Sweet x Sweet

[11]

 博人が帰ってから裕貴は着替えを済ませると、買ってきたパンに合うからと言って、ミルファンテ――ようは、卵とチーズの入った洋風のかきたま汁だ――を作ってくれた。
 スープそのものはいつもながら美味いのだが、味わいながら啓太郎は複雑な心境になる。これらの料理をきっと、博人は結婚するまで食べ続けていたのだ。そして裕貴は、博人に食べさせるために試行錯誤していたのだろう。
 そんなことを考えて食べていると、せっかくのスープもなんだかほろ苦く感じられた。
 テーブルの上を片付け、食器を手早く洗った裕貴は、何事もなかったようにパソコンの前に座り、ネットゲームにログインしている。
 ただ、いつもに比べて、マウスに手をかけてもそのまま動かなかったり、キーボードを叩く音もあまり聞こえてこない。モニターに向かった裕貴は、本当はゲームはどうでもよく、じっと何かを考え込んでいるのかもしれない。
 二年ぶりに博人と顔を合わせたようなので、これが弟としては当然の反応ともいえる。
「弟、か……」
 啓太郎は無意識に声に出して呟く。裕貴のと博人との間に感じた独特の空気が妙に気になっていた。久しぶりに会った兄弟のぎこちなさだろうかと、思えなくもないが――。
「――言いたいことあるなら、はっきり言ったほうがいいよ、啓太郎」
 突然、背を向けたままの裕貴に言われ、驚いた啓太郎は目を見開く。
「えっ……」
 肩越しに振り返った裕貴がニヤリと笑いかけてきた。
「物言いたげな空気が、ビンビン伝わってくる」
「……俺は別に、そんな……」
 否定の言葉は出てこなかった。実際啓太郎の頭の中は、さきほどから疑問が飛び交っている。ただ、人並みの配慮はあるつもりなので、他人の家族や事情について踏み込むような質問をするのは控えたほうがいいと、自分に言い聞かせていたのだ。
 しかし裕貴には、そんな大人の配慮は『余計なもの』だったらしい。
「いまさら、遠慮するような仲でもないだろ」
 イスごと体の向きを変えた裕貴が首を傾げ、本人に自覚があるのかどうか知らないが、媚態らしきものを見せる。こういうところは、いつもの裕貴だ。
 裕貴が神経質になっているのではないかと心配していた啓太郎は、それで少し気が楽になった。
 イスから立ち上がって隣の部屋に行くと、ベッドに腰掛ける。裕貴は再びマウスに手をかけ、モニターに向き直った。
「――……似てないんだな」
 裕貴の繊細な横顔を眺めながら啓太郎が言うと、モニターを見たまま裕貴は首を竦めるようにして笑い声を洩らす。
「おれと兄さん?」
「博人さん、だったか……、本当にお前ら兄弟か?」
 かなり不躾な言い方をしたのだが、やはり裕貴は笑っている。
「なんでそんなこと聞くの」
「いや、あんまり似てないから――」
 二人の間に流れる空気が違う、とも言いたかったが、細かなニュアンスを伝えきれる自信がなかったので、やめておいた。
「正真正銘、血が繋がった兄弟だよ。おれは母さん似だけど、兄さんはどちらかというと、父方の祖父似かな。それに八つ歳が離れてるから、なおさら違って見えるんじゃない? 兄さんも言ってたろ。おれはどちらかと言うと童顔。兄さんは老け顔だし。実際、子供の頃から似てるって言われたことがない」
 他に質問は? と揶揄するように言われ、ムッとした啓太郎はずばり聞いてみた。
「お前が引きこもった理由」
 裕貴の顔から笑みが消えたが、気を悪くしたふうもなく、淡々としたものだった。
「何か、思い当たってるんじゃない?」
「二年前に何かあったんだろ。お前の近くにいると、やたら二年という言葉を聞く」
「……まあね。でも啓太郎、おれが引きこもった理由を聞いたら多分、笑うよ。そんなことか、って」
「笑ったら、今日の晩メシは抜きでいい」
 啓太郎としてはけっこう真剣な決意を告げたつもりだったのだが、裕貴は手を叩いて笑う。
「たった一食っ?」
「うるさいっ。俺は……気になるんだよ。お前がこんな生活を送っている理由が。お前は俺を部屋に入れて、なんでも晒け出しているようでいて、実は謎が多い。この間、ストーカーだと言っていた女だって、義理のお姉さんなんだろ。それなのに、ひどい態度を取っていたし、今日は兄貴の登場だ。その兄貴とも、何か揉めて――いた」
「揉めている、だよ。現在進行形」
「でも仲はよさそうだ」
 このとき裕貴は自虐的な笑みを唇に浮かべた。乱暴にマウスを動かしたかと思うと、ネットゲームからログアウトしてしまった。
「おれが実家を飛び出して引きこもりを始めたのは二年前。兄さんが千沙子さんと結婚したのが原因だよ」
「つまり……」
 裕貴はすぐには答えず、いきなりイスから立ち上がったかと思うと、啓太郎の隣に座り直した。そしてベッドに仰向けで転がる。
「――おれ、ブラコンだったんだよ」
 思いがけない言葉に、啓太郎は完全に虚を突かれた。裕貴と博人が仲のいい兄弟だということは、さきほどの様子を見ていれば容易にわかることだが、ブラコンという表現にまでは思い至らなかったのだ。
 裕貴はシーツの上に散った自分の髪を手慰みのように指で梳きながら、視線は天井に向けている。
「おれにとってまともな家族って、兄さんしかいないんだ。物心ついたときから、親の代わりにおれの面倒を見てくれて、親の代わりにたっぷり愛情を注いでくれて、食事の世話に、あれはしたらダメ、人にこんなことを言ってはダメっていう躾までしてくれた。今のおれのすべての基本も基準も、兄さんが作ったんだ」
「博人さんは、いい兄さんなんだな」
「ううん、『いい兄さん』ではない」
 一瞬苦い表情を浮かべてから、裕貴が片手を伸ばしてくる。隣に座っている啓太郎の腕に触れてきたかと思うと、たぐるようにして手を握ってきた。重苦しいものに支配されていた啓太郎の気持ちがやっとこのときフッと軽くなり、笑みをこぼす。
「……あの人は、おれを甘やかしすぎるんだ。過保護とも言う」
「海に行ったとき、お前が子供の頃の話をしてくれただろ。あのとき言ってた、『うちの人間』というのは、博人さんのことなんだな」
 裕貴から返事はなかったが、これまでの話で十分だ。博人はあの冷ややかな雰囲気とは裏腹に、少なくとも裕貴に対してだけは甘くて優しい兄なのだ。
 ここで啓太郎は話の本筋を思い出す。裕貴が引きこもり生活を送ることとなった原因だ。
「つまりお前は、博人さんが結婚したから引きこもるようになったのか」
「よりによって、一番嫌いな女と結婚した、というのもある。千沙子さんは、中学時代のおれの家庭教師だったんだ。兄さんの大学の後輩」
「お前は嫌っていても、彼女はお前を心配しているみたいだったぞ。一度、この部屋の前で見かけただけだが」
 すると裕貴は皮肉っぽく唇を歪めた。
「あの人が心配なのは、兄さんの反応だ。初めて会ったときからそうだった。兄さんにとって自分がどう見えるか、そればかり気にしているのが露骨に透けて見えた。おれはもともと、人間不信――というより女嫌いだったから、なおさら嫌悪してた、あの人を。それがよりによって、兄さんの妻になったんだ。おれとしては、どうしてそんな女を選ぶんだって、兄さんを責めたよ」
「……でも、好きになったんなら仕方ないだろ。いくら弟でも、兄の中に立ち入れない部分はあるはずだ」
 啓太郎としては説教じみたことを言うつもりはなかったが、思わず博人の側に立った視点になってしまう。
 この瞬間、裕貴の顔から表情が消え、じっと天井を見据えた。
「――……裕貴?」
 反応のない裕貴に不安を覚え、啓太郎は手を握り返しながら覆い被さるようにして裕貴の顔を真上から覗き込む。やはり博人と兄弟なのだなと、このとき初めて実感できた。冴え冴えとした裕貴の表情が、どこなく博人の持つ雰囲気に似ていたからだ。
 やっと裕貴が啓太郎を見て、問いかけてくる。
「啓太郎、言わないの? そんなことで引きこもっているのかって」
 裕貴が言ったようなことをまったく思わないのかと言えば、うそになる。実際啓太郎は、内心少し拍子抜けしているのだ。これがまだ、他人と接したくないからという理由で引きこもっているのなら、素直に納得できたはずだ。
 兄の博人の結婚がショックで、というのは、予想外すぎた。
 言い換えるなら、裕貴にとって博人は、それだけ大事な人間だということだ。
 啓太郎は、裕貴の立場を自分に置き換えて考えてみる。啓太郎には二歳と三歳違いの姉がいて、一人は結婚して実家を出た。そのとき啓太郎は、あんな姉でも貰い手があったのだと安心すると同時に感慨深さはあったが、ショックという感情はなかった。
 家庭環境や、兄弟の結びつきがそもそも違うと言ってしまえばそこまでだが――。
「言うわけねーだろ。理由なんかなくても、ただなんとなく引きこもる人間もいるかもしれないし、耐え難いぐらいつらいことがあって引きこもる人間だっているはずだ。理由なんて人それぞれで、それに対する反応も人それぞれだ。少なくとも俺は、お前が引きこもっている理由がどんなものだったとしても、笑ったり、バカにしたりしない」
 裕貴は一瞬、今にも泣きそうな顔をしたが、その表情の意味を啓太郎は深くは考えなかった。
「俺の言葉に感動したか?」
 片手で頬を撫でてやりながら言うと、裕貴はニヤリと笑う。
「自分で言うと価値ないよ。でも、一つ言うなら……啓太郎は、兄さんと同じぐらい、おれに優しい」
 その言葉を聞いた啓太郎は、苦々しい気持ちになる。まさか、と思いながらも否定できない、ある考えが脳裏を過ぎったのだ。
 誰よりも自分を甘やかし、優しくしてくれた兄と二年も顔を合わせていなかった裕貴は、たまたま身近にいた都合のいい自分を、兄の身代わりにしていたのではないか、と。
 だから啓太郎は、思わずこう尋ねていた。
「――裕貴、お前つらくなかったか?」
「えっ……」
「二年間、博人さんと会ってなかったんだろ。接触するのは――」
 啓太郎は振り返り、パソコンを一瞥する。
「ネットゲームの架空の世界で、架空のキャラを通してだ」
 裕貴は唇を引き結び、考え込む素振りを見せたが、それもわずかな間だった。
「最初はとにかく怒っていたけど、今はどうなんだろ。会いたかったような、会いたくなかったような……。こういう曖昧な気持ちになるってことは、もしかして引きずってたものを吹っ切れた証拠なのかもしれない」
「だったら、なんの覚悟も必要なく、外に出られるか?」
 啓太郎の質問の意味を理解したのか、裕貴は自嘲するように目を伏せ、小さく首を横に振った。
「まだ、ダメだと思う。普通の人みたいに、身構えないで外出するのは無理だよ。おれの精神のバランスを取っていたのは、兄さんなんだ。外に出て、普通に人と接して、大学に行って……。そういう当たり前のことができてたのは、兄さんが、おれと外の世界の間に立って、バランスを取っていてくれたからだ。依存っていうのかな。あの人に甘やかされたおかげで、おれは立派なダメ人間だ」
 だから、と裕貴は言葉を続け、吐き捨てるように言う。
「――脆い。ショックを受けると、立ち直れない」
 それから気を取り直したように啓太郎に笑いかけてくると、裕貴は体の下から抜け出した立ち上がる。
「裕貴……」
「晩メシは豪華にしよう。なんか気分がすっきりしないから、鬱憤晴らしに美味いものいっぱい作ってあげるよ。よし、今から下ごしらえ」
 そう言ってトレーナーの袖を捲り上げた裕貴がダイニングへと行き、今度は啓太郎がベッドに仰向けに転がる。
 普通の兄弟より、裕貴と博人の間にはもっと深い事情や葛藤があるようだった。啓太郎にはいくら考えても、兄が結婚したからといって、部屋に引きこもるという行動に至る過程が理解できない。
 理解できないから、裕貴の行動がありえないというわけではなく、そこにまた疎外感を覚えるのだ。裏を返せばその疎外感は、裕貴のすべてを知りたいという渇望へと繋がる。
 今の啓太郎にはもう、裕貴にどこまで深入りすればいいのか、判断がつかなくなっていた。
 何げなく顔を横に向けると、裕貴がいつも羽織っている大きめのカーディガンが目に入る。今日、元は博人のものだった知り、やけに納得してしまった。
 そして、少し忌々しい。
 裕貴自身、博人と距離を取りたいのか側にいたいのか、把握しかねているのだろう。だからいつも、博人が使っていたカーディガンを羽織っているのだ。本人は必死に言い訳していたが、博人もあんな言葉を信じなかったはずだ。
 この瞬間、何かの衝動を突き動かされるように啓太郎は体を起こす。ダイニングに行くと、裕貴は冷蔵庫を開けて、食料を確認していた。おそらく晩メシの献立を考えているのだ。
 何度も見ているはずの後ろ姿に、むしょうに愛しさと健気さを感じ、啓太郎は足を踏み出していた。
 足元も立てずに裕貴の背後に歩み寄ると、冷蔵庫のドアに片手をかける。やっと啓太郎に気づいた裕貴が振り返り、笑いかけてきた。
「まだ食い足りない?」
 啓太郎は答えずに、裕貴の頭を引き寄せて冷蔵庫のドアを慎重に閉める。そのまま裕貴を抱きすくめた。
「……啓太郎、どうかした?」
 体の大きな啓太郎を、まるで犬でも可愛がるように裕貴は頭や背を撫でてきていたが、そのうち、必死にしがみついてきた。今度は啓太郎のほうが、裕貴の頭や背を撫でることになる。
 甘えてきている、と思った。いつも啓太郎に対して主導権を握って余裕たっぷりで、まるで悪魔のように啓太郎を翻弄していた裕貴が、これまでにない面を見せてきている。
 これも、兄である博人と会って話したせいかと思うと、素直に微笑ましい気持ちにはなれなかった。むしろ苦々しいぐらいだ。
 寸前まで裕貴に感じていた愛しさや健気さといった穏やかな気持ちは一変して、加虐的な欲望が啓太郎の中で首をもたげる。
 しがみついてくる裕貴の体を乱暴に引き離して大きな冷蔵庫に押し付けると、あごを掴み上げて唇を塞いだ。いつになく強引な啓太郎の行動に驚いたように、裕貴が目を見開き、咄嗟にといった感じで啓太郎の胸に両手をついて押し退けようとする。
 啓太郎はそれ以上の力で裕貴の体を冷蔵庫に押し付け、片手をシャツの下に忍び込ませよせた。
 脇腹を撫で上げると裕貴の体がピクリと震える。胸を押し退けようとしていた手の力が緩み、長い前髪の間から覗く、濡れたような目がじっと見つめてきて、魅入られたように啓太郎は乱暴なキスを中断した。
「啓太郎、興奮してる?」
 囁くように言われ、啓太郎はうろたえる。自分の単純さを指摘されたようで、居たたまれなくなった。
 慌てて体を離そうとしたが、背にしっかりと裕貴の腕が回され、再びしがみつかれた。
「啓太郎の好きなようにしていいよ。だけど、おれの頼みも聞いて」
 こいつは、自分がどれほど危ないことを言っているのか自覚があるのだろうかと思いながら、啓太郎はポン、ポンと裕貴の頭を軽く叩く。体の奥で荒れ狂う欲情を静めるため、大きく息を吐き出した。
「……なんだ」
「甘えさせてよ。――ものすごく啓太郎に甘えたい」
 めまいを覚えて、啓太郎はしっかりと両足で床を踏みしめる。そうしなければ、体がふらついてしまいそうだったのだ。
 なんと答えるべきかと考えたのは一瞬で、啓太郎は次の瞬間には裕貴の体の向きを変えさせると、背後から抱き締める。
「俺は、お前の兄さんじゃない。お前に甘えられても、どうしていいかわからないんだ。少なくとも、弟を可愛がるようにはできない」
 こう告げたとき、裕貴がどんな顔をしたのか見たくないから、あえて背後から抱き締めたのだ。
 裕貴を傷つけたたり、呆れたさせたかと思い、内心で身構えていた啓太郎だが、予想に反して返ってきたのは、笑いを含んだ声だった。
「啓太郎って、弟とか妹いないの?」
 啓太郎は裕貴の髪に唇を押し当てながら答える。
「いない。姉貴が二人いるけどな」
「可愛がってもらった?」
「女に対する幻想を見事にぶち壊してくれた」
 裕貴は冷蔵庫に額を押し当てるようにして、肩を震わせ笑う。不揃いで柔らかな髪がさらりと揺れ、白いうなじがわずかに見える。啓太郎は誘われるようにそのうなじに唇を押し当て、再びシャツの下に片手を忍び込ませた。
「あっ……」
 もう片方の手でシャツのボタンを外していきながら、性急に指先で裕貴の胸の突起をまさぐり、くすぐるようにして反応を促す。
 すでにもう裕貴の息は上がっており、過敏すぎるほどの反応のよさだった。少し前まで、ここに自分の兄がいたということが、何かしらの変化をもたらしているのだろうかと、頭の片隅でちらりと啓太郎は考える。
 罪悪感と興奮は、イコールで結べるものなのかもしれない。実際啓太郎も、いつになく自分が裕貴を感じさせようと躍起になっているのは、博人に関係があるとわかっていた。
 帰り際、裕貴の耳の形をなぞった博人の指先の動きが目に焼きついている。弟が――というより、裕貴が可愛くてたまらないという感じだった。
 凝った小さな突起を指で摘まみ、軽く引っ張るようにして弄りながら、啓太郎は裕貴の髪を掻き上げてから耳に唇を押し当てた。
「――啓太郎は、本当に優しいなあ」
 冷蔵庫にすがりつき、ドアに片頬を押し当てながら裕貴が微かに喘ぐ。白い耳朶に軽く噛みついてから啓太郎は応じた。
「お前だけだ。俺のことをそんなふうに言う奴は。いままでつき合ってきた女ですら、俺が優しいなんて言ってくれなかった」
 裕貴にとっての『優しさ』とはなんなのか、啓太郎は少しわからなくなっていた。啓太郎が裕貴にしてきたことと言えば、メシを食いに頻繁に部屋を訪れ、金銭と引き換えにこうして裕貴の体に触れていることぐらいだ。それに、引きこもり青年を、お節介にも外に連れ出しているというのもある。
 図々しいとか恥知らずとか、責められても不思議ではない。なのに裕貴は、啓太郎を優しいと言うのだ。
 できることなら、裕貴が望むように、兄のように――、甘やかしてやりたいと思う。
 そんな殊勝な気持ちとは裏腹に啓太郎は片手を、裕貴が穿いているカーゴパンツの中へと入り込ませていた。
「んんっ」
 裕貴のものに直接触れ、大事なもののようにてのひらに包み込む。薄く開かれた裕貴の唇から忙しい息遣いが洩れ、背をしならせる。
「い、やだ……」
 啓太郎がゆっくり手を動かし始めると、裕貴が声を上げる。思わず問いかけていた。
「今日はやめておくか?」
 すると裕貴が、子供のように首を横に振る。
「いつもおればかりで嫌だっ……。おればかり、啓太郎に気持ちよくしてもらってる」
「あまり俺を――」
 刺激するな、と呟いて、啓太郎は裕貴の耳に唇を押し当てながら、まだ触れていなかった左胸の突起をてのひらで転がすようにして愛撫する。すでに硬く凝った突起のささやかな感触が心地よく、今度は指先で擦り上げてやる。裕貴が喉の奥から呻き声を洩らした。
 指先が白くなるほど必死に、裕貴は冷蔵庫にすがりついていた。滑らかなドアの表面に爪を立てるわけにもいかず、体ごと預けることでしか自分を支えられないのだ。開いた両足も、官能の高まりに比例するように小刻みに震えており、痛々しさすら感じる。
 それでも啓太郎は、立ったままで裕貴の体に快感を与え続けていた。
 てのひらに包み込んだ裕貴のものは欲望の兆しを見せ、熱くなると同時にゆっくりと身を硬くしている。すでに啓太郎の手に馴染んだ裕貴の『形』だった。
「くうんっ」
 括れを優しく何度も擦ってやると、腰を揺らして裕貴が甘い声を上げる。そろそろ透明なしずくを滲ませているだろうかと、確認するため先端を指の腹で軽く撫でたやった途端、裕貴がその場に崩れ込みそうになる。
 啓太郎は慌てて片腕を裕貴の腰に回して支えてやり、裕貴も意識はなくしていないようで、冷蔵庫に手をついた。
「裕貴、大丈夫か?」
「う、ん……。一瞬、体から力が抜けただけ」
「つらいなら、ベッドに行くか?」
「つらいとかじゃなくて、支えが欲しい。冷蔵庫の表面ってツルツル滑るから、しがみついても力が入らない」
 なかなか、生々しい会話だ。話していて啓太郎のほうが顔が熱くなってくる。
 ベッドに移動するつもりで、裕貴の腰に腕を回したまま促して歩かせようとしたが、ふとテーブルが目に入る。
 啓太郎はテーブルの傍らで立ち止まり、再び裕貴を背後から抱き締めながら、もどかしくシャツをたくし上げていた。途中までしか外していないボタンを、すべて外す手間が惜しかったのだ。
 裕貴は啓太郎の無言の求めがわかったように、自らテーブルに両手をつき、上体をわずかに前に傾けた。
 シャツを押し上げ露わになった白い背に、啓太郎は唇を押し当てる。一方で片手は胸元に這わせ、執拗に二つの突起を愛撫する。
 今度はカーゴパンツと下着を腿の半ばまで下ろし、裕貴のものを外気に晒した。熱くなった裕貴のものをてのひらに包み込み、丁寧に擦り上げてやると、顔を仰向かせた裕貴が切なげな吐息をこぼす。
 最初はテーブルに手をついて耐えていた裕貴だが、啓太郎が集中的に先端を弄り始めると、とうとう上体をテーブルに倒してしまう。
 テーブルの上で裕貴は奔放に体をしならせた。露わにした腰を震わせ、押し上げたシャツの下から現れた背はうっすらと汗ばみ、紅潮してきている。不揃いな髪は、裕貴が声を上げるたびに乱れて揺れた。
 裕貴の全身が、啓太郎を誘惑している。無防備に快感に酔いながら、何をされてもかまわないと、語りかけてくるようなのだ。
 もちろんそれは、啓太郎の勝手な解釈なのだろうが――。
 濡れた裕貴のものをくちゅくちゅと扱きながら、啓太郎はとうとう裕貴の下肢を剥いてしまう。裕貴の片足から、下ろしたカーゴパンツと下着を抜き取ったのだ。
「……恥ず、かしい……」
 小さな声で裕貴が呟いたが、啓太郎を非難している様子ではない。しかし、これからもっと羞恥に満ちた行為を施そうとしている身としては、多少心が痛んだ。
 啓太郎は自分の指を唾液で濡らすと、裕貴の双丘の間に這わせる。裕貴は腰を震わせたが、何をされるかわかっても嫌だとは言わなかった。
 内奥の入り口に唾液を擦りつけるようにして湿らせる。ここに触れるのは二度目だが、やはり緊張していた。
 たっぷりの唾液を施してから、まだ頑なさを保っている内奥の入り口に慎重に指を含ませていく。そうしながら、裕貴の体の強張りを解くため、前方の熱い高ぶりをゆっくりと上下に擦り、快感を送り込んだ。
「あっ、あぅ……」
 テーブルの角を握りながら裕貴が腰を震わせる。きつく収縮している内奥を押し広げるようにして指を侵入させ、繊細な粘膜と襞が吸い付いてくる感触を堪能する。
 裕貴がこの場所まで許してくれているのだという喜びが、啓太郎の中に押し寄せてきた。ここにこうして触れるたびに、自分はこんな気持ちになるのだろうかと思い、啓太郎は淫らな行為の最中にもかかわらず、唇を綻ばせていた。
 内奥を擦り上げるように、付け根まで呑み込ませた指を出し入れする。そのたびに裕貴は背を波打たせるようにして反応し、伸びやかな声を上げた。
「んくうっ、あっ、あっ、あっ……ん。啓、太郎、啓太郎っ――」
 裕貴が舌足らずな口調で啓太郎を呼び、誘われるように啓太郎は二本目の指を内奥に埋め込み、奥深くを暴くように蠢かしながら、裕貴の背に唇を這わせる。前方に手を這わせると、裕貴のものは反り返って震え、透明な悦びの涙を滴らせていた。
 裕貴の反応すべてが愛しくて、啓太郎の理性を危うくする。そもそも、裕貴に最初にキスした瞬間から、おかしくなっていたのかもしれないが。
 裕貴の内奥が蕩けるように柔らかくなり、啓太郎の指の動きに合わせたようにひくつき、締め付けてくる。
 もっと裕貴の中の感触を感じ、味わいたいという欲望が、当然のように啓太郎の中で大きくなり、苛んでくる。これまで啓太郎は、裕貴に触れ、快感を貪る姿を見ていれば、それでよかったのだ。
 自分の欲望を果たすことは、裕貴を汚しそうでできなかった。それに、取り返しのつかないことになりそうで、情熱と欲望にすべてを委ねられなかったということもある。
 だが今は、啓太郎自身が裕貴を貪りたかった。そして裕貴に裕貴によって得る快感も、貪り尽くしたい。
 啓太郎の心の変化を読み取ったのか、裕貴が首を巡らせるようにして見上げてきた。
「どうした、つらいか?」
 裕貴は返事の代わりに唇だけの笑みを浮かべた。乱れた髪のせいで目の表情まで見えなかったのだ。
「……ねえ、おれたちって、すごくいやらしいことしてる……?」
 苦しげな息の下から投げかけられた言葉に、啓太郎の胸はズキリと疼いた。
 内奥の、もっとも裕貴がよく反応する浅い部分を強く指で押し上げる。
「んあっ」
 裕貴が甲高い声を上げ、啓太郎は迸り出た快感の証をてのひらで受け止めた。ただ、受け止めきれなかったものが床へと滴り落ちたようだ。
 体中の血が沸騰したようで、目の前で極彩色の光がちらついてめまいがする。内奥から指を引き抜いた啓太郎は咄嗟にテーブルに手をつき、荒く息を吐き出した。
 裕貴は快感を極めた余韻に浸っているのか、目を伏せ、唇を薄く開いて喘いでいる。無防備な状態を啓太郎に晒しているのだ。まるで、何をされてもかまわないと言っているかのように。
 頭で考えるより本能が、啓太郎自身を動かす。のろのろとジーンズの前を開いて、裕貴の見せる反応にさんざん煽られ高ぶった自分の欲望を引き出していた。
「啓太郎?」
 異変に気づいたらしく、裕貴が顔を上げようとする。すかさず啓太郎は、指で綻ばせた内奥の入り口に高ぶりを押し当てた。
「あっ……」
『それ』がなんであるかわかったのか、裕貴がうろたえた素振りを見せる。啓太郎は、裕貴が少しでも嫌がる様子を見せれば、行為をやめるつもりだった。それぐらいの抑制が利く程度には、理性は残っている。
 しかし裕貴は、その一欠片の理性さえ奪うようなことを言った。
「――……啓太郎、平気?」
「何が、だ」
「いまさら念を押すのも変だけど、おれ、男だよ。終わったあとに、すごく後悔するかもしれない。……おれは、平気だけど、啓太郎が嫌な気分になったら……」
 普段は皮肉っぽくて可愛げがないことも言うくせに、この状況でこんなことを言う裕貴がたまらなく健気で、同時に啓太郎を狂おしい想いへと駆り立てる。
 裕貴の汗ばんだ滑らかな背にてのひらを這わせてから、唇を這わせる。ゆっくりと再び情欲が高まり始めたのか、テーブルの上で裕貴は上体をしならせた。
「やり方は知っている。だけど、それだけだ。要領も何もわからない」
「初めてなのに、大胆な場所を選んだよね、啓太郎」
 からかうように言われ、啓太郎はつい笑ってしまう。だがすぐに表情を引き締めた。
「……本当にいいのか?」
「啓太郎こそ、いいの?」
 俺は、と言いかけたが、気持ちは行動で表すことにする。
 啓太郎はぎこちなく内奥の入り口に自分のものを擦りつけ、本当にこんな狭い場所が受け入れてくれるのか心配になりながらも、慎重すぎるぐらい慎重に、背後から裕貴の中へと入ろうとする。
「あっ……んん」
 内奥の入り口を押し開いた途端、声を上げた裕貴がテーブルの上でのたうつように体を動かす。このときガシャンッと音がして、何事かと啓太郎は顔を上げた。
 目に入ったのは、テーブルの上に置いたままの貯金箱だった。何よりも、啓太郎と裕貴の関係を表しているものといえる。その貯金箱に、伸ばした裕貴の指先がぶつかって音を立てたのだ。
 アクリルの透明な貯金箱に貯まっている金を目にして、啓太郎は急に現実に引き戻され、それと同時に狂おしいほどの欲望が一気に鎮まるのを感じた。
 自分たちが今から行おうとしている行為にも、金銭という対価が必要なのだろうかと考えてしまうと、もう啓太郎は、これ以上裕貴に触れることができなかった。
 金で、裕貴のすべてを買うのは許されない気がしたのだ。
 体を引いた啓太郎の気持ちの変化を感じ取ったらしく、裕貴は体を起こしながら言った。
「――……ごめん。おれ、啓太郎が優しいから、つい調子に乗った」
「お前が謝るな。俺こそ、博人さんのことで動揺しているお前に、つけ込んだようなものだ。お前が求めてたのは、こんなことじゃないよな……」
 裕貴の格好を整えてやろうとしたが、自分でやるという裕貴の言葉に逆らえず、啓太郎は洗面所を借りる。
 手を洗って自分の格好を整えてから鏡を覗き込むと、そこには欲望の名残りでギラギラした目をした啓太郎自身が映っている。
 こんな顔を裕貴に直視されなくてよかったと、妙な安堵感が啓太郎の胸を過ぎった。









Copyright(C) 2007 Nagisa Kanoe All rights reserved.
無断転載・盗用・引用・配布を固くお断りします。



[10] << Sweet x Sweet >> [12]