Sweet x Sweet [Extra 05] clap  




 病院に駆けつけた博人は正面玄関を入ると、外科の場所を聞くため、まっすぐ案内所に向かおうとして呼びかけられた。
「――兄さん、こっち」
 足を止めた博人は、受付や精算を待つ人たちで混雑するロビーを見回す。そんな中、壁際に置かれたイスに、心細そうな顔をした裕貴が腰掛けていた。その隣には、裕貴と同年代の少年の姿もあった。
 博人は急いで裕貴の元へと歩み寄る。
「お前、その足……」
 裕貴の左足には足首から爪先辺りまで、しっかりとギブスが巻かれていた。傍らには松葉杖もあり、見るからに大事だ。
 眉をひそめた博人に対し、上目遣いに見上げてきながら裕貴は自嘲気味に笑った。
「ごめんね、忙しいのに来てもらって」
「そんなことはいい。それよりも、一体どうしたんだ」
 高校に入って初めての夏休み、裕貴は昨日から友人たちと一緒にキャンプ場に出かけ、帰りは今日の夕方になる予定だった。
 しかし実際は、仕事中だった博人の元に裕貴から電話がかかり、保険証と治療費を持ってこの病院まで迎えに来てほしいと言われたのだ。転んだ、という端的な裕貴の言葉から、まさかこんな状態になっているとは思いもしなかった。
 もっとも、病院に行かなければならないという事態だけで、博人にとっては一大事だ。
 裕貴と病院という組み合わせは、不吉なイメージしか生まない。
「……転んだのは本当なんだ。正確には、足を捻った拍子に転んだっていうか……」
「それで、足の状態は?」
「捻挫だって。けっこうひどいらしくて、ギブスされた」
 さらに詳しい話を聞くと、キャンプ場近くの川原で釣りをしている最中に足を痛め、一緒にいた友人がタクシーを呼んで、この病院に連れてきてくれたのだそうだ。
 博人はほっと息を吐くと、裕貴の柔らかな髪を手荒く撫でた。
「とにかく、じん帯断裂や骨折なんてことにならなくて、よかったというべきだな」
「でも、痛いよ。ものすごく腫れてたし、熱も出るって言われた」
「当たり前だ。捻挫だからといって、甘く見るな。ギブスまでされたぐらいなんだから」
 ここまで会話を交わしてから、博人は裕貴の隣に座っている少年に改めて視線を向ける。
他の子たちはキャンプを続けており、裕貴と特に親しい彼が付き添ってくれたそうだ。
 顔だけは、何度か見かけたことがあった。少年というには体も大きく、どちらかといえば青年に近い。よく日焼けした顔立ちも大人びており、こうして二人が並んでいると、いかに裕貴が小柄で、まだ子供っぽいのかよくわかる。
 緊張したように姿勢を正した少年に、博人は儀礼的に笑いかける。
「悪かったね。……松本くん、だったかな。いつも裕貴と仲良くしてくれている」
「やめてよ、兄さん、そういう言い方。『おれ』が幼稚園児みたいだろ」
 裕貴の言葉に、博人はピクリと反応する。高校に入ってからの裕貴は、誰かにからかわれたらしく、自分のことを『ぼく』というのをやめてしまった。最初の頃は、『ぼく』と言ってしまうと律儀に『おれ』と言い直していたが、最近はすっかり慣れてしまったらしい。
 こうやって少しずつ裕貴は変わっていくのだろうかと、博人は唐突に寂しさに駆られることがあった
「仕方ないだろう。お前は手がかかる」
「それって、絶対兄さんに原因があると思うんだよな……」
 ぼやく裕貴を松本に任せて、博人は精算カウンターに向かう。事情を話して保険証を渡し、そのうえで精算を済ませて、薬局で痛み止めを受け取る。
 裕貴の元に戻ろうとした博人は、ある光景を見て足を止めた。裕貴と松本が顔を寄せ合って、楽しそうに何か話していたからだ。
 ギブスをした左足を投げ出した裕貴は、松本に体を寄せている。本人としては体当たりのつもりだろうが、子犬がじゃれついているぐらいにしか見えない。
 一方の松本は、そんな裕貴を受け止めながら、ごく自然に庇うように腕を肩に回している。普段から裕貴の行動をフォローしているのが、よく出ている動作だ。
 高校に入ってからの裕貴はいじめられることもなく、さまざまなタイプの友人もできて外出も多くなったが、やはり一番気を許しているのは、松本のようだ。
 同級生だけど、兄さんみたい――。少し前に、裕貴は松本のことをそう言っていた。
 このとき博人が感じたのは、いままで経験したことがないような焦燥感と不安だった。
 いつの頃からか博人は、裕貴が自分の手を離れ、必要としなくなる瞬間が訪れることを、ひどく恐れるようになっていた。裕貴が高校生になり、世界が広がってからは特に、その危機感は強くなっている。
 今のような光景を目にすると、絶望的な気持ちにすらなる。
 こちらに気づいた裕貴がパッと笑いかけてきたので、博人も微笑み返しながら戻る。
「さて、帰るか。一度キャンプ場に寄って松本くんを降ろして、お前の荷物を引き取ってこないといけない」
 博人の言葉を受け、裕貴は松葉杖を手にして立ち上がろうとするが、なんとも危なっかしい。思わず手を出そうとした博人より先に、松本が裕貴の脇の下に手を入れ、ひょいっと立たせてしまった。
 裕貴は目を丸くしたあと、声を洩らして笑う。
「子犬や子猫を抱き上げるような手つきだなあ」
「……似たようなもんじゃね?」
 松本に言葉に、裕貴はギブスをしたほうの足で蹴りつけようとしたが、すぐに顔をしかめた。
「痛い……」
「――当たり前だ」
 博人と松本が発した言葉は同じだった。


 キャンプ場まで車を走らせながら、博人は何度もバックミラーに視線を向ける。後部座席では裕貴と松本が並んで座っており、小声でずっと何か話しては楽しそうにしていた。
 しかし、キャンプ場で松本と別れると、途端につまらなさそうな顔となる。裕貴の荷物を受け取ってトランクに入れた博人は、後部座席を覗き込んで声をかけた。
「なんだ、ふてくされてるのか。怪我したのは仕方ないだろう」
「そんなんじゃないよ……。おれって間が悪いなあ、と思っただけ。こんなときに怪我して、みんな白けたんじゃないかな。これでまた、仲間外れになったりして」
「こんなことで仲間外れにするような連中なら、その程度だったということだ」
 体が弱くていじめられた経験のある裕貴は、高校に入ってからはとにかく周囲によく気をつかう。交友範囲が広がった現状が変わるのが怖いのかもしれない。
「……何かあっても、松本くんがうまくフォローしてくれるんじゃないか」
 博人がこう付け加えると、裕貴は苦笑に近い表情を浮かべる。
「あー、ダメかも。松本は口下手だから。いつだって、おれが一方的にしゃべってるの」
「でも、病院に付き添ってくれただろう」
「責任感じたんだよ、きっと」
 このときの裕貴の言葉と、苦々しい表情の意味が、博人にはわからなかった。ただ、暑い中、キャンプ中の駐車場で話し込む必要もない。
 博人は裕貴に向けて片手を差し出す。
「助手席に移るか?」
 裕貴が笑って頷き、手を握ってくる。博人は肩を貸して支えてやりながら、裕貴を慎重に助手席に移動させる。
 エンジンをかける前に博人は、裕貴の髪をもう一度撫でた。たった一日、裕貴が家を空けたというだけなのに落ち着かなくて仕方なかったのだが、こうして裕貴に触れると、不思議なぐらい気持ちが安らぐ。
「――キャンプは楽しかったか?」
 中学時代まで心臓が弱かったのと、仲間と行動をともにするのが苦手だったせいもあり、裕貴は同年代の子と泊まりで出かけた経験がほとんどない。あったとしても、保護者である博人が同伴した場合ぐらいだ。
 だから、裕貴が友人たちとキャンプに行くと言い出したときはひどく驚いた。何か起こるのではないかと心配したが、案の定、こうして怪我をしたのだから、さすが裕貴だと思う。
 間が悪い子だと、悪いと思いつつも博人は口元を綻ばせていた。怪我が捻挫で済んだから、こうして落ち着いていられるのだが。
「楽しかったよ。……けど、なんかおれ、みんなよりも子供っぽいんだなあって痛感した。話を聞いてみると、いろいろ経験してるんだよ、みんな」
「いいことも、悪いことも、か?」
 裕貴はイタズラっぽく笑う。大人には話の内容は秘密、ということらしい。
「けど、みんなにしてみたら、おれの世間知らずっぷりがおもしろいみたいだよ」
「俺が大事に育ててきたからな」
 この場合、冗談のようでいて、本当なのだ。博人は、八つ歳の離れた弟を、何よりも大事に大事に扱い、面倒を見てきた。
 おかげですっかり、裕貴は甘ったれだ。そういうふうになるよう、あえて博人は育てた。
「楽しかったんならいい。あとは、後々学校から呼び出しを食うような問題さえ起こしてないんならな」
「……ちょっとビール飲んで騒いだぐらい」
「お前なあ……」
「酔うほど飲んでないよ」
 博人は裕貴の頬を撫でてから、やっと車を出した。


 帰りにあれこれと買い物をしてから自宅に戻ったときには、すでに夕方になっていた。今頃、裕貴と一緒にキャンプに行っていた子たちも、解散している頃だろう。
 先に荷物を家に運び込んだ博人は、助手席のドアを開けて待つ裕貴の元に戻る。当然のように裕貴が両腕を差し出したきたので、博人は腰を屈めた。
「お前、自分で歩く気ないだろう」
 首に両腕が回されると、しっかり掴まっているよう言ってから、博人は裕貴の軽い体を抱き上げる。裕貴は悪びれた様子もなく、にんまりと笑った。
「当たり前。兄さんだって、さっさと松葉杖を荷物と一緒に持っていったくせに」
「病院で松葉杖を使って歩くお前が、あんまり痛々しく見えたからな」
「甘いなあ、兄さんは」
「……遠慮なく甘えてくるお前が言うな」
 車をロックしてから、ガレージから玄関に続く階段を上がっていると、裕貴がぎゅっとしがみついてくる。ふいに、裕貴がまだ幼い頃、こうして抱き上げては病院に連れて行っていたことを思い出していた。
 その頃に比べれば、裕貴はすっかり元気になったし、学校にも馴染んでいる。だからこそ、博人は寂しくもなる。
 この腕も、いつかは別の誰かのものになるのだ――。
 無意識に博人は、裕貴の体に回した腕に力を込める。
「どうかした?」
 裕貴に顔を覗き込まれた。あどけなくて子供っぽいくせに、ときおりドキリとするような挑発的な強い光を放つ目が、まっすぐ見つめてくる。博人は小さく笑った。
「あんまり、子供の頃から体重が変わってないと思って。もう少し成長しろよ、裕貴」
「変わったら、兄さんが甘やかしてくれなくなると思って、あえて体重維持してるんだよ」
「怪我しても減らず口は健在だな」
 ようやく玄関に入って靴を脱いだ博人は、裕貴に尋ねる。
「どうする、自分の部屋で休むか」
「兄さんは、仕事に戻るの?」
「いや、今日は早退した。もう夕方だしな」
「だったら、リビング。のんびりしようよ」
 ここのところ仕事が忙しくて、帰宅も遅かったこともあり、裕貴と過ごせる時間があまり取れなかった。結果として、裕貴の怪我はいい口実になったのかもしれない。
 リビングのソファに裕貴を座らせると、さて、と洩らした博人は、ストックしてあるデリバリーのチラシをまとめて裕貴に手渡す。
「お前をキッチンに立たせるわけにもいかないし、外に食べに行くわけにもいかないからな。今晩は宅配だ。寿司でも中華でも、なんでも好きなものを選べ」
 宅配ものは好きではないが、この場合仕方ない。待ちかねていたように裕貴は即答した。
「――おれ、ピザがいい」


 普段、家の用事の大半を片付けてくれている裕貴が動けないと、何かと大変だ。
 ようやく洗濯を終えた博人はため息を洩らし、洗面所やキッチン、ダイニングの電気を消して回りながら、戸締りを確認する。
 最後にリビングに足を踏み入れると、音量を抑えたテレビがついたままの部屋で、裕貴はソファに転がり、携帯電話で誰かと話していた。
 聞くつもりはなかったが、会話が博人の耳に届く。
「……うん、気にしてないよ。あの場のノリだと、そうしないと白けてたと思うしさ。いいじゃん、みんな笑ってたし。――初めてだったんだろって? もしかして、初めてだったら、責任取ってくれるわけ」
 裕貴は何度も、『気にしてない』と繰り返してから電話を切る。それからやっと、博人に気づく。
 目が合うと、照れたような困ったような、なんとも複雑な表情を浮かべた。
 博人は、体を起こした裕貴の隣に腰を降ろす。
「誰と話していたんだ」
「んー、松本。足はどうだって、わざわざ電話くれたんだ」
 裕貴はわずかに左足を上げる。短パンから伸びた足はそれでなくても細いが、ギブスのせいでなんとも痛々しい。
 いつものように裕貴が体を寄せてきて、もたれかかってくる。すると裕貴が使っているシャンプーの柔らかな香りに鼻腔をくすぐられた。
 博人はそっと笑みをこぼし、裕貴の髪を撫でる。今日ぐらいシャワーを浴びるのを我慢すればいいものを、綺麗好きの裕貴は体を洗いたいと言ってきかず、博人はタオルやビニール袋で左足を覆ってやり、甘やかしついでに髪まで洗ってやったのだ。
 裕貴の頭を引き寄せると、素直にコトンと肩にのせてくる。タンクトップから剥き出しになっている滑らかな肩先の感触を愛しく感じながら、博人は漫然とテレビに視線を向ける。
「――そんなに、大事なことなのかな」
 なんの前触れもなく、裕貴がぽつりと洩らす。
「なんのことだ」
「さっきの松本からの電話。ずっと謝ってばかりなんだ」
 博人は視線を裕貴に向ける。裕貴は眠そうに目を細めていた。
「ケンカでもしたのか。車の中じゃ、普通に見えたが」
「そういうんじゃ、ないんだ。ただ……昨夜、みんなで盛り上がってさ、ゲームしてたんだ。みんなで騒ぎながらやるゲーム。それで、おれと松本が罰ゲームになったんだ。酔っている奴もいて、こっちも煽られるみたいな感じで、変なノリになって――」
 キスした、という言葉を聞いた瞬間、博人の全身の血は凍りつきそうになった。撫でていた裕貴の肩先を、無意識のうちに強く掴むと、不安そうに裕貴が見上げてきた。
「兄さん?」
「……無理やり、させられたのか?」
 博人の言葉に、裕貴は慌てたように首を横に振る。
「違うよっ。本当に、ふざけた感じで、一瞬だけ。おれは全然平気だったし、みんなも大笑いしてたし。だけど松本はすごく気にしてるんだ。なんかおれ、そういう冗談に全然免疫がないように思われてるみたいでさ。遊びの延長なんだし、その場のノリみたいなものだし、気にする必要なんてないと思うんだけど――おれ、変?」
 博人は呆れてしまい、咄嗟に言葉が出ない。
 いままで裕貴は友人らしい友人も作らず、それでもいいと博人は過保護に育ててきたのだが、だからこそ怖いもの知らずになってしまったのかもしれない。同時に、無防備すぎる裕貴に対しては、怒りのようなものも感じていた。
「ふざけていたとしても、そういうことは気軽にするな。自分を大事にしろ。……まったく、最近の高校生は、ロクな遊びをしないな。それと、成人するまでアルコール厳禁だ」
「若気の至り」
「お前が言うな」
 裕貴は声を洩らして笑いながら、じゃれつくように博人にしがみついてくる。そんな裕貴の髪を手荒に撫でていた博人だが、唐突に、胸を突き破るようにして抑えがたい感情が湧き起こった。
「――二度と、ふざけてそんなことはするなよ。ここまでお前を大事にしてきた、俺が悲しい。お前は、他人に気軽に触れさせていい存在じゃない。俺にとっては、宝物なんだから」
「他人じゃないならいいの?」
 単刀直入に聞き返され、博人はまじまじと、自分の弟を見つめる。同年代の少年たちより、さらに幼い印象を受けるが、実は誰よりも大人びた表情を持っていた。甘えたがりで無邪気である反面、大人の考え方や本質を見抜く鋭さや計算高さも持っている。
 兄である自分以外の大人なら、間違いなく扱いにくいと感じる子だ。そんな裕貴が、博人が内面に抱えた感情に気づかないはずがない。
 弟が世界を広げていくことに、寂しさや焦りを感じる兄の、度を過ぎた強い想いを――。
 その証拠に、裕貴はこんなことを言った。
「兄さんが嫌だって言うなら、しない。兄さんが、家でじっとしていろって言うなら、おとなしく家にいる。……おれだって寂しいんだよ。兄さん、ずっと仕事で忙しいだろ? おれの知らない人と、難しい顔や楽しそうな顔で電話してたりして」
「裕貴……」
「おれたちはずっと、二人きりで暮らしていくんだと思っていたけど、最近はなんか不安になるんだ。兄さんが、この家から出ていくんじゃないかって」
 裕貴が肩に額をする寄せてきたので、染み付いた条件反射で博人は華奢な肩を抱く。いつもは意識の外に追いやっている感覚が、押し寄せてくる。
 薄い肉付きの裕貴の体の感触が心地よく、狂おしいほどいとおしい。それに、この感触を自分だけのものにしておきたいという、強い衝動だ。この衝動は、欲望を伴っている。
 博人は自分が、独占欲や所有欲、支配欲といういった利己的な欲に塗れた人間だと自覚している。それも、弟に対してだけ発揮される厄介な欲だ。
「……俺は、お前が家にいないと寂しい。お前が外の世界に目を向ければ向けるほど、つらくなる。俺はお前に置いていかれるんじゃないかってな。お前はこの家に俺と二人きりでいて、退屈じゃないか?」
「兄さんがいればいい」
 裕貴の言葉に、博人の心は蕩ける。どうしようもないほど、腕の中の存在が愛しくてたまらなかった。
 博人の中で、弟だからここまで愛しているのか、裕貴という存在だから愛しているのか、その境界線が必要でなくなる。
 もっとも、そんな境界線は最初からなかったのかもしれない。
 裕貴もそうであってくれれば――、と祈るような気持ちで、博人は裕貴の耳元に顔を寄せる。髪を梳きながら、露わになった白い耳に軽く唇を押し当てると、くすぐったそうに裕貴は首をすくめたが、嫌がる素振りは見せない。
「――……いいな。他人に、触れさせるんじゃないぞ」
 耳に唇を押し当てながら囁くと、コクリと裕貴は頷き、顔を上げる。博人は額の髪を掻き上げてやると、今度は額に唇を押し当てた。
「お前に触れていいのは、兄さんだけだ。……お前の年齢なら、善悪の区別はつくだろう。この約束は、本当は兄弟でしていいものじゃない。だけどそんな約束をしたいぐらい、俺にとってお前は特別で、愛しいんだ」
 次は鼻先に唇を押し当てると、間近には強い光を放つ裕貴の目がある。目が合うと、裕貴は嬉しそうに笑った。
「おれも、そうだよ。兄さんだけ。兄さんの特別になれるなら、すごく嬉しい」
「……お前が小さい頃は、『お兄ちゃん大好き』と言って、カルガモの子供みたいに、俺のあとをついて離れなかったことを思い出す。ヨタヨタした足取りだから、危なっかしくてたまらなくて、結局俺は、お前を抱き上げて連れ回ってた」
「昔から過保護なんだ」
「お前が生まれた瞬間から、お前しか目に入らなくなったぐらいな」
 左右の頬にも唇を押し当てたあと、親指で裕貴の唇を軽く擦る。何かを察したように裕貴は顔を上向けて目を閉じた。
「初めてのキスはどうだった?」
 笑いながら博人が問いかけると、目を閉じたまま裕貴も唇を綻ばせる。
「わからないよ。びっくりしておれが目を閉じたときには、もう終わってたし」
「だったら、きちんとしたキスをしてやる」
 両頬をてのひらで包み込んでから、博人は弟の唇に、そっと自分の重ねる。この瞬間、強烈な疼きが背筋を駆け抜けていき、とてつもない悦びを感じていた。
 やっと、本当の意味で裕貴に触れられたのだ。
 この悦びの瞬間を、自分は一生忘れないと博人は確信した。









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