、傍らで京一が笑う。
「しっかりしてくれ。俺より若いんだろ」
「たった二つですけ どね」
 ふいに会話が途切れる。京一が何を考えているのかわらないが、智也のほうは今になって、こういう関係になったこ とに、感慨深さを覚える。
 体を重ねたことは間違いではないだろうし、後悔もない。智也は自分の中にある衝動も欲望も、 素直に認めていた。
 ため息をつきながら、顔を横に向ける。いつの間にか京一も智也を見ていた。
「楽しみたいですよ ね……」
「何を」
「あなたが好きだっていうことを。切ないとか、悲しいとか、そんなものに浸る余裕がないくらい、と にかく楽しみたい」
 優しい笑みを浮かべた京一に右手を取られ、指に唇が押し当てられる。
「――……俺もだ」
  せめて勇樹に、帰れないことを言っておこうかと思っていたが、抱き締められると、もう何も考えられない。
 京一にしがみ つきながら、智也は心地よさに酔いながら目を閉じていた。









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