Sweet x Sweet

[23]

 裕貴の頬に両手をかけて顔を上向かせると、啓太郎は顔を覗き込む。そっと唇に指先を這わせたところで、博人もこの唇に触れるどころか、貪ったのだと、生々しいことを考えてしまう。
 この先、裕貴に触れるたびにこんなことが頭を過ぎるのだろうと思うと、啓太郎の欲望は萎えるどころか、かえって燃え上がる。裕貴から、博人の見えない痕跡を消してしまいたくてたまらなくなったのだ。
「――もっと、お前に触れていいか?」
 そう問いかけると、裕貴はゆっくりと目を細める。
「恋人同士なら、察しなよ。おれが今、啓太郎に触れてもらいたいかどうか」
 裕貴の言葉はいつも、啓太郎の心の敏感な部分をくすぐってくる。おかげで啓太郎は、裕貴の思惑通りに冷静ではいられなくなるのだ。
 これは博人が教え込んだ技術というより――。
「天性のものってやつか……」
 口中で啓太郎が洩らすと、裕貴が首を傾げた。
「何か言った?」
「俺はとことん、お前に甘えられるのが好きなんだと痛感してたんだ」
「おれも、啓太郎を甘やかすの好きだよ。甘えるのはもっと好きだけど」
 啓太郎はぐっと唇を引き結び、裕貴をきつく抱き締めると、柔らかな体臭を思いきり吸い込む。顔も合わせられなかった期間の空白を埋めるため、裕貴の感触も匂いも言葉も、何もかもを自分の中に取り込みたかった。
「……寂しかった」
 ぽつりと裕貴が洩らした言葉に、啓太郎はドキリとする。一瞬、自分の気持ちを言い当てられたと思ったのだ。しかし、そんなはずがない。
 裕貴が肩に擦りつけてきた頭を、ポンポンと軽く頭を叩いてやる。
「一人でいるのに慣れてたはずなのに、啓太郎に会えなくて寂しかった」
「そうか……」
「おれ、こんなに啓太郎のこと好きなんだって、改めてよくわかった。ベタボレってやつ?」
「俺に聞くな、恥ずかしい」
 本当に顔が熱くなってくる。
 腕の中で、小動物のようにじっとしている裕貴のつむじを見下ろしていた啓太郎だが、本当に体がつらくなってきて、裕貴が羽織っているカーディガンをぎこちなく肩から下ろしていく。それでも裕貴は動かない。
 啓太郎が行動を起こすのを待っているのだと、なんの根拠もなく確信していた。だが、間違ってはいないはずだ。
 裕貴の耳に唇を押し当てながらカーディガンを腕から抜き取り、長袖のTシャツの下に両手を侵入させる。
 久しぶりに触れる滑らかな肌の感触をてのひらで堪能しながら、胸元へと押し当てる。いつになく裕貴の鼓動は速くなっていた。
「緊張しているのか?」
 啓太郎が問いかけると、やっと顔を上げた裕貴は目元を赤くしながら、怒ったような表情で言った。
「当たり前だろ。……啓太郎が、触れてるのに……」
 次の瞬間、有無を言わさず裕貴の唇を塞ぐ。示し合わせたように同じタイミングで舌先を触れ合わせ、すぐに余裕なく絡め合っていた。
 キスの合間に裕貴が着ているTシャツを脱がせると、今度は裕貴に、啓太郎はトレーナーを脱がされた。
「寒くないか?」
 そう尋ねながらコタツの敷布団の上に裕貴を横たえる。ベッドに移動するわずかな間さえ、体を離すのが惜しかった。
「平気」
 啓太郎はむしゃぶりつくように裕貴の胸元に唇を這わせながら、カーゴパンツと下着を一気に引き下ろし、裕貴のものをてのひらに包み込む。
「ふっ……ん」
 まだ熱くなりきっていない裕貴のものを丁寧に擦り上げながら、あっという間に硬く凝った胸の小さな突起を舌先でくすぐる。裕貴は首をすくめ、そっと目を細めた。
「啓太郎、くすぐったい」
「痛いって言われるよりいい」
「何、それ」
 声を洩らして笑っていた裕貴だが、啓太郎が夢中になって突起を口腔に含み、強く吸い上げるようになると、声を洩らしながら緩く首を振るようになる。陶然とした表情を見て、啓太郎は少し安心していた。
 あんな場面を啓太郎に見られたことで、裕貴の中で行為に対する嫌悪感が芽生えたのではないかと危惧していたのだ。
 一度顔を上げて裕貴の唇を啄ばむと、裕貴が人懐こく笑いかけてくる。
「……嬉しい」
「何がだ」
「啓太郎に触れられて、気持ちいいと思えるから。――……少し怖かったよ。啓太郎とこうしても、おれは何も感じないんじゃないかって。でも、気持ちいいって思えることは、けっこうおれ、図太い神経してるのかな」
 胸を衝かれた気がした。啓太郎と同じ危惧を、裕貴も抱いていたのだ。それを告げてくれた裕貴の素直さが、愛しくてたまらない。
 博人との関係で、裕貴を責めてはいけない。裕貴の唇に何度もキスを落としながら、啓太郎は自分に言い聞かせる。
「お前は図太いんじゃない。しなやかなんだよ。それに、お前が気持ちいいと感じてくれないと、こうしていても、俺が楽しくない」
 啓太郎もすべて脱ぎ捨てると、自分のものを、裕貴のものに擦りつける。すでに二人のものは十分高ぶり、敏感になっていた。
 羞恥したように裕貴が顔を背けたが、啓太郎が腰を押し当て、互いのものを刺激するように擦りつけているうちに、裕貴がモゾリと身じろぐ。啓太郎の動きに合わせて腰を揺らすようになっていた。
「んっ、んっ……」
 目を閉じた裕貴の無防備な顔を眺めていた啓太郎だが、次第に自分の欲望が抑えきれなくなり、思わず問いかけていた。
「――舐めていいか?」
 驚いたように目を開いた裕貴が、ようやく啓太郎の言葉を意味を理解したのか、照れたように視線をさまよわせる。意外なほど、些細なその仕草が可愛い。
「バカっ」
 裕貴の返事はこれだった。
 くっくと声を洩らして笑いながら、啓太郎は裕貴の両膝を掴んで左右に大きく開くと、まずは薄い腹部に丁寧に唇を押し当てながら、少しずつ顔の位置を下へと移動させる。いまさら初めての行為というわけでもないのに、啓太郎は緊張していた。
「啓太郎……」
 裕貴の手が頭にかかり、不安そうな声で呼ばれる。裕貴が何を不安がっているのか、啓太郎はわかっているつもりだった。
 啓太郎の脳裏に、常に博人の影がちらついていることを裕貴は感じ取っているのだ。
 それでも、博人も触れて愛してやったであろう裕貴のものは反り返り、快感を与えられるのを待っていた。
 啓太郎はゆっくりと裕貴のものに舌を這わせ始める。
「ふっ……、うっ、うあっ――……」
 裕貴に自分の両足を抱えさせ、自分の指を舐めて濡らした啓太郎は、裕貴のものを口腔に含みながら、指を後ろへと這わせる。
 慎重にまさぐりながら内奥に指を挿入すると、ビクビクと腰を震わせながら裕貴がきつく締め付けてくる。呼応するように、口腔で裕貴のものがフルッと震えた。啓太郎の口腔に覚えのある味が広がる。
「早い……」
 迸り出た絶頂の証を喉に流し込んでから思わず啓太郎が洩らすと、すかさず髪を引っ張られる。裕貴が真っ赤な顔をして睨みつけてきた。
「バカッ……」
 投げつけられた言葉に目を丸くした啓太郎だが、次の瞬間には笑みをこぼし、再び裕貴のものを含んだ。
 唇で締め付けて扱き上げるように頭を上下させながら、その動きに合わせて内奥から指を出し入れする。すぐに悩ましげに裕貴の腰が揺れ、掴まれていた髪が掻き乱される。
 それでなくても感じやすい裕貴だが、今日はいつも以上に敏感になっていた。例えば――。
「あんっ」
 熱くなったままの裕貴のものにふっと息を吹きかけると、それだけで裕貴が胸を反らして甲高い声を上げる。ギュッと締まった内奥を、指で円を描くように解きほぐしていくと、さきほどの絶頂の名残りなのか、裕貴のものの先端から透明なしずくが滲み出る。
 ヌルヌルと指の腹で塗り込めるように先端を撫で、次に啓太郎が舌を這わせたのは、指を引き抜いた内奥だった。
 ビクッと裕貴の腰が跳ねる。
「ふっ……、あっ、あっ、嫌、だ――。け、たろ、そんなことしちゃ、ダメ、だよ」
「でも、気持ちいいだろ?」
 内奥の浅い部分に舌を差し込んで舐めると、泣きそうな声で裕貴が応じる。
「……う、ん……」
「なら、いい。お前が感じてくれると、俺が嬉しい」
 舌の代わりに指を挿入して、物欲しげに内奥が締まったところを引き抜いて、すぐにまた舌を這わせる。数回それを繰り返したところで、啓太郎の欲望が限界を迎えた。
 熱くなった自分のものを、すっかり蕩けてしまった裕貴の内奥に慎重に含ませていく。顔を背けた裕貴が切なげな表情を浮かべたのを見て、ズキリと胸の奥が甘く疼く。
「んっ、んんっ」
 小さく呻きながら、裕貴の手が腕にかかる。腕に食い込む指の感触が愛しくてたまらないが、今はその愛しさが、ダイレクトに欲望へと変わっていった。
 啓太郎の逞しい部分までを呑み込んだ裕貴の内奥が、健気なほどにきつく収縮を繰り返す。そこをさらに押し開くように腰を進めると、ピクンと裕貴の爪先が跳ねた。
 裕貴の両膝を掴み、啓太郎はゆっくりと内奥を突き上げる。そのたびに身を起こした裕貴のものが揺れ、中からの刺激で十分に感じていることが見て取れる。その証拠に、啓太郎が高ぶったものをすべて内奥に収めたときには、裕貴のものも再び高ぶって反り返り、先端を濡らしていた。
 快感に従順な体を誰が造ったのか、あえて考えなかった。少なくとも今、裕貴を感じさせているのは他でもない、啓太郎自身なのだ。
「――裕貴」
 呼びかけると、涙で濡れた目で裕貴が見上げてくる。
「しっかり俺に掴まっていろよ」
 啓太郎の言葉に素直に裕貴は従い、両腕でしっかりとしがみついてくる。それを待ってから、啓太郎は片手で裕貴の体を抱き寄せながら、もう片方の手を敷布団に突いた。
 裕貴の体を抱き起こし、そのまま啓太郎も上半身を起こしてあぐらをかいて座り込む。啓太郎の腰に跨る格好となった裕貴は、顔を真っ赤にして肩にすがりついてきた。
「啓太郎の、スケベ……」
 繋がったまま向き合う形で座った姿がいかに卑猥か、裕貴はわかっているのだ。一方の啓太郎はただ夢中で、どれだけ露骨なことをしているか、あまり実感が湧いていない。
 腰を揺らし、内奥だけでなく、下腹部に触れる裕貴のものを刺激してやると、内奥が蠢くように啓太郎のもを締め付けてくる。
「……お前も十分、いやらしいと思うけどな」
 ぼそりと洩らした途端、背に爪が立てられた。思わず笑ってしまった啓太郎だが、すぐに表情を引き締め、裕貴の両足を抱えると、下から緩慢に突き上げる。
「あっ……ん、あんっ、あんっ」
 裕貴の上げる声が耳に心地いい。何より、必死にしがみついてくる腕の感触が。
 啓太郎は興奮のまま裕貴の双丘に手をかけ、荒々しく揉みしだく。繋がっている部分に指を這わせたときには、裕貴の背が大きく反り、その背にてのひらを這わせる。
 仰け反る喉元を舐め上げた啓太郎は、裕貴の唇の端にキスしてから、凝って尖ったままの胸の突起を舌先で突く。
 どこに触れても、裕貴はしなやかに身を震わせて感じて見せてくれた。呼応するように、たまらない、と言いたげに、内奥が何度も啓太郎のものを締め付けてくる。
 次第に、啓太郎が裕貴を感じさせているのか、裕貴によって啓太郎が感じさせられているのかわからなくなっていた。互いに感じ合う快感が、循環しているようだ。
「もう、ダメっ――……」
 悲鳴のような声で裕貴が訴えてくる。啓太郎も、同じだ。
 激しく裕貴の体を上下に揺さぶり、二人はほぼ同時に最後の瞬間を迎えていた。
「はっ、くううぅん」
 切なげな声を洩らして裕貴の体が弛緩し、啓太郎は奥歯を噛み締めて、欲望の証を裕貴の内奥深くに注ぎ込んだ。


 腕の中に抱えた裕貴の生乾きの髪を指で梳いてから、Tシャツ越しに華奢な背を撫でる。
眠気で意識が曖昧になっているらしく、裕貴は閉じかけていた目をふっと開いてから、啓太郎に笑いかけてくる。子供みたいにあどけない表情だった。
 一方の啓太郎は、子供のように清らかというわけでもなく、裕貴の笑顔にゾクリとするような欲望を感じた。
 裕貴がふらふらになるほど体を貪ったというのに、欲望は燻り続けたままで、何かの拍子に啓太郎の胸を突き破りそうになる。
 欲望の残滓と汗で汚れてしまった裕貴の体を、とりあえずシャワーで洗ってやったのだが、無防備に預けてくる体の柔らかさに目が眩みそうだった。今だって、同じベッドに身を寄せ合いながら、裕貴の体に唇を這わせたい衝動が絶えない。
 愛撫なのか、純粋に保護欲から慰撫したいのか、啓太郎自身、よくわからなくなっていた。
 ただ、裕貴を求めてしまう。
「あったかい……」
 ぽそりとそう洩らして、裕貴が腕に頬を擦りつけてくる。再び目が閉じられそうになり、伏せられる睫毛の動きに誘われるように啓太郎は顔を寄せ、裕貴の目元にそっと唇を押し当てた。
 目を閉じたまま表情を綻ばせた裕貴は、何かを求めるように顔を上げる。啓太郎は、優しく裕貴の唇を啄ばんだ。
「ごめんね……。啓太郎、仕事で疲れてるのに、ベッド占領して。窮屈だよね」
「今は仕事は暇だから、気にするな。毎日、きちんと家に帰れて、夜になったらきちんとベッドで眠れる生活だぞ」
「……SEって、変」
 半分眠っているくせに、裕貴は裕貴だ。啓太郎は笑みをこぼすと、両腕でしっかりと裕貴の体を抱き締める。
「俺は、お前っていう抱き枕がこうして腕の中にいるほうが、安眠できる」
「じゃあ、感謝してね」
 短く噴き出した啓太郎は、裕貴の髪に唇を埋める。
「俺のことはいいから、寝ろよ。あまり……眠れてなかったんだろう?」
「うん……。すごく、眠い」
 啓太郎が優しく背をさすり続けていると、そのうち裕貴が微かな寝息を立て始める。本当に眠くてたまらなかったらしい。
 満足に眠れないほど、神経をすり減らしていたのだろう。痩せた裕貴の体に触れていると、そんなことは容易に想像がつく。食事も喉を通らなかったはずだ。
 腕の中の裕貴の温かさを感じながら、啓太郎はそっと目を細める。こうして側に裕貴がいるからこそ、避けたいことであっても冷静に向き合える。
 たとえば、裕貴と博人の間には独特の兄弟観があって、誰であろうがそれを崩せないこと。裕貴はまだ、兄弟で関係を持つことが悪いことだとは思っていないこと。理屈ではわかっているとしても、裕貴自身が切実なものだとは感じていないのだ。
 何より、裕貴は、啓太郎も好きだが、いまだに博人も好きであること。ただ、博人が結婚して別の女性のものになったから、関係を断つ気になったのだ。
 兄弟で関係を持つことは許容できながら、不倫は許容できない。このあたりの善悪の線引きが裕貴の中でどうなっているのか、よくわからない。いつだったか言っていたが、裕貴本人も理解していないのだろう。
「……倫理や道徳っていうより、もっと根本にあるものか?」
 答えがないとわかっていながら、小声で裕貴に問いかける。
 ぐっすり寝入っている裕貴の頬を指で軽く撫でてから、つけたままのテレビに視線を向ける。眠りの妨げにならないよう、音量は抑え気味で、何を言っているのかよく聞こえないほどだ。
 テレビに視線を向けながらも啓太郎の意識は、他のものへと向けられていた。
 腕の中にいる裕貴という存在を育てた、博人という男に――。




 仕事が暇な時期でよかったと、システムコンサルタントから提出されたドキュメントをパソコンの画面上で開きながら、啓太郎はデスクの上の携帯電話をちらちらと見つめる。
 こんなに集中力が欠けた状態では、とてもではないがシステム作りなどできない。ただ、設計すら手につかないのは問題ありだ。
「――男は度胸かっ……」
 低く呟いてマウスから手を離した啓太郎は、すかさず携帯電話を掴み、オフィスを飛び出す。廊下の隅へと移動すると、さっそく携帯電話を開いた。
 電話をかけた先は――。
「羽岡と申します。そちらの企画情報部の黒井博人さんに取り次いでいただきたいのですが」
 前にもらった名刺によると、博人は情報統括課という部署の課長らしい。大銀行に勤め、三十一歳という若さで課長なら、順調に出世コースを歩んでいるといえるだろう。
 あの、いかにも切れ者然とした雰囲気に接すると、そう意外とも思えない。
 保留の軽やかな音楽を聴きながら、次第に啓太郎は緊張してくる。今の自分は勢いのみで行動しようとしているが、間違ったことはしていないと確信していた。
『黒井です』
 突然、保留音が途切れ、博人が出る。無意識に背筋を伸ばした啓太郎は、静かに息を吐き出したから名乗った。
「……羽岡です」
 電話越しに、博人が笑った気配を感じた。啓太郎はぐっと片手で拳を握り締める。
『お仕事中、すみません。どうしても、黒井さんと話したいことがあって――』
「まさか、電話がかかってくるとは思いませんでした。てっきり……あなたは裕貴を放り出したかと思っていました。いや、そうなるよう期待していたというべきですか」
 博人の声は冷ややかだった。静かな敵意を向けられていると感じ取るには十分だ。おかげで啓太郎も腹が据わる。
 自分はこの男に、宣戦布告するのだ、と。
「今日、お会いできませんか。裕貴のことで大事な話があります」
『ちょうどいい。これから一緒に昼食をとりませんか。夜は、仕事の打ち合わせが長引きそうなので、時間がとれそうにもない。あなたも、一刻も早いほうがいいでしょう』
 余裕たっぷりの博人の物言いは、啓太郎の心の内をすべて見透かしているようで、少し不快だった。そう相手に感じさせることが、そもそも博人の狙いなのかもしれない。
 昨夜、腕の中にしっかりと抱き締めた裕貴の感触を思い出しながら、啓太郎は自らを奮い立たせる。裕貴のためにも、引くわけにはいかないのだ。
「――わかりました。店を教えてください。これから向かいます」


 博人に指定されたのは、ビルの二階にある中華レストランだった。
 二人が交わすであろう会話の内容を考えると、天井が高く明るい店内の雰囲気は不似合いにも思えたが、広い店内に配置されたテーブル同士の間には仕切りがあり、ある程度、他人の目や耳を気にしなくてもいい造りになっている。
 博人がこの店を選んだ理由が、なんとなく啓太郎は理解できた。
 案内されて壁際のテーブルにつくと、メニューを見ることなく二人はランチコースを注文した。別に、昼メシを味わうためにやってきたわけではないので、料理はなんでもいいのだ。
 すぐにテーブルに二人きりとなると、啓太郎は改めて、博人の顔を正面から見据える。
 冷たく感じるほど整った博人の顔には、上辺だけの友好さすらなかった。無感情な目が、じっと啓太郎を見つめ返してきて、唐突に息苦しさを覚える。
 自分の弟を抱いていた男――。
 生々しい表現が啓太郎の脳裏に浮かぶ。まだ、裕貴を力ずくでどうにかしていたというほうが、啓太郎にとっては救いがある。だが事実はそうではない。まるで身を寄せ合うように、求め合って裕貴と博人は体を重ねて、気持ちも重ねていたのだ。
「――そう、睨まないでください」
 やや揶揄するような口調で博人が言い、口元に薄い笑みを浮かべる。啓太郎は咄嗟に視線を伏せた。
「いや、そんなつもりは……」
「裕貴は、わたしをひどい奴だと言っていましたか? とんでもない悪人だと」
 視線を上げた啓太郎は、今度は意識して博人を睨みつける。裕貴が自分のことを悪くは言わないと、確信しているような口ぶりが腹が立った。
 向き合って短く会話を交わすだけで、すでに感情が乱れそうになっている。てのひらに爪を立てながら啓太郎は、冷静であろうと努める。まだ博人から、肝心なことは何も聞けていないのだ。
 グラスの水を口に含んでから、やっと啓太郎は切り出した。
「どうして、裕貴にあんなことを……」
「世間で言う、悪いこと、ですか」
「裕貴は、自分たち兄弟が……そういう関係を持つことが常識として許されないことを知っています。知られたら迫害されるという、強迫観念を持っているといってもいい。だけどそれは、あくまで知識のうえでのことなんです。本人は、悪いことだとは思っていない。あくまで、世間がどう捉えるか、ということを知っているだけなんです」
 啓太郎の話をおもしろがるように、テーブルに肘をついた博人は、組んだ手の上にあごをのせて目を細めた。
「裕貴をよく観察してますね」
「――俺にとって、大事な奴ですから」
 この一言は、博人の気に障ったらしい。わずかに顔が強張り、鋭い視線を向けられる。しかしそれも一瞬で、すぐに自信に満ちた表情に変わった。
「わたしにとっても、裕貴は大事ですよ。生まれた瞬間からずっと、宝物です」
 裕貴のことを語るとき、博人の声と眼差しは柔らかくなる。何も知らなければ、弟を溺愛する兄の態度そのものだ。だが博人の愛情は、一線を越えてしまった。
「裕貴の心臓が弱かったというのも、理由としてあるんですよ。壊さないよう、大事に守ってやらなければいけない存在だと、わたしの中に刻み込まれてしまった。それに、母親はいないし、父親も、裕貴を可愛がりはしていたけど、ほとんど家にいませんでしたからね。それに裕貴は、人見知りが激しい子だったんです」
 博人が放つ毒気のようなものに当てられそうになり、思わず喉元に手をやった啓太郎は少しネクタイを緩めた。
「仲がいい、少し年の離れた兄弟ですよ。わたしはベタベタに裕貴を甘やかして、裕貴もそんなわたしに屈託なく甘えてくる。ただ、あるときわたしは気づいたんです――」
 何を、と問いかけようとしたとき、二人分のランチが運ばれてきて、一旦会話は途切れる。
 二人は機械的に食事を始めたが、数口食べたところで啓太郎は箸を置いた。元から食欲はなかったが、強引にでも食べ物を口に押し込める心境ではなかった。一方の博人も、箸は動かしはするものの、一向に口に運ぶ気配はない。
 会話を再開するにはいいきっかけだろう。
「……さっきの続きですが、何を気づいたんですか」
 啓太郎が問いかけると、博人も箸を置いた。
「わたしが裕貴に向けている愛情は、本当に兄としてのものなのか。わたしは、裕貴を家に閉じ込めて、誰にも触れさせたくないんじゃないか。そんな、いろいろなことですよ」
「自分の暴走を止めようと思わなかったんですか?」
 暴走、と反芻して、博人は低く声を洩らして笑う。
「暴走じゃない。自然な成り行きですよ。わたしと、裕貴の間では。なるべくして、そうなったんです」
「そうなるよう、仕向けたんじゃないですか?」
「何も。ただ、たっぷりの愛情を注いだだけです」
「でも、誰にも言えない愛情です」
「誇る必要はない。わたしたち兄弟の間で通じれば」
 まるで、あらかじめ練習していたかのように、博人の冷静な言動に揺るぎはない。皮肉なことだが、そんな博人に引きずられるように、啓太郎も次第に冷静になっていた。
 だからこそ、この言葉が出ていた。
「――……俺は、あなたからこうやって話を聞いたら、裕貴の『過去』については触れないつもりです」
 ピクリと博人の肩が震える。ようやく博人の冷静さに変化が生じた。何を言い出すのかと言いたげな顔で、啓太郎を見つめてきたのだ。
「裕貴とあなたの間にどんなことがあろうが、それは過去のことです。あなたは今も引きずりたがっているが、裕貴は違います。今は俺と、新しい関係を始めています」
「この間、君も見ただろう。わたしと裕貴はまだ――」
「俺に、あなたとの関係を告げると、裕貴に言ったそうですね。……可哀想に。裕貴は、ボロボロと泣きながら話してくれましたよ。あなたは、自分の大事な弟を苦しめたんだ」
「違うっ」
 初めて博人が、啓太郎の前で声を荒らげた。
 ここにきてやっと、博人の弱点がわかった気がした。
 弟を溺愛している兄は、自分が弟を傷つける存在になることを、何より恐れているのだ。ただし判断基準はあくまで、兄自身。
 自分が愛情を注ぎ続ける限り、裕貴を傷つけることはないと思っているのかもしれない。
 そんな博人にとって、啓太郎は厄介な外敵でしかないだろう。忌々しげに啓太郎を見る博人の目は、まさにそんな感じだ。
 上等だ――。
 心の中で呟いた啓太郎は、さらにネクタイを緩め、グラスの水を再び口に含んだ。









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