サプライズ


[18]


 ふっと目が覚めたとき、藍田は自分がどこで寝ているのかわからなかった。半ば呆然として、薄ぼんやりと照らされる天井を見上げる。記憶にない天井だった。
 ひどく喉が渇いており、小さく咳き込む。やけに空気が乾燥していると思ってようやく、ここがホテルの部屋であることを思い出した。
 日帰り出張だったはずが、台風の直撃を受けて動けなくなったのだ。
 そして――。
 前髪に指を差し込み、藍田は隣のベッドに視線を向ける。
「……なんであんたが、一緒の部屋で寝ているんだ……」
 現状が把握できないから出た言葉ではなく、把握できているからこそ、出た言葉だった。いままでの藍田なら、何があろうが大橋を拒んでいただろうが、結局こうして一緒の部屋で寝ている。
 藍田には、この状況を許した自分自身が何より不思議だ。
 布団もかけず、浴衣も乱れ放題の大橋は、ベッドに大の字で眠っている。体格がいい男なので、なんだか窮屈そうに見える。そもそも手足が日本人離れして長いせいだろう。大橋は、動作の一つ一つが様になるのだ。
 絞られたライトの明かりに照らされる大橋の寝姿を眺めていた藍田だが、もう一度咳き込んでから体を起こす。ナイトテーブルの時計に目をやると、深夜といえる時間だった。
 バスルームを使ってすぐにベッドに潜り込み、そのまま朝まで熟睡しそうな睡魔に襲われたのだが、今はやけに意識がはっきりしている。ただ、体はだるい。
 なんとかベッドの端に腰掛けると、ナイトテーブルの上に置いたままになっているペットボトルに手を伸ばす。咳き込む理由は、部屋の空気が乾燥しているからだ。
 すっかり温くなったお茶を飲み干したが、喉の渇きを潤すには足りない。藍田は足先で探ってスリッパを履き、仕方なく立ち上がる。
 部屋に備えつけられた冷蔵庫を開けると、そこに入っていたミネラルウォーターのボトルを取り出した。
 藍田は冷たい水を一口飲んで、ほっと息を吐き出す。熱のこもった体の内から伝わってくる冷たさが心地よかった。
 濡れたまま横になってしまったため、寝乱れ放題になった髪を掻き上げながら、厚いカーテンの引かれた窓に歩み寄る。大橋の声と、強い風の音を聞きながら眠った記憶があった。
 大橋は隣のベッドで熟睡しているが、台風のほうはどうなったのか気になる。
 カーテンをわずかに開いて藍田は窓の外を見る。周辺のビルにはまだちらほらと電気がついており、車や人の姿もある。静かな夜の光景からして、どうやら台風は通り過ぎたらしい。路上は濡れているが、雨も止んでいた。朝には安心して、ここを発てそうだ。
 藍田はベッドに戻って腰掛けると、ゆっくりと水を飲む。一眠りしたため、目を開けているのもつらかった強烈な眠気はどこかに行き、意識はしっかりしている。
 おかげで、眠りにつく寸前、大橋が真剣な口調で何か話していたことを思い出せた。ただし、内容はまったく覚えていない。
 話す大橋の声が、耳に心地よかったことしか――。
 再び体が熱くなり、慌ててペットボトルに口をつけようとした藍田は、ここであることに気づいた。
 室温が、高いのだ。藍田がベッドに入ったときは肌寒いぐらいだったはずなのに、今はその藍田ですら少し暑く感じるほどだ。
 結局、再び立ち上がると、空調の設定温度を確認する。思ったとおり、高めの設定になっていた。これでは、切っていても大差ない。
 設定温度を少し下げた藍田は、ハッとして大橋に視線を向ける。眠る前に藍田自身が、空調の温度が低いと指摘したことを思い出したのだ。
「……適温ってことを知らないのか、この男は。なんでも、やることが極端なんだ」
 せめて腹を冷やさないように布団をかけてやろうと思い、藍田は大橋のベッドの傍らに立ったが、子供のような寝相をした男につい見入ってしまう。
 単純そうに見えて、中身はその通りではない大橋が、何を思って突拍子もない行動に出たのか考えていた。
 大橋との間にあった出来事に拘泥しない、と言った藍田だが、本当は自分に言い聞かせたようなものだった。いつまでもこだわってしまいそうな予感があるのだ。
 すぐには自分のベッドに戻る気がせず、藍田は、熟睡している大橋の傍らにそっと腰を下ろしていた。
 同じ部屋で大橋と寝るのは、二度目だ。一度目は大橋の部屋だった。あのときと状況は似ている。
 多少無理をすれば、大橋と同じ部屋で寝る必要はなかったのだ。前回といい、今回といい、大橋と同じ部屋で寝ることを選んだのは藍田だ。
 大橋のことは苦手だが、決して嫌ってはいない――。
 ぼんやりとそんなことを考えながら大橋の寝顔を眺めていて、思わず片手を伸ばす。
「寝る前にも汗だくだったな、そういえば……」
 頬に触れると、よほど寝苦しかったらしく、大橋の肌は汗で濡れていた。そんなに暑かったのなら、遠慮なく空調の温度を下げればよかったのにと思ったが、そうしないのが大橋らしさなのだろう。
 この男はお節介だが、言い換えれば、優しいのだ。誰に対しても。だから、藍田のように冷たく、面白味もない人間に対しても平気で接してくる。
 汗のしずくが伝い落ちている首筋にまで指先を這わせたとき、なんの前触れもなく大橋の瞼がゆっくりと開いた。
 突然のことに、さすがの藍田も驚いて咄嗟に身動きが取れない。同じぐらい、今の自分の行動に驚いていた。
「……藍田?」
 低く掠れた声を発した大橋が、眠そうに何度も目を瞬きながら見つめてくる。まだ、状況が把握できていないようだ。
 藍田の心臓の鼓動は、胸が痛いほど速くなっていた。頭からスウッと血の気が引いていき、何も考えられなくなりそうだ。そんな自分を懸命に抑えながら、なんとか声を出すことができた。
「あんたの寝汗がひどいから、気になっただけだ。暑ければ、空調の温度を下げればよかったのに」
「あー、そうか……。お前の適温がわからないから、とにかく上げておいたんだ」
 とぼけた口調で応じる大橋にほっとしながら、藍田はさりげなく手を引こうとしたが、寝起きとは思えない素早さで大橋にその手を掴まれた。
 何がしたいのか知らないが、大橋は黙ったまま、じっと藍田を見上げてくる。寝ている相手に勝手に触れていたという分の悪さもあり、乱暴に手を振り払うこともできない藍田は、その視線を受け止めるしかない。
 夜中、ベッドに横になっている男に手を取られたまま見つめ合っているというのも、奇妙な図だった。奇妙すぎて冗談にすらなりそうだが、あいにく藍田は生真面目で融通の利かない性格で、こんなときに限って大橋も、真剣な表情をしていた。
 静かな室内に緊張感が漂い、藍田は肌で感じていた。今の大橋の様子は、一昨日、自分を抱き締めてきたときに見せていたものと同じだと。
 危険だと頭ではわかっているのに体が動かない。
 沈黙したまま見つめ合い、そのうえ手まで握られたままでいることに息苦しさを覚え、藍田は焦る。対照的に大橋は、落ち着いた様子だった。普段とはまるで立場が入れ替わったようだ。
「――堤に言ったのか?」
 藍田が冷静さを失うのを待っていたようなタイミングで、大橋が思いがけない問いかけをしてくる。藍田は意味がわからず、眉をひそめた。
「なんのことだ」
「俺と入れ違いに、堤が来ただろう」
 大橋の問いかけには、大事な部分が省略されている。やっと、一昨日の夜のオフィスでのことを問われているのだとわかり、知らず知らずのうちに藍田の体は熱くなっていた。
「なんで今……、そんなことを聞く必要があるんだ。それに、『言った』というのは、なんのこと――」
 言葉の途中で、大橋が何を聞きたいのか察した。すると今度は、スッと全身の血が冷えていく。
「……自分のしたことが、他人に広まっていくのが怖いのか?」
 このとき藍田の中で、猛烈な怒りが込み上げてきた。ただ、怒りの理由はわからない。一方の大橋は、なぜか驚いたように目を見開き、そして慌てた様子で首を横に振った。
「そうじゃない。ただ、お前の部下の中でも堤は特に、お前のことを気にかけているようだから、あのとき取り乱していたお前を見て、どう思ったのか気になって……」
「どう思ったかなんて、わたしにわかるはずがないだろう……。わたしは、堤じゃないんだ。それに、あんなことを他人に言えると思うか?」
 今のこの状況すら、誰かに知られてはいけないと感じているぐらいだ。そう思った途端、藍田の中で怒りは困惑へと変わる。
 そう、今のこの状況も、十分に変なのだ。
 藍田は、大橋にずっと掴まれたままの自分の片手に視線を落とす。
「手が震えて止まらなかったんだ。あんたが帰ったあと。だから――……」
「だから?」
 大橋の声が少しだけ険しくなる。詰問される立場でもないのだが、藍田は正直に話していた。
「堤が震える手をしばらく握ってくれていた。……こうして言うと変な話だが、あのときのわたしは動揺していて、何が正常で、何が異常なのか、判断がつかなかったんだ。先輩である男に抱き締められて、部下の男に手を握られて――今にして思うと、笑い話にもならない」
「だったら今のこれは、笑い話になるか?」
 大橋の視線がちらりと、自分が掴んでいる藍田の片手に向けられる。カッとして手を引き抜こうとしたが、すかさず力を込められたため動けない。
「大橋さんっ――」
「感触は、男の手なのにな……」
 独り言のように呟いた大橋が、熱っぽい眼差しを向けてくる。藍田はうろたえながらも、やはり目を逸らせなかった。これ以上大橋の目を見ていると、見えない力に従わされそうだと危惧しながらも。
 手を掴んでいた大橋の力が緩む。このとき逃げ出そうと思えばできたのだが、なぜだかできなかった。それに、すぐにまた大橋に手を掴まれる。ただ、今度は少し様子が違った。
 藍田のてのひらに、大橋のてのひらが重なってきて、まるでそうすることが当然であるかのように指を絡めてきたのだ。そして手を引かれる。
「何、を……」
「今は震えてないな」
 そう呟いた大橋のもう片方の手が伸ばされ、藍田の首の後ろにかかる。あっと思ったときには、ゆっくりと引き寄せられていた。藍田は逆らうこともできず、大橋の胸の上に上体を預けた格好となる。
 浴衣の薄い布を通して、大橋の高い体温だけでなく、筋肉質な硬い体を感じた。それは大橋も同じらしく、素直に驚いた様子で目を見開いていた。自分で自分の行動に驚いているようにも見えるが、他人の心理を推し量るどころではない。藍田の頭の中は真っ白になりかけている。
 首の後ろにかかっていた手はいつの間にか背にかかり、しっかりと抱き寄せられる。
「……大橋、さん……」
「お前が側にいると、自分で自分がわからなくなる。どうして、こういうことをしているのか――いや、違うな。したいから、してるんだ。ただ、その理由がわからん」
「あんた、ふざけてるのかっ」
 なんとか頭だけは上げられた藍田は大橋を睨みつけるが、食い入るように見つめてくる大橋の眼差しを直視できず、すぐに視線を伏せる。
「放してくれ……。わたしは、寝たいんだ」
「俺もだ。さすがに昨日、今日と疲れた。まともに寝てないっていうなら、俺も同じだ」
「だったら――」
「寝たいという欲求と同じぐらい……いや、それ以上に、お前にこうしたいんだ。理由は聞くな。今言ったように、わからん」
 この男はふざけているのだろうかと本気で思ってしまうが、背にかかる手の感触は力強く、何より、興奮を物語るように熱い。その熱に、藍田は感化されていく。
 握られた手をわずかに動かすと、しっかり力を込められて応じられた。離さない、と無言で示されたようで、少しだけ大橋が怖くなった。ただ、最初に抱き締められたような混乱は訪れない。
 少なくとも大橋が、危害を加えてこないということは、はっきりしているのだ。
 抗っても無駄だと悟った藍田は、ベッドについた片手から力を抜き、大橋とより体を密着させる。
 体の奥がじわりと熱くなってきたが、そんな変化を誤魔化すように必死に言葉を紡いでいた。
「……わからないというなら、わたしだって同じだ。あんたという男が、わからない。わたしをからかうにしても、性質が悪すぎる。冗談にしても、好きこのんで男の体なんて触りたいものじゃないだろう。こんな冗談は、子供がやるものだ。それに、何もわたしを相手にしなくても――」
「お前は、焦ると言葉数が多くなるな。普段は余計なことなんて言わないから、よくしゃべるお前を見ていると、新鮮というか、おもしろいというか」
 藍田は大橋を睨みつける。
「やはり、わたしをからかっているんだな」
「違うっ。からかうつもりで、こんなことできるか。こんな、リスクの大きいこと……」
 一応大橋も、藍田を相手にこんな行為に出ることのリスクは自覚しているらしい。
 それでも大橋がやめないのは、なぜなのか。自分が体を離せないのは、なぜなのか。
 藍田はとうとう、大橋の肩の辺りに顔を伏せる。自分のものではない汗の匂いを嗅ぎ取り、胸の奥が熱くなるだけではなく、心臓の鼓動が大きく、速くなる。これは確実に大橋にも伝わっているだろう。なぜなら藍田が、大橋の鼓動を感じているからだ。
「――震えないな、今日は」
 ふいに大橋に囁かれ、ドキリとする。髪に大橋が顔を寄せているのを感じたのだ。それだけ互いの距離が違いのだと、体を密着させていながら今になって藍田は実感していた。
「だったら、もう手は握ってなくていいか」
 独り言のように洩らした大橋が握っていた手を離す。ほっとしたと同時に藍田は、手を包み込んでいたぬくもりが急になくなったことに寂しさを覚えた。
 そんな自分の姿に気づき、激しい羞恥に襲われる。慌てて体を起こそうとしたが、先に行動を起こしたのは大橋だった。
 もう片方の手も背にかかり、数秒の間を置いて両腕でしっかり抱き締められる。藍田の頭に血が昇り、めまいに襲われていた。
「大橋、さん……」
「理由を聞くなよ。ただ、とにかく、お前にこうしたいんだ」
「……あんたは、勝手だ」
 髪に大橋の笑った息遣いがかかる。
「俺の本性を知った奴は、みんなそう言う。最近なら、元カミさんだな、二番目の。と、いっても、二年前なんだが。俺は自分勝手な男なんだと。他人を自分のペースに巻き込んで、自分本意に物事を進める。巻き込まれるほうの気持ちを全然考えてない、だと」
「当たっているじゃないか」
「だから愛想をつかされて、二度の離婚だ。二番目のカミさんは、よっぽど俺と暮らしていて疲れたんだろうな。離婚してから、一度も顔を合わせてない」
「なら、一番目の奥さんは?」
 思わず口にしてから、しまったと思った。他人の個人的事情に興味を持つなど、いままでの藍田ならありえないことだ。もしかするとこれが、大橋のペースに巻き込まれている証拠かもしれない。
「いや、別に答えたくないなら――……」
「一番目のカミさんとは、今でもたまに会っている。どうやら俺のことを、男友達とでも思っているらしいな。顔を合わせるたびに、つき合っている男の話を聞かされて、ついでにメシも奢らされている」
 言いながら大橋が体を壁のほうに寄せ、ベッドにわずかなスペースを作る。促されるまま藍田は大橋と同じベッドに横になり、抱え込むようにすかさず両腕の中に捕らえられて
いた。さすがにシングルベッドに大人の男二人が並んで横になると、窮屈だ。
 この状況を冷静に考えてはいけないと藍田は思う。冷静になった途端、大橋を突き飛ばしてベッドから逃げ出してしまい、今度こそバスルームに篭城してしまうだろう。
 本来はそうすべきなのだろうが、大橋の腕や胸の感触は、手放すにはあまりに心地よかった。藍田がいままで味わったことのない感触だ。
 大橋の元妻たちが味わったであろうものを、男の藍田が味わっているのも妙な話だが。
 一度は遠のきかけた眠気が、再び押し寄せてくる。藍田は額を、大橋の肩に押し当てた。
「……もう再婚はしないのか」
「俺は他人と一緒に暮らすのは向いてないと、二度の離婚で痛感した。もったいないな。モテモテで生活力もある俺なのに」
「自分で言うな」
 くくっと声を洩らして大橋が笑い、その息遣いが今度は耳に直接触れる。
 耳にかかる熱い息遣いや、汗ばむほどきつく抱き締めてくる腕の感触。それだけではなく、薄い浴衣を通して大橋のさまざまな感触が伝わってくる。
 自分の感触は、大橋にどう伝わっているのだろうかと考えたとき、藍田は無意識のうちに腕を動かし、おずおずと大橋の背に回していた。
 しがみつきやすいようにという配慮なのか、大橋が大きく動いて体の位置を変える。
 藍田の体はベッドに押さえつけられ、その真上に大橋が覆い被さってきて、きつく抱き締められているという状況になっていた。
「あっ……」
 あってはならない格好に、藍田の頭はどうにかなりそうになる。
 明らかに、大橋の体はさきほどよりも熱くなっていた。眠りから完全に覚醒したらしく、張り詰めた筋肉の感触すら生々しい。
「もっ……、大橋さん、離してくれ――」
 抱擁に溺れそうな危惧を覚え、藍田は切羽詰った声を上げる。しかし大橋は動かないどころか、完全に藍田を押さえ込んでしまう。体を起こそうにも、頭すら上げられない。
「さっきの話の続きだ」
 急に大橋に言われ、藍田は軽く混乱する。もう話を聞く余裕すらなくなりかけていた。
「な、に……?」
「元カミさんの話だ」
「そんな話を聞かされても、わたしには関係ないだろう」
「――お前が嫌がった香水の正体だ」
 大橋が話すたびに、熱い息遣いが耳に触れ、そのたびに背筋にむず痒い感覚が駆け抜けていく。最初はなんとか耐えていたが、大橋がほとんど耳に唇を押し当てた状態で話し始めると、身を捩りたくなる。
 わざとやっているのではないかと思いながら、藍田は大橋の浴衣を握り締めた。
「一昨日の夜は、その元カミさんに呼び出されてメシを食ってた。香水の匂いは、エレベーターに乗ったときにでも移ったんだろう。俺は今のところ、元カミさんにでも相手してもらわないと、女っ気がないからな」
「……別に、あんたが誰の移り香を残していようが、わたしには関係ない」
「一応、だ。お前はどうも、俺を誤解している。どうせ、職場の女性社員に手を出しまくっているとでも思っているんだろう」
 俺は誠実な男なんだ、と付け加えられ、つい藍田は唇に笑みを浮かべる。どんな顔をして言っているのかと想像してしまったのだ。
 いつもの飄々とした表情なのか、それとも真剣な表情で弁解しているのか――。
 わたしには関係なのに。そう思いながらも藍田は、不快ではなかった。
 自制が利かないほど気持ちが緩んでいき、大橋の存在が藍田の中に入り込んでくる。もう、大橋が与えてくる感触を否定する気持ちすら萎えてしまった。この状況すら、受け入れてしまう。
 やはり大橋という男は怖いと思いながら、藍田は両腕を広い背に回してしっかりとしがみついていた。大橋はなぜか軽く身震いして、腕に力を込めてくる。
「バカ力。わたしの骨を折る気か」
「ああ……。悪い」
 ベッドの上で抱き合い、腕で相手の体をまさぐり、最適なポジションを見つける。藍田は大橋の腰に両腕を回して落ち着いたが、大橋は藍田の腰に片手を添え、もう片方の手で頭を抱き寄せてきた。
 ぼんやりと照らされる天井を見上げながら、藍田はそっと目を細めて吐息を洩らす。悔しいが、ほっとする。疲れた体には、大橋の抱擁は強烈なほど甘く、心地よかった。
 すぐに意識は揺らぎ、藍田は大橋の肩に額を押し当てる。
「……いつまでこうしているつもりだ」
 藍田の言葉に、大橋が笑った気配がした。
「気にせず寝ろよ」
「でかい男に覆い被さられたままか?」
「重くないだろう。体は支えてあるんだから」
 その姿勢だと、大橋がつらい。
 ただそれだけのことが、気恥ずかしくて言えなかった。大橋を気遣う自分というものが、藍田の中ではありえなかったのだ。
 これまでは仕事上のつき合いだけで、ふてぶてしくて図々しい、そのくせ人望がある大橋が疎ましくて、苦手だという認識しか必要なかった。それが、プロジェクトを任されてからどんどん関係は変化していき、一昨日の夜の出来事で、認識は一変した。
 結果として今、ベッドの上で大橋の腕の中にいて、心地よさに浸っている。
 この行動の意味を、大橋は囁くような声で言った。
「お前は、自分を睡眠不足にした責任を取れと言った。だから俺は、こうしていてやる」
「あんたの言っていることは……よくわからない」
「いいから寝ろってことだ。俺は紳士だから、安心していいぞ」
 バカ、と口中で呟いた藍田は、大橋の高い体温を感じながらゆっくりと目を閉じた。









Copyright(C) 2007 Nagisa Kanoe All rights reserved.
無断転載・盗用・引用・配布を固くお断りします。



[17] << Surprise >> [19]